第28話 黒騎士さんったら
メインタイトルを改題しました。
俺たちがオーガ砦を崩壊させた翌日、どうやらこの魔王第七子メイヴィスは、砦の視察をする予定だったらしい。不穏な人間を捕らえたと、オーガ砦から報告を受けた彼女は、すぐさま訪問の日程を決めた。だが彼女が砦を訪れたときにはすでに、その人間はオーガ砦を倒壊させ、逃走した後だった。
逃走先は、考えるまでもなく人類領域だ。当然のように魔族からは追っ手が放たれたが、どうやら俺たちの痕跡を正確にたどれたのは、単独行動で、且つ最も早く追い始めたメイヴィスひとりだけだったようだ。
「まずったな。もっと綺麗に痕跡を消しておくべきだったか。焚き火跡とか、蹴って散らしはしたが埋めてはこなかったからな。ガドルヘイムに慣れたつもりだったが、まだ甘かったようだ」
「わたしも反省ですね。日本に長くいすぎて危機感が息してなかったのかもしれません。痕跡を辿られたのなら、数日内にもこの近辺まで追っ手が現れるかも」
まるっきり悪びれた様子もなく、メイヴィスは語る。
「人類領域に斥候が来るまであまり時間はない。ただ、心配はいらん。魔族は未だ人類拠点を見つけられずにいる。私が去ったあとに隠し拠点に逃げ込めば、うまくやり過ごせるんじゃないか。ここらへんも一度捜索済みだからな。詳しくは探らんだろう」
「……よく回る口ですね。それは魔王軍の重要機密では? それとも誘導尋問のつもりですか? そもそもこの近くに拠点があるだなんて、誰も言っていませんよ」
ルイゼルが疑念を隠さない顔で、メイヴィスに尋ねた。
そりゃそうだ。もし彼女が嘘をついていて、魔族がすでに人類拠点を把握していたら、俺たちも残りの人類も一網打尽にできる。
「いちいち疑うな。私の言葉に嘘偽りはない。人類拠点を魔王軍が知っていれば、とっくの昔に人類など滅亡している。といっても信憑性のある話ではないだろうがな。まあ、疑わしく思うなら私を人質にするなり殺すなりすればいい」
「……ッ」
メイヴィスは顔の火傷に染み出てきた血液を掌でぬちゃりと拭き取って、無造作に手を払った。森の大地に魔族の血液が振りまかれる。
痛そうなのに、平然としている。
「魔族は恐れている。勇者という存在を。人間族に勇者伝説が残っているように、それは魔族にもある。内容はほぼ同じだ。いずれ異世界から現れる勇者なる人間が、魔王を討ち魔族を滅ぼすだろう、というものだ。そして二〇〇年前、その通りの出来事が起こった」
俺は尋ねた。
「それ、大丈夫? ほっぺた」
「む? ああ、火傷のことか」
うなずく。
「すまん。やりすぎた。女の子なのに火傷跡が残っちゃったな」
「ハッ、こんなもの」
中身が見えなかった全身鎧のときならばともかく、こうして顔を出されてしまうと罪悪感もひとしおだ。ましてや中身が女だったとは。
メイヴィスはこともなげに言う。
「放っておけばじきに治る」
「んなわけないだろ。見せてみろ」
いまならルイゼルの魔法で消せるかもしれない。
腕組みをして不機嫌な顔をしている彼女が、メイヴィスの治癒を了承してくれれば、だが。
そんな俺の視線をよそに、メイヴィスがつぶやいた。
「ああ、そうか。貴様は規格外ではあるが、ただの人間だったな」
メイヴィスが眉間に皺を寄せた。
ため息をつくと、鎧の手甲を外して腕を自由にしてから、今度は胸鎧を脱ぐ。
「……!」
想定外のダイナマイッボデーィだった。
けど全身火傷だらけで血まみれだ。服も灼けているせいで、余計にセクシーなことになっている。
俺は慌てて視線をそらせた。
ところが、彼女はさらにシャツを少しだけめくると、俺に「見ろ」と言ってきた。
そう言われてしまっては仕方がない。俺は仕方なく、そう、仕方なくだ。視線を向ける。鼻の下をビロンビロンに伸ばしながら。だってルイゼルと正反対に、とんでもプロポーションだったんだもの。すっげえや。
「……」
なんかルイゼルがすごい目で彼女ではなく俺を睨んでいることには気づいていたが。
メイヴィスはシャツを伸ばして、腹部の火傷をゴシゴシと拭き取った。爛れた部分が痛そうに思えたが、伸ばしたシャツを再びめくり上げて気がついた。
皮膚が再生していたんだ。爛れていたのは表面だけで、その内側は治っていた。
「あ……」
「傷は塞がってるだろ。おまえのような人間族や、そっちの長耳の亜人と比べて、魔族は自然治癒力が強い。ただ、非常に痒い。痒み止めのムヒ草でもあれば多少は収まるのだが。――おい、エルフ。貴様、持っていないか?」
「あったとしても、あなたに渡すくらいなら勇者さまの目の下に全部塗り込んだ方がマシです」
「やめてよね!?」
顔の火傷跡も同じようにシャツを伸ばして擦る。爛れた皮膚をこそげ落とせば、やはり治っている。
治癒魔法も使っていないのに、血が乾くよりも先に傷が塞がるものなのか。魔族の治癒能力はすごいなあ。
人類が敗北するわけだ。筋力も、魔力も、治癒力も、すべてが桁違いに高いのだから。
俺は恐る恐る尋ねた。
「もしかして、もう戦えちゃうってこと?」
やべえ。剣は取り上げたとはいえ、俺はこいつが手を伸ばせば届く位置にいる。たぶん純粋な力ではまったく敵わない。首でも掴まれたら終わりだ。
後退しかけた俺へと、メイヴィスが笑って見せる。
「さすがにそれは無理だ。自然治癒力で治すということは、魔法で治癒させるよりも体力を犠牲にする」
「腹が減る?」
「尋常じゃなくな。疲労の蓄積も大きいし、何より痩せて筋力が減る。食って寝なきゃ体力が戻らないのは、おまえたちと――すべての生物と同じだ。見ろ。胸も普段より縮んでしまった」
ンダイナマイッ!
それで縮んでる状態なのか。あ、ルイゼルがめっちゃ不機嫌な顔に。
だが、内心俺は胸をなで下ろした。暴れられる心配はなさそうだ。
ルイゼルは知っていたらしく、平然としていたけれど。教えてよ。意地悪。
「さて、逃がしてくれるというのなら、私はそろそろ退くか」
「あ、帰る?」
「ああ。今回は功を焦りすぎた。勇者を捕らえれば兄や姉を出し抜き魔王の座に近づけるかと単身で先走った結果だ。立場のない末子のつらいところだな」
メイヴィスが立ち上がる。少し足がふらついている。
「鎧はいいのか?」
「置いていく。通常時ならばともかく、正直いまの状態の私には重すぎる。剣は好きにしろ」
「魔物に襲われたりしない? 必要なら返すけど」
「おまえたちほどではないが、多少なら魔法も使える。それに魔物程度であれば、拳で十分くびり殺せる」
そう言って背中を向ける。大きな背中だ。俺よりも。ンダイナマイッ。
色気がすごい。すごい通り越してえぐい。でかいとは言っても、プロポーションが完全に女性のものだから。体表は血まみれだけれど。
歩き出しかけて、メイヴィスが立ち止まった。
「おまえ、名は?」
「天ヶ瀬だ」
「アマガセはさっきから私の心配ばかりしているな。ほだされたとて、人間族の滅ぶ未来は変わらんぞ。現魔王が存命である限り、魔王軍の動向は変わらない。私はその先陣を切るひとりだ。殺しておいた方がよかったと悔いることになる」
振り返った顔は凶悪で美人だが、物騒な言葉を言うのは、ここがガドルヘイムだからだろう。世界のあり方が根本的に地球とは違っているようだ。
「そんな意図はないぞ。そりゃ俺だって黙って殺されるつもりはないけどさあ。それよりメイヴィスはどうしてそんなに魔王になりたいんだ? 末娘ってことは兄姉がいるんだろ?」
「私は戦士だが、虐殺が好きなわけではない」
ルイゼルが彼女をキッと睨みながらつぶやく。
「いまの人間族と亜人族が相手では、戦いではなく虐殺にしかならない、と?」
「その通りだ。勇者がどれほどのものかは知らんが、所詮伝説は伝説。私は兄姉や父と違って信じてなどいない」
「ぶっちゃけ俺もそう思う。気が合うね」
メイヴィスひとりにずいぶん苦戦させられた。こんなのがあと何体いるのか。
彼女はさらに続ける。
「同時に、一種族で統一された世界にも興味はない。戦いのない世界はひどく退屈だ」
「魔族が人類を滅ぼして世界を統一したあとの話?」
「そうだ。人間族と亜人族の次は竜と竜人族だ。そのすべてが滅べば世界から戦いはなくなる。魔族の敵がいなくなる。恒久的な平和だ」
わずかな静寂の後、メイヴィスは吐き捨てた。
「つまらん。ああ、実につまらん」
魔族ってのは戦闘民族か。
いや、違うな。魔族は戦闘民族じゃない。戦いを求めているのではなく、その先にある恒久的な安寧と平和を求めている。だから統一を目指す。それがいまの魔王だ。
魔王の覇道は、魔族にとっての平和に続いている。矛盾しているようで、していない。
「だが私が魔王の座につければ、数十年は人類領域を攻めない。人類が力を取り戻すのを待ってから、じっくり楽しませてもらう」
すごみのある笑みだった。寒気がするほどの。
おそらく魔族の中でメイヴィスだけが異端なんだ。
おかしいと思ったんだ。末子とはいえ魔王の血族が、砦視察だけならさておき、こんな場所まで単独でやってきているのだから。
言ってみりゃ、メイヴィスは魔族のお姫さんだ。少なくとも王族のすることじゃあない。
「そうしてまた弱らせた後、復活するまで数十年待つ。数と力を取り戻したら、また攻める。魔族と人間族はそういう関係でいい」
永遠に続く戦争を求めてるってか。冗談じゃねえや。
完全に狂ってやがる。危険思想にもほどがある。善悪で言えば、現魔王以上の悪だ。だが、だからこそ、他種族を滅ぼすことをよしとしない。人間族も、竜人族もだ。
世界にパワーバランスを求めている。
ここで見逃せば、もしかしたらメイヴィスは現魔王よりよほどたちの悪い魔王になりかねない。だが同時に、およそ五百名にまで減らされてしまった人類が種として生き延びるには、彼女のような魔王の方が都合がいいのも事実だ。
痛し痒しだな。
「メイヴィスは、勇者を試しに来ていたのか?」
「そのような意図はない。戦って殺すつもりでいた。勇者などと呼ばれていても、たかが虫けら一匹。伝説だろうが何だろうが戦局をひっくり返すことなどできまい。そう思っていたからな。だが、オーガ砦の惨状を見て迷いが生じた。迷いではないな。期待だ」
肩越しに振り返った顔に、悪ガキのような笑みを浮かべて。
「ふふ、正直胸が躍った。過去、伝説を書物で知った私は、得体の知れん勇者とやらに焦がれた。そして実際に戦ってみて確信もした。アマガセ、おまえは魔王軍百万の侵攻で一息に磨り潰すには惜しい虫けらだと」
虫けら評価は変わらんのね。ってか、魔王軍ってそんなにいんのか。
人類拠点の生存者って、五百名くらいだろ。恒星魔法を遠慮なく使ったって、覆せそうにない規模の差だ。こっちが魔法をぶん投げてる間に、あっちも魔法を使ってくるだろうしなあ。
「わかった。教えてくれてありがとな」
「なぜおまえが礼を言う。教えたのは私の趣向であって、魔王の動向ではないのだぞ。戦力差には何の影響も出ない。つまらん。ああ、つまらん」
メイヴィスが魔王になった方が、他種族にとっては幸せなんだろうなと思う。だがそのために俺自身の首をくれてやる気はない。
「それでもいいんだ。メイヴィスのことを知れたから」
「そうか。さてはおまえ、私を口説いているな」
迫力のある笑みを浮かべて、メイヴィスが視線を上げる。
「将来の魔王が勇者に口説かれる、か。くく、やぶさかではないが、たとえ閨をともにしたとて人類の行く末は残念ながら滅亡だ。現魔王が魔王である限りはな」
「閨とか言うのやめろ。違うから。断じて」
ルイゼルがジト目でこっちを見てるだろ。いつから妬いてくれるようになってたんだか。
かわいい。
「それは残念だ。ではな、アマガセ。戦場で遭おう。それまで死ぬなよ」
「おう。ばいば~い」
両手を振って見送る。
「……ばい?」
また振り返った。律儀なやつだ。
「異界語で“また闘ろうぜ!”という意味だよ」
「そうか。ならば私もそちらの流儀に則ろう。――ばいば~い。アマガセばいば~い」
両手を頭上でパタパタ振っている。ピュアかよ。
メイヴィスが再び背中を向けてから、俺とルイゼルは同時につぶやいた。
「かわいい」
「かわいい」
メイヴィスは足下に転がっていたガルムの右半身を片手でヒョイと拾い上げると、その血肉をムシャムシャと囓りながら夜の森を太陽の昇る方角へと向けて歩いていった。
ワイルド~。あれで筋力落ちたとか言ってんだから恐ろしい。
お腹、壊さないといいけど。




