第3話 エルフの本性
つまりエルフィン――もといルイゼルは、自分自身にかけていた幻術を解いただけであって、スパパパと服を着替えたわけではないようだ。
まるでステルス技術、いや、それ以上だ。隠れるだけではなく、相手に見せたい幻覚を見せることができるのだから、軍事転用で世界がひっくり返るようなアレだがまあ流そう。
「そんなことより、エルフィン――あ、エルフィンは名前じゃないんだっけか。ルイゼルって呼んだ方がいい?」
「……ご自由に」
そっぽを向いて赤くなった。肌が白いから実にわかりやすい。
もしかして脈があるのか。わからんことは尋ねてみるのが一番早い。
「もしかして俺のこと好きなのか?」
ルイゼルがくわっと目を見開いた。
「勘違いしないでください! 断じて違います!」
「違うかぁ……」
「何にしても、昭和生まれはもう少しデリカシーを持った方がよろしいかと」
俺の若い子ゲットの棚ぼた計画は三秒で破綻した。
短え夢だったなあ。
「こっちの世界に戻された時点で、色々と不安になる理由ができただけです。言っときますけど、これツンデレとかじゃないですから」
不安だと赤くなるのか。俺なら青くなるのだが。
異世界人はやっぱりひと味違うな。耳長いし。
「そんなに強く否定しなくても。まあいいや。じゃあさっきのはナシで」
「ハート強っ。日本の男性って振られたら落ち込んでしまって、そのままみんな消滅するものだとばかりに思ってました。遊び人以外は」
う~ん、綿飴かな?
社内で何度もあった彼女に対する告白の結末の大半が、きっとそうだったのだろう。知ってた。そのせいで俺の仕事量が一時的にキャパオーバーしたんだからな。
「ああ、うん。会社からは消滅する可能性が高いね。そこらへんは男女問わずだけど」
「その節はご迷惑を……」
「自覚あったんだ!?」
「ええ。わたしがめちゃくちゃモテてしまうばっかりに……」
すげえこと言うな、このエルフ!
とりあえず流そう。
「まあ、勝手に惚れられて勝手に消滅される心中もお察しするよ」
「ですよね!」
ですよね!?
「日本人男性って、昭和と平成の間に何があったんですか? 別の生き物みたいです」
「……知らんよ……。そんなことよりもルイゼル、キミの言葉を信じるなら、ここは異世界ということになるのか?」
彼女がうなずく。
「はい。わたしの故郷で、ガドルヘイムと呼ばれる大陸です。ああ、先に言っておきますが、情けなく取り乱すのはあとにしてくださいね。まずはここから脱出しないと――」
「ということは、俺はもう帰れるまでは出社しなくていいということか?」
「……はい? 出勤しようにも出られないでしょ。異世界転移するには相当な魔力――そっちの世界でいうエネルギーと術式が必要になりますし、簡単には帰れませんよ。おそらくこちらに飛ばされた理由は、事故で死んだわたしたち人間ふたり分の生命エネルギーを利用する術式だったのでしょう」
「術式って、誰かがそれをやってくれたということか?」
ルイゼルが忌々しそうな表情で舌打ちをした。
その顔でその目。なんかもうMに目覚めそうだ。
「心当たりはありますが、いまはそれを説明している場合ではないです」
「わかった。結果的に、そう簡単には帰れないということで合ってる?」
ルイゼルが少しうつむいて、申し訳なさそうにうなずいた。
「残念ながら。あの、何て言っていいのか……お気の毒です」
俺は無意識にガッツポーズを取っていた。
「お、おお、おおおおおっ! ぃぃぃぃぃぃいやっほおおおおぅぅ! やったぜーーーーーっ!! 休暇だ休暇! 長期休暇だ!」
「声、声大きいですっ」
「おっと……」
幸いにも聞かれなかったのか、オーガとやらの足音は聞こえてこない。
胸をなで下ろして、ふと彼女に視線を向けると、ルイゼルは左右の眉の高さを変えてこちらを見ていた。
「あの、ずいぶん喜ばれていますが、状況わかってます?」
「もちろんだ。仕事をしなくていいということだろ。ひゅ~、俺は自由だっ」
「こんな囚われの身という究極の不自由状態なのに、無駄に前向きなようで何よりです」
「無駄にってつける必要あった……?」
ふたり並んで石壁を背に、しゃがみ込む。
「こうなった以上、天ヶ瀬部長には知っておいて欲しいことがあります」
「無駄にってつける必要あった?」
「わたしがガドルヘイムから日本へ転移していた理由なのですが、現在ガドルヘイムは滅亡の危機にあります。ああ、滅亡といっても世界のことではなく、人類のみですが」
「なあ、無駄にって――」
ルイゼルが俺を睨み上げてぴしゃりと言い放った。
「うるさいですよ。休暇くらいで、いい大人がはしゃがないでください。みっともない」
「あはい。ごめんなさい。どうぞ続けて」
ルイゼルが舌打ちをする。
会社じゃ淑やかに見せていたらしい。でも、こっちの方が人間らしくておもしろい。
「早い話が、魔王というトップの存在を生み出した魔族の隆盛と、もとから人口が減少傾向にあった人類の衰退が重なって、両種族間のパワーバランスが大きく崩れたんです」
魔王に魔族か。確かにゲームの中みたいだ。あんまり知らんけど。
「戦争してんの?」
「ええ。エルフ族を含めた亜人族や人間の人類連合と、魔族や竜族が対立中です。そこで人類連合が敗北寸前になって、魔王に対抗できる伝説の勇者を連れ帰るべく、わたしが異世界へと派遣されていたというわけです」
「勇者ねえ。そんなん捜してたっけ? 普通に三年間くらいOLやってなかった?」
「やってましたよ。だってわたし、ガドルヘイムに帰るつもりなかったんですもん。当然捜してません。見つからなくてもノープロブレム」
ん……?
ルイゼルが早口でまくしたてる。
「だって日本がちょー楽しかったんですもん! まず第一に命の危険がないですし、一晩中ゲームで遊んだりアニメ観たり、休日にコスプレして動画配信でもやってりゃOLの安月給でも持て余すくらいありましたしね!」
「コスプレとかしてたんだぁ……。どんな?」
「そんなもんエルフに決まってんじゃないですか。そりゃもうネットの取り巻きどもに褒め称えられて気持ちいいのなんのって。承認欲求で満腹中枢まで刺激されるってなもんですよ。なんせこちとら衣装買う必要もなく、指ぱっちんで幻術解くだけでしたからねっ」
それもうOL姿の方がコスプレだったのでは?
喉元まで出かかった言葉を、俺はかろうじて呑み込んだ。
「とにかく人生使い切ったって全部の娯楽を経験できそうにないくらいでしたもん!」
インドアに固まってるみたいだけど、それは確かに。
とはいえ、俺はほとんどそれらの娯楽に触れる時間がなかった人間だが。楽しいことなんて、痒いところを掻いてるときとおいしいものを食べてるときくらいだ。
「それに、そこら中に人を襲わないかわいい動物がいて、おいしいご飯に甘いお菓子食べれて、毎日お風呂にまで入れるんですよぉ!? 時間がいくらあっても足りません!」
「まあ、うん」
「なんですか、その気のない返事は。ちゃんと共感してください。女性は共感されて喜ぶ生き物なんですよ」
真顔でそんなこと言われても。
しかしものすごい勢いで距離詰めてくるな。やはり俺が好きなのか。違うか。
「とにかく、こんな生活、ガドルヘイムじゃあり得ませんもん! わかります? この世界ガドルヘイムは日本で言えば、まるで死にゲーの世界なんですよ!」
「しにげーとは……」
「そんな説明まで必要なんですか!? 不意打ち上等、曲がり角のたびに敵の待ち伏せ配置があって、坂道歩けば鉄球が転がってきて、橋を渡ってたら竜が落としにくるような初見殺し満載のゲームのことです!」
俺の脳裏には、小学生の頃に見ていたドリフターズのコントが思い浮かんでいた。
「へえ。楽しそう」
「楽しそう!? とにかくそんな世界に、どうしてわたしが帰らなきゃならないんですかっ!」
いや……そんなこと言われても……。
「一応キミの故郷では……?」
「知ったこっちゃないですよ! それに引き換えOL生活はほんと最高でしたよ! 仮病でバンバン会社サボっても、適当ぶっこいて仕事に失敗したって、バカみたいにお人好しな天ヶ瀬部長が全部尻拭いしてくれたじゃないですかっ! それでいて全然怒られませんでしたし、何なら励ましてくれましたし! 笑い堪えるのに必死でしたよ!」
仮病? ん?
ちょちょちょ、ちょい待って。最後の一言は特に待って。心の整理ができない。
「わたしだったらわたしみたいな社員はクビにしますよ」
「いやもうこの話題が初見殺しというか初耳殺しのことばっかりで……」
「なので実は天ヶ瀬部長のことは、男性社員の中では一定以上の評価はしていましたよ。よっ、素敵っ」
「……あからさまな飴と鞭をどうもありがとう。バカにしてる?」
「うふふふ、そんなことありませんよぉ」
「ふふふ、そっかぁ」
素直に喜べない評価だなぁ。
「それに引き換え、わたしを日本に派遣した連合の賢者たちなんてガミガミガミガミガミガミ! 終わりいく世界で勝手に滅んじゃえばいいんだわ! あいつらほんとに虫けら並み!」
虫けらを踏み潰すように地団駄を踏んで、ふぅ、ふぅ、と肩で息をしている。
俺はやるせない思いに駆られ、ぽつりとつぶやいた。
「エルフ族には人の心はないの?」
「ありますよ! だけど連合がわたしを転移させたんですよ!? わたしの命を魔力に変換して、たったひとりで知らない世界に放り出しやがったんです! 失敗してたら時空の狭間で塵になって消えてた作戦なんですよっ! 扱いひどくないですかっ!? 彼らこそ人でなしですよ!」
すごい剣幕だ。
「それはそうだね」
「だからわたし、とことんまで日本を楽しんでやるつもりだったんです。幻術さえ使えばどこにでも簡単に溶け込めましたからね」
「戸籍とかどうしてたの?」
「幻術で役所を欺しました」
「住居は?」
「幻術で不動産屋さんを欺しました」
「うちの会社にはどうやって――いや、聞くまでもなく人事に幻術だ」
「正解っ」
うんうんとうなずいている。悪びれた様子もなく。
清々しいまでの笑顔がいつも通りに綺麗だわ。
「日本には魔法が存在していませんから、魔法抵抗で見破られる心配もありませんでしたしね。あ、うちの会社の人事、セキュリティがガバってましたよ。まあもう関係ないですけどねー。あっち戻れませんし。あははー、涙出てきたわ。帰りた~い」
「ガドルヘイムでは道徳は教わらないんだねえ」
「やだな、叩き込まれてますってばぁ。うふふふふ」
うわあ……。
当初の想定からはだいぶ違う人格がハミ出してきたぞ。美人なのに惜しいなあ。
「大体の事情は理解した。でもガドルヘイムに戻ったけど、勇者は連れ帰れなかったんだよな。ルイゼルはこれからどうするんだ?」
「そのことなのですが、実はもう見つけてたんですよね。日本で」
「勇者を?」
「ええ」
ルイゼルが、かつて俺に向けたことが一度たりともないような最高に魅力的な笑みを浮かべて、俺の肩にポンと手を置いた。そうしてもう片方の手でサムズアップする。
「んふふ」
嫌な予感がした。ぞわっと総毛立つ。
ルイゼルが甘えるような上目遣いで、至近距離から俺を見上げてきた。顔が近い。あまりにも整った顔が。
「天ヶ瀬湊さん」
「はい」
血走った目がくわっと見開かれる。
「おまえが勇者になるんだよッ!!」
「それ見つからなかったから責任逃れのために体良く俺に押しつけようとしてるだけだろ!? あとおまえって言われておじさんちょっとショックなんだが!」
こちとらもう体力も下り坂のおっさんだ。それも、だいぶくたびれている。
二十代の頃ならいざ知らず、いまじゃもう二十四時間不眠不休を三日間連勤で戦うのが精一杯の老兵だ。企業戦士としては一段、いや、三段階は落ちたと認めざるを得ない。
「いえ、マジです」
「マジなの?」
「ええ。合ってるんですよ、これが。びっくりでしょ。わたしが日本に転移する前から、連合の賢者がすでにあなたの存在を割り出していましたから。あなたは潜在能力が無駄に相当高いらしいです。年齢はかなりネックではありましたが、補って余りある潜在能力があるのだとか。年齢はネックですが」
「歳のことはもういいだろ!?」
「だからわたし、日本に送り込まれたんですよ。あなたのいる会社の近くに」
いや、う~ん。でも、なるほど。何となく理解した。彼女の俺に対する態度だ。
つまり、それがあったからルイゼルは俺を会社で避けていたんだ。あえて近づき過ぎないように。俺を連れてこっちの世界に戻る気がなかったからこそ、態度に出てしまっていた。
ィよかった~。生理的に受け付けなかったわけじゃなかったんだ。
いや、やっぱよくない。連れてこられた上に戦争なんて死んでしまう。
「お、俺は、殴り合いのケンカさえしたことないし、謹んで辞退したいと――」
「お給料は、連合から出ますっ。任務内容は、魔族の掃討と魔王の殺害ですっ」
お給料に任務。まるで仕事みたいじゃないか。
「いや、せっかく新天地で自由の身になれたから……ああ、いまはまだ不自由だけど、それはさておき、悪いんだけど当分の間は就職とか考えられなくて……」
ぐいと、ルイゼルがさらに顔を近づけてきた。
もはや唇が触れあいそうなくらいだ。
「やだやだぁ、天ヶ瀬部長ぉ。わたしを見捨てないでぇ。いつもみたいに助けてぇ。お尻を拭ってぇ」
「ぅぅ……」
フ、俺に色仕掛けとは、相手を間違えていないか。甘えた声を出しやがって。
見てみろ。唇とかぷるぷるじゃないか。すんごいいい匂いしてるし、目がブルーサファイアみたいで綺麗だ。ギュッとしたい感覚に陥るね。
うわ、だめだ。色仕掛けが効き過ぎている。フェロモンのせいなのか、頭クラクラしてきた。
「お願い。天ヶ瀬部長しかいないの。あなたに捨てられたらわたし、連合の賢者にめっちゃくちゃ叱られ――ん、んんぅ、えっとぉ、始末とか処分とか? されちゃう? かも?」
始末。処分。それって。
「クビにされるってことか? たったそれだけの失敗で?」
ふるふると、彼女が首を左右に振った。
そうして視線を少し逸らせ、甘く囁くように。
「それが……物理的に首と胴体がおさらばするってこと………………かも……?」
「え? 任務に失敗しただけで殺されちゃうのか!?」
想像以上だった。
「あー、うん。そ、そうなるかも~? ってこと? かな?」
そういえば、先日彼女は言っていたっけ。
日本では謝罪くらいで命を奪われる危険はない、と。まさかガドルヘイムの人類連合では、そんな中世的な横暴がまかり通っているというのか。うちの会社がまともに見えるくらいブラックじゃないか。
ますます行きたくない。行きたくはないが、でも、俺が断ったらルイゼルはどうなるんだ? 殺されるの?
後ずさる俺へと、ルイゼルがさらに近づく。
「だからあなたに救って欲しいの。できるだけわたしもサポートするから」
ルイゼルが猫なで声で囁く。
「お願ぁ~い。わたしを――じゃなかった。世界を救って、わ・た・し・の、勇者さまぁ」
「……そん……な……、……くぅ~……」
よしんば、彼女が美人でなかったとしても、命をかけた人間を見殺しにするなんてことができるわけがない。
そう。なぜならば。
俺は昔から、NOと言えない性格だった。