第17話 社畜とエルフとオークロード
いくら何でもでかすぎだ。
あれがオークロードか。ロックゴーレムよりも体長も横幅も上じゃないか。普通サイズのオークが子豚に見えてきいた。
――ゴフー……ゴフー……。
呼吸音まででかい。垂らしっぱなしの涎の一滴がバケツ分量だ。それにこの獣臭。鼻が曲がりそうだ。
救いといえば、やつに合うサイズの武器はなかったということくらいか。オークロードは素手だ。
と、思った瞬間。
「はあ……?」
やつは発達した前脚で左右の大樹をつかみ、強引に引っこ抜いた。どうやら武器に使うつもりらしい。俺たちはもちろん、オークらも、引き抜く際の震動だけでふらつくほどの大樹をだ。
俺は生唾を飲んでつぶやく。
「早く逃げよう……」
後方の分厚い包囲を危険を承知で蹴散らしてでも、あんなものを相手にすべきではない。
だが、ルイゼルは。
「もう遅いです。逃げ切れません」
「そうか? 鈍そうに見えるが……」
「彼らはもともと四足獣です。いまは二足で歩いていますが、その気になれば前脚も使えます」
「納得ぅ~……」
ヒグマの走る速度は時速にして、最高で五十六キロだと言われている。眼前のアレがあの巨体でどこまで走れるかは不明だが、その気になって人より遅い四足獣なんてほとんどいないだろう。
シルフに逃走の補助をさせたとしても分が悪い。それにルイゼルを置いていくわけにはいかない。
「背中を見せる勇気、あります?」
「たったいま失せた」
正面向いてても終わりそうなんだが。
――ゴアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
咆吼が響く――いや、轟く。
至近距離で鳴った雷轟のように、空間はおろか大地まで震わせて。
そうしてオークロードは両手に持った大樹二本を振り上げた。
「避け――」
ルイゼルの言葉より早く、シルフの風を纏った俺は彼女の身体を抱きかかえ、跳躍しながら後退した。
右の肩に抱え上げられた状態のルイゼルが、臀部を両手で押さえながら抗議の声を上げる。
「ちょ――!? わたしスカートだからっ!」
「言ってる場合か!」
この方が早い! いまはハラスもクソもない!
そう言いたいが、そんな余裕さえなかった。
大樹の範囲外を目算で測って逃れたはずのバックステップだったが、その一振りで巻き起こされた暴風に煽られ、俺たちは空中でバランスを崩し、オークの群れへと叩き落とされてしまった。
「ぐ……!」
とっさにルイゼルを抱え直し、自らの身を下にする。
背中に衝撃が走った――が。
「ちょっと、天ヶ瀬部長!? 大丈夫ですかっ!?」
「部長呼ぶなぁ!」
幸いクッション性のあるオークの豚バラに突っ込んだおかげで、致命傷にはならずに済んだ。クッションオークは口から色々吐いてのたうち回っているが。
そんなことよりも、だ。
纏ったはずのシルフの風の鎧が、完全に消し飛ばされた。たった一撃で。しかもちゃんと避けたのに。
「冗談キツい」
「天ヶ瀬さ――!」
と。
オークが振り下ろした石斧を転がって躱し、俺たちは背中合わせで立つ。
おそらくオークロードが追撃してこないのは、周囲のオークを巻き込むことを恐れているのだろう。
「いっそ囲まれてた方が安全ですね。こいつらがわたしたちに絡んでる限りは、手を出さないみたいですし」
「……どーかなー……。長い目で見れば、それは早計だと思うな~……」
「どういう意味です?」
ここでロードの追撃がないことは、俺たちにとって有利不利で言えば、不利側に働いている。要するに知性の存在だ。
オークロードには明確な知性がある。己の食欲や性欲、破壊衝動よりも、仲間を優先するだけの知性と、そして理性が。それは剣や斧などよりもよほど危険な武器だ。
実際にロードは、俺たちに手を出しあぐねている。振り上げた大樹を振り下ろせないでいる。自身の足下で繰り広げられる戦いを、おろおろと見下ろしているだけだ。
再びシルフの鎧を纏い、オークどもの攻撃を躱し、受け流しながら考える。
ロードに対し、普通サイズのオークがこちらを攻撃し続けているのは、一般オークはロードほどの知性を保有していない証でもある。
ぶんと、俺の鼻面を掠めて棍棒が落ちた。
「とにかく、少し数を減らしましょう!」
そのオークの脇腹へと、ルイゼルが掌で生み出した炎を叩き込む。火だるまになったオークがパニック状態で走り回り、他のオークを巻き込んでいく。
これは都合がいい。やつらの脂身はよく燃える。
だが。
「~~ッ!?」
上空から打ち下ろされた大樹が、火だるまのオークだけを叩き潰した。びしゃりと血や中身が弾けて、周囲に飛散する。
オークロードだ。やつが仲間を叩き潰したんだ。
だが、意図はわかる。ロードは火に包まれたオークのみを潰すことで、これ以上の被害の拡大を防いだ。事ここに至って、ルイゼルも実感できたようだ。知性というものの恐ろしさを。
「オークロードってこんなに知能が高かったの!?」
そう、だからこそ。
オークロードの怒りは天をも揺るがした。空に向けた咆吼は遙か上空の鳥を落とし、流れる雲をも割った。
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
俺たちはただ耳を塞いで、それが通り過ぎるのを待つ。
耳から手を離して目を開けたとき、そこにはもうオークたちの姿はなかった。おそらくロードの怒りに触れて、逃走したようだ。
俺たちの前には、眼球を真っ赤に血走らせ、両手に持った大樹さえも握りつぶしたオークロードだけとなっていた。
折られ砕けた大樹が地面に落ちる。
「謝罪は受け容れてくれなさそうだ。手土産もないしな」
「ビジネスじゃないんだから無理ですよ。わたしたち、散々オークを殺しましたしね」
そらそうだ。仕事のようにはいかないか。
なるほど。彼女がビジネスの謝罪を楽な仕事だと言い切るわけだよ。まったく。
「まあ、あなたは殺されても、わたしは生きたまま囚われるのでしょうけど」
「オークはエルフが好きなんだったか。うらやましいね」
「他にも女性騎士とかも好きですよ」
ロードから目を離さず、じりじりと後退しながら、会話を重ねる。
「エルフのお酌で許してくれないかな。俺はダメでも、キミだけなら生き延びられるかもしれん」
ルイゼルが呆れたようなため息をついた。
「平和ぼけ。日本じゃないんだから。お酌で済むならお酒くらい注ぎますが、求められるのはそれ以上です」
「それ以上って」
「もう、そんなことまで言わせないでくれます? 運良く日本に帰れたら、オークとエルフの出てくる安い同人ゲームでもやってください。なるべくゲスいやつです。大体合ってますから」
「同人ってなに?」
「ググれ。どうせ帰れませんけどー」
まあ、何となく想像くらいはつく。
俺は風を纏う。
「んじゃやっぱ却下だな。そういう相手は取引先にふさわしくない」
ルイゼルをそんな目に遭わせるわけにはいかない。謝罪の際にも不埒な提案をしてくる取引先がいたが、一度たりとも彼女にそんな役目を負わせたことはない。
「すみません」
「部下を助けるのは上司の勤めだ」
「じゃあ~? えっとぉ、たとえ命をかけることになっても、わたしのことだけは守ってください」
「なぁ~んか抵抗出てくる言い方だなあ!」
俺たちが数十秒かけてどうにか後退した距離を、ロードが一歩で詰めてきた。やはりどう足掻いても逃がしてくれそうにはない。
知能の高さを表すように、やつはすぐには襲いかかってはこなかった。じっくりと観察されているのがわかる。おかげで無駄口もはかどるってもんだ。
「ふふ。冗談です。もう一つ付け加えるなら、あんな種族の好きにされるくらいなら天ヶ瀬さんに差し上げますよ」
「……? いまのってプロポーズ?」
「冗談だと言いましたが? あなたやっぱりわたしのこと好きなんですか? これが最期になるかもですし、そろそろ正直に言った方がいいと思いますよ」
「俺はいつも正直だよ」
「頭に馬鹿がつくタイプのかしら」
ひりつく。鳥肌が収まらない。震え上がりそうだ。依然状況は絶望的。
でも。
不思議と会話を重ねるごとに落ち着いてくる。無駄口もいいもんだ。




