第18話 豪腕の営業部長
風の鎧はすでに纏っている。
恒星魔法は使えない。
他の魔法は試してはいないが、ぶっつけ本番で使う勇気はない。それに発動を真似できたとしても、コツをつかむまで時間がかかる。自滅しかねない。
そんなことを考えた瞬間、オークロードが片膝をついた。
「……?」
直後、右手で大地を掻くようにして岩や石を無数につかみ――。
意図に気づいた俺は叫ぶ。
「逃げ――」
「ダメ! そこにいて!」
走り出しかけた俺の横で、ルイゼルが両手を大地にあてた。
ゴゴと大地が揺れた。オークロードがつかんだ岩や石を振りかぶり、そして投げた。俺たちを目がけてだ。
広範囲に広がりながらとんでもない力で投げられた岩石群を、ルイゼルが魔法で迫り上げた土の壁が防ぐ――が、轟音を立てて壁は爆砕した。
「きゃっ」
「~~ッ」
細かい飛礫が抜けてきたが、彼女を庇うように立つ俺の纏った風の鎧が、かろうじてそれらを逸らしてくれた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「や、こっちこそだ」
心臓が早鐘のように打っていた。
視線を巡らせれば、まるでマシンガンの掃射でも受けたかのように森の様子は一変してしまっていた。俺たちの背後では、広範囲にわたって扇形に大地は抉られ、木々は薙ぎ倒されている。
ルイゼルが魔法で防いでくれなければ、俺たちはもう肉片だ。
「ただの石投げでこれか……」
「次がきます!」
ロードが再び右手で地面を掻いた。また同じ攻撃だ。
「でかい図体して慎重派か! 頭いいなチクショウめ!」
手に持った岩石を再び投げる。ルイゼルが土の魔法でそれを防ぐ。
再び壁は爆散する。飛礫が俺たちへと襲いかかった。
俺は再びルイゼルの前に立って庇う。
この速度の飛礫だけでも、シルフの加護がなければ人体など簡単に貫通する勢いだ。その証拠に地面に地面にあたればめり込むし、樹木など簡単に砕いている。拳銃弾くらいの威力はありそうだ。
このままじゃじり貧だ。どうする。
「ルイゼル、地面を硬化させられるか!?」
「え? ……あ! はい!」
ルイゼルが両手で地面を叩く。途端にでこぼこだった大地がコンクリートのように均され、その範囲が拡大していく。
パキパキと音を立てて。
三度、地面を掻こうとしたオークロードだったが、硬化した地面を掻けずに戸惑ったらしい。ずっと俺たちを見据えていた視線が、地面に下がった。
――いまだ!
一か八か。どのみちやってみないことには通用するかしないかさえわからない。
俺は地を蹴った。でこぼこの山道ではなく、歩き慣れた舗装路のようになっている。さらに風の鎧を纏っているおかげで、自身が考えていた以上の速度で。
拳を固めた右腕に風を巻き付ける。
やつに気づかれる前に叩き込む――!
少なくとも普通のオークであれば、一撃で吹っ飛ばすことができた。その気になれば骨を砕き、内臓を破壊して死に至らしめることも可能だ。
だがあの巨体。筋肉だか脂肪だかはわからないが、骨まで届くかどうか。
残り十歩。
しかし。
「――ッ」
革靴の足音だ。舗装路にしたことで響くようになってしまった。
ぎょろりと動いたオークロードの眼球が、急接近する俺を捕捉する。掌を開いた右腕が上がった。薙ぎ払うつもりだ。
「天ヶ瀬部長!」
ルイゼルの悲鳴のような声が響く。
「部長はやめろッ!!」
「前見て前!」
俺の全身など容易くつかめそうなほどの大きさの掌が急速に迫る。
速く。もっと疾くだ。
地面すれすれまで全身を下げる。両手までついて、四足獣のように。
「んがあああああッ!!」
ぐんと、一段階速度が上がった。シルフの巻き起こす突風が、俺の背中を押した。
いや、それだけじゃない。肉体に力が満ちる。ルイゼルの付与魔法か。
一歩が五歩分の距離になった。
恐ろしい勢いで暴風を巻き起こしながら迫った巨大な掌は、しかし俺の後方を空振っていた。
眼前には、すでにオークロードの巨大な足がある。
「ぬああああああああああっ!!」
蹄を駆け上がりながら振りかぶっていた右の拳を、俺はその脛へと全力で叩き込む。肉を撲つ鈍い衝撃とともに、骨の砕ける音が響くのがわかった。
俺の上腕骨と、そしてオークロードの骨の表面だ。打ち負けた。
だが、まだだ。
肩に突き刺さるような痛みを、歯を噛み殺して耐える。
打ち負けた? だからどうした! そうとも、この程度の痛み!
わかかりし頃に営業先でやらされた、屈辱の宴会芸のときの心の痛みと比べたら――!
拳はロードの肉を掻き分けて骨に到達させてやった。一瞬遅れで右腕から放たれたシルフの竜巻がロードの脚部内側で巻き起こる。
「んがらあああああ~~~っ!!」
そのまま俺は強引に腕を振り抜いた。
肉片が大量に弾け、ぶっとい血管が腕に絡みつく。そいつを引き千切る勢いで、腕を強引に振り切った。暴風がロードの脚部を内側から破裂させる。
無我夢中だった。歯を食いしばり、いつの間にか目すら閉じていたことにも気づかなかったほどに。
返り血と肉片を浴びながら、俺は目を開く。
「~~っ!?」
そうして、眼前の光景に驚いた。
足をぶん殴られたオークロードが、凄まじい勢いで回転しながら空に浮いていたんだ。つまり俺の決死の一撃が、何トンもの重さのはずのオークロードを空に打ち上げた。
前方に五回転ほどしたオークロードは顔面から大地に落ち、その頭で舗装された山道を轟音とともにかち割る。
ざぁと、地に伏せたロードの顔面から血だまりが広がっていく。
「……」
「……」
動かない。動かないぞ。
死んだか。あるいは気絶でもしたか。
とにかく動かない。
俺は恐る恐る近づいて、足の先でやつの頭をつついてみた。
動かない。
「か、か、勝った……? ……俺、勝ってる?」
俺はルイゼルと目を見合わせる。
いや、彼女は俺の目を見ていなかった。ルイゼルが見ているのは、オークロードの巨体を一撃で打ち上げた、この俺の自慢の豪腕だ。
黄金の右腕。豪腕の天ヶ瀬。これからそう呼ばせよう。いいぞーこれ。
しかし有頂天の俺とは正反対に、彼女は顔をしかめながら遠慮がちに口を開く。
「……あの、それ、痛くないんですか?」
「うん? 何が?」
俺は自分の右豪腕に視線を落とす。
なんか関節から先がブランブランしている。常日頃から曲がる方と、絶対に曲がってはいけない方を、交互に行き来しながら。風に揺れて。
おまけに折れた骨が皮膚を破って突き出していて、血がダラダラだ。
脳が認識した瞬間、激痛が俺を襲った。
「ぎゃああああああああああっ!? いっ痛ぁぁぁぁ! 嘘だろ? こ、これ、どうなってんのかちょっと看て!」
「きゃああああああああああっ!?」
ルイゼルがものすごい勢いで遠ざかる。
なんで逃げるんだよ。
「頼むから看てくれルイゼル!」
「ヤダヤダヤダ怖い! 痛いの怖いもん! 気持ち悪いものブラブラさせながらこっちこないで!」
別の意味に聞こえた俺は、その場で膝を突いた。
「そ、そんなこと、言うなよ……」
腕どころか心まで折られそうな辛辣さ。
それはかつて俺が経験したことのない痛みだった。




