第29話 ドワーフさんと強制労働
メイヴィスと遭遇した日の夕方、俺たちはようやくガドルヘイム山脈の山麓に辿り着いた。だが、見渡す限り人工物らしきものは見当たらない。
ルイゼルは森が少し開けた場所で立ち止まったが、そこもまた同じくだ。ややまばらだが、樹木と、腰まであるシダ植物が生い茂っているだけだ。
まさか、と不安になる。
すでに人類は滅ぼされたあとなのではないかと。だが、魔王第七子であるメイヴィスが嘘をついていたとは思えない。
あいつは言った。魔王軍はいまだに人類拠点を見つけられずにいる、と。
「ルイゼル?」
「お静かに」
立ち止まったルイゼルは、目を閉じて長耳の後ろに手を当てている。
何かを聴いているのだろうか。
俺には不穏な音は何も聞こえない。虫の声や魔物の鳴き声、鳥の声、あとは風が草木を揺らすざわめきくらいのもので。
やがてその目が開かれる。
「周囲数百メートル内には知的生命体らしき息吹はありません」
「俺は? ねえ、俺は? 知的じゃない? ここにいるよ?」
「入ります。そこから動かないでください」
「入る? どこに? それより俺は知的生命体に数えられてないの?」
ルイゼルがシダ植物の中にしゃがみ込み、右手を地面につけた。
そうして、俺の知らないガドルヘイム語をつぶやく。
直後、俺の足下から地面が消滅した。
「~~っ!?」
落ちる。そう思った瞬間にはもう、俺は腰から地面に落ちていた。感覚的には落下したのは十センチほどだろうか。
ケガはもちろん痛みもあまりない。腰痛持ちじゃなかったから。
「焦ったぁ! 何だ、いまの!? あ……」
建物内にいる。切り出した石をきっちりと積んで造られた壁があり、一定間隔で白い光を放つランプが吊されていた。
床には魔方陣っぽい落書きがされており、俺とルイゼルはその中心にいた。
部屋だ。地下室のような部屋にいる。扉はひとつだけ。周囲には誰もいない。
いない、が。
――あはははははっ。
――待ってぇー。
子供の足音と声が、扉の向こう側から聞こえた。
ルイゼルがゆっくりと長い息を吐いて、緊張感の抜けた顔で、尻餅をついたままの俺に手を伸ばす。
「ようこそ、最後の人類拠点レイフィリアへ」
「あ、ああ。着いたんだ。……そっか」
あまりに唐突な到着で、実感が湧かない。
差し出された手をつかむと、ルイゼルは引き起こしてくれた。
ああ。気配がある。人の気配だ。気配とは、こんなにも強く感じ取れるものなのだろうか。日本にいた頃には感じるどころか考えもしなかった。
それに、いい匂いが漂っている。誰かが食事を作っているのだろうか。どうやらこの部屋は、地下にある拠点の一室だったようだ。
「この転移陣の部屋が、レイフィリア唯一の出入り口になっています。といっても、転移魔方陣を通ってのことなので、魔力を持たない人間たちは魔力持ちと一緒でなければ出入りできないのですが」
そりゃあ魔族に発見されないわけだ。そもそもまともな入り口がないのだから。
「どこからでもこの部屋に飛べるってこと?」
「まさか! だったらあんなに苦労して歩いてきませんよ。わたしたちがいた森は、シダ植物が生い茂ってたでしょ。魔方陣がそれで隠されているんです」
「うん? そんなもんあったっけ? 草生えてて見えないだけ?」
こともなげにルイゼルがうなずいた。
「ええ。だから実はまったく隠してないんですよ。笑えるでしょ。これがほんとの草生える~ってね。あははははっ、うまいっ」
「……?」
よくわからんので彼女を凝視すると、ルイゼルはなぜか恥ずかしそうに咳払いをした。
「失礼。ちょっと日本に染まりすぎました」
「そうなんだ。俺、日本人なんだけど」
「天ヶ瀬さんはもはや、ある意味宇宙人ですよ、もう。あ、これ褒め言葉です。いい意味で、みたいな?」
「そうかな~……そんなふうに聞こえないなぁ~……」
仕切り直して。
ルイゼルが真面目な顔をする。
「なので実のところ、魔王軍に森の草刈りでもされたら転移魔方陣は丸見えになってしまうのですが、ガドルヘイム山麓の森は知っての通り広大過ぎる上に魔方陣のある場所には大した目印もないため、未だこの拠点レイフィリアだけは見つからずに済んでいるというわけです」
「へえ、案外有効なんだな」
人間が手を加えていないし、防衛もしていないからこそ、発見できない拠点か。確かにうまい隠し場所だ。
ルイゼルがうなずく。
「場所的には、魔方陣のあった広場の真下、地下数十メートルといったところですね。出入りにだけ気をつければ、ここは永久に見つからないでしょう」
「生存者全員を養える広さはあるのか?」
「収容人数のことでしたら三百五十名設計なので、すでに限界を超えています。人類が五百名以上増えすぎないように子作りは控えてもらっています。……が、まぁ~、たまぁ~に、糞リア充カッポゥがガキ作っちゃうんですけどね。チッ」
なるほどな。これが陰キャと呼ばれている人間のひがみか。ところどころ陽キャっぽいのに、ルイゼルは根っこがなあ。
「食料は?」
「天啓機構に属するエルフ族は魔法も使えて弓も得意ですので、定期的に外に出て魔物や動物などの獲物を捕ってきます。それと、魔法で疑似太陽を作り出すことで、地下に農地を作っています。水は地下水です。掛け流しの温泉もありますよ」
「おおっ、それはすごい」
住めば都かもしれん。
「……が、わたしがまだガドルヘイムにいた三年前の時点で、正直もう収容人数オーバーで破綻寸前でしたね……」
「お、おお」
ため息が出るな。
「まだ保ってるところを見ると、農地を広げたのかもしれません」
「いずれにしても、状況は切迫してるっぽいなあ」
ルイゼルがうなずいた。
「半獣のライカン種の方々は行動範囲が広いので、頑張って外から色々と採ってきてはくれるのですが、それを合わせても……」
「軍はあるの?」
「生存者の大半を占める人間種が、およそ半数ほどで形成してます。そこに魔法が得意なエルフや野生の強さを持つライカンが加わって三百あまり。武器は数名のドワーフがブラック労働にめげずに昼夜問わず打ってます」
異世界まできてそんな話聞きたくない!
俺は耳を塞いだ。
「聞きたくなぁ~いっ」
「あ、でもドワーフさんたちは――」
俺は勤務実態を知りたくなくて、耳を塞いだ両手を、声を出しながら小刻みに動かす。
「はわわわ、はわわわわ、なんも聞こえなぁ~い」
「鍛冶仕事が趣味みたいなもんなので――」
「はわわわわあばばばばば」
「……」
耳を塞いだり離したりしていた両手を、ルイゼルにガシっとつかまれた。顔があまりに近すぎて、ちょっと照れる。
「ちゃんと聞いてくださいよっ。ドワーフ族は鍛冶仕事が趣味の種族なので、逆に何か作らせてないとエネルギーが有り余って怒り出すんですっ」
「あ、そうなの? ならセーフだな。遊びみたいなもんだからな。よかった。強制労働に従事させられてる不幸なドワーフはいなかったんだ」
「どんだけ会社にトラウマ持ってるんですか」
いかん。いかんな。
俺としたことが、あばばば言ってダンディなイメージを崩してしまうところだった。
「それと、遊びなんて言ったらドワーフ族にぶん殴られますよ。超職人気質だから。てやんでえべらんめえな人たちです」
「江戸っ子っぽいんだ。わかった。気をつける。大丈夫、営業先にもいたから慣れてる」
しかし、メイヴィスの言った魔王軍百万に対して人類連合の戦士はわずか三百程度。正直言って、始めるべきじゃない。降伏すべきだ。だがメイヴィスの話では現魔王は種族主義者だ。降伏したからと言って命の保証はない。
日本で社畜として生きるのと、ガドルヘイムで無謀な戦いに挑むのとでは、どちらがマシな人生になるだろう。
ふと気づくと、ルイゼルは俺の両手を自らの手でつかんだまま、至近距離からじっと俺を見つめていた。




