第22話 部長は懲りていない
ガドルヘイム山脈の山稜を歩く。
足下には残雪があり、空気もひどく薄いためか、すぐに息切れしてくる。そのせいか、会話もずいぶんと減った。
ゴォゴォと風が鳴いている。
ルイゼルが吹き荒れる長い髪を押さえながら叫んだ。
「もうすぐ下れる場所です」
「うん」
風が収まれば、わかりやすく息が凍る。
ここまで寒いと、さすがに食料になりそうなものはない。鳥や動物や魔物はおろか、植物の大半さえ姿を消した。昨夜キャンプをした中腹近くの沢で魚や蟹を捕り、木の実をある程度集めてきてよかったかもしれない。
すでに火を通す必要のある食材には通してある。
俺たちは歩きながらそれを囓り、エネルギーを補給した。
この息苦しさで魔物に襲われたらと考えるとゾッとするが、魔物的にもここは居心地の悪い場らしく、姿は見えなかった。
それでも、キャンプはできそうにない。凍え死んでしまう。シルフの加護で俺は風をある程度防いでいるが、ルイゼルはそうじゃない。
彼女が契約をしている精霊は、水と土らしい。風は対話程度までなのだとか。察するに、精霊から好かれなければ、たとえ見えてはいても契約までには至れないようだ。
ルイゼルとシルフは対話までならできるのだから、友達以上恋人未満的な微妙な関係なのだと思う。月9ドラマみたい。
「あ……っ」
突風が吹いてバランスを崩したルイゼルの肩を両手でつかんで胸の中へと引き寄せた。積もった残雪が小さな氷の粒となってぶつかってくるから、ルイゼルを抱き寄せた腕で守る。
「イタタタタ!」
顔面が死ぬ!
シルフが慌てて風の結界強度を上げてくれた。
氷の粒が不自然に弾かれ、俺たちから逸れていく。
「こりゃあ風が収まるまではくっついてた方がよさそうだ。さすがにハラスとか言わないでくれよ」
「言いませんよ。ありがとうございます。あたたかいので助かります」
「くぅ~、どういたしまして」
「意外に紳士なんですね」
「別に意外じゃないだろぉ~……」
とはいえ、なんか彼女の言葉に感動した。
ジャケットは貸したままにしているが、あんなものを被っても意味はなさそうな気温と風だ。俺も彼女も、一晩は過ごせないだろう。
少しでも早く山稜から下らなければ。
まるでバカップルのように、彼女とくっついたまま再び歩き出す。役得だとは思うものの、さすがにこの状況では素直に楽しめない。こんなんばっかだな、最近。
平然としているのはシルフだけだ。突風だろうが暴風だろうが、シルフは俺の周囲をふわふわ漂っている。あんなに小さいのに、飛ばされたりはしない。
さすがは風の精霊だ。
慎重に尾根を歩いていく。崖下を覗いても、下りるには急過ぎる斜面というか崖は、雲に遮られて先が見えない。分厚い雲が下に見えるんだ。
落ちたら助からんだろうなあ。
てかこれ、高さ的にはどれくらいあるんだろう。
「なあ、これ、富士山とどっちが高いの?」
胸の中でルイゼルが顔を上げ、上目遣いで俺を見てきた。
うわ、かわい。
「ガドルヘイムと日本では長さの単位が違うので正確にはわかりませんが、たぶん富士山では?」
「そっか」
そうかなあ~。
わからんけど、そうかなあ~。
沢で採った焼き蟹を分け合って食べる。半解凍状態だからシャリシャリだ。しょっちゅう食べている。果物もだ。とにかく腹が減る。それだけ過酷な環境にエネルギーが吸い取られてしまっているのだろう。ロード肉も食い切った。味付けなんてなくてもうまかった。
ようやく下りにさしかかった。
もう膝がガクガク笑ってるよ。全身が気怠く、そしてまだ日が暮れていないのに眠い。下るたびに膝が折れそうになる。
だがもう少し、もう少しだけ。
そんなふうに考えているうちに日が暮れて、俺たちはようやく目的としていた植物の生い茂る中腹に辿り着くことができた。
山小屋でもあれば助かるのだが、さすがにそうも言っていられず。
「もう食料は空っぽだ」
「……明日……明日採りましょう……」
水はまだチラホラ見える残雪から、ウンディーネが濾過してくれる。互いにそれで喉を潤した直後、ルイゼルの全身が傾いた。
俺は腕をつかんで、ゆっくり座らせる。そのときにはすでに寝息が聞こえていた。
夕暮れ以降のルイゼルは、かろうじて俺が肩を支えながら運んでいる状態だった。シルフの加護がない分、体力の消耗は彼女の方が早かったのだろう。
焚き火を熾さなければ。
植物があるということは、魔物がいる。体温も一気に奪われてしまう。
俺はルイゼルを視界の隅に置ける距離で、薪になりそうな枝を拾い集めた。いつものように交互に組み枯れ葉をかぶせる。
「あ……」
だめだ。俺の魔法じゃ山自体がハゲてしまう。おまけに空を光らせたら魔族を呼んでしまうかもしれない。昼ならば陽光に紛れるかもしれないが、夜はだめだ。
ルイゼルは目を閉じて眠っている。
「ルイゼル、ルイゼル」
「……」
「お~い。火だけ熾してくれぇ」
「……」
呼んでも肩を揺すっても反応しない。
これは、さすがに。
指先からちょっとだけ火が出たりしないだろうか。マッチ程度でいいのだが。でもなあ、失敗して山火事とかになったら目も当てられん。
しかしこの気温で野宿というのも、ルイゼルの体力的に心配だ。いや、俺も保たんかもしれん。
「やってみるか……」
念のため、周囲の枯れ葉を足で掻いて遠ざけた。燃え移ったらシャレにならん。
人差し指を立てる。
魔法は想像力だとルイゼルは言っていた。簡単だ。指先からマッチの火を灯す。ただそれだけ。以前は鉄扉をも溶かせる球体状の炎を想像して作ったら恒星になったんだ。
大丈夫。今度はマッチの火を想像する。あるいはライターだ。
「ん!」
ゴォと、前髪を焦がしそうな火柱が上がった。夜の闇を切り裂いて周囲が炎色に輝き、気温が一気に上昇する。
漂っていたシルフがビクっと肩を跳ね上げ、慌てて空の風に紛れて消えた。
「……やっちまった。……いや、まだだ」
以前と同じく、俺は炎を小さく圧縮していく。
理想は指先から噴出する炎を、指と同じくらいの長さ大きさくらいまでだ。
火柱が色を変えて縮んでいく。
「ん~……?」
マッチやライターというより、指先から溶接器具のように噴き出しているが、とりあえず大きさは、まあ。
ただ、色が……。
橙色から白に、白から……青に……。
前回は水色だったが、今度はさらに青みを増している。青色超巨星リゲルのように。
「……とりあえず焚き火ができれば」
とりあえず、組んでおいた薪の根元に指先を近づけた――瞬間、ボッと音がして薪は炭どころか灰になって消失した。
「……」
その下の地面が赤くドロドロに溶けている。
枯れ葉をあらかじめどけておいてよかった。心底そう思ったね。
これ以下の火は自分には熾せないと判断した俺は、焚き火を諦めて指先の炎を消――したいけどどうやればいいのかわからない。
想像で火を消すといっても、どうやればよいのか。
まずくね?
ルイゼルに叱られるくね?
いや、魔法的に消せないのであれば、物理的に消せばいいのだ。きっとそうだ。難しく考えすぎなんだ。
「……」
俺はたばこを消すように、枯れ葉を掃除した土の地面に炎を生み出し続けている指をずぶりと差し込んだ。数秒待つ。
もういいか。そろそろ引き抜くか。いや。
地面が溶け始めた。ぐつぐつと、真っ赤に泡立ちながら。溶岩溜まりのできあがりだ。
「……」
周囲を見回すと、溶け始めた残雪の上に座っているウンディーネがいた。
俺がそちらに視線をやった瞬間、ウンディーネは首をぶんぶんと左右に振りながら後ずさった。どん引きした顔でだ。
精霊もどん引きすることを、俺はいま知った。
ルイゼルに習ったおかげで、単語レベルであれば徐々にわかるようになってきたガドルヘイム語を訳せば。
――むり! 蒸発する!
だそうだ。
少し離れた場所では、寝汗を掻いたルイゼルが寝苦しそうに歯ぎしりをしている。このままでは枯れ葉に燃え移りかねないし、そうなれば彼女は生きたまま火葬だ。
俺は心の中で叫んだ。
た、た、助けて誰かぁぁーーーーーーーーーっ!!




