第16話 部長の覚醒
――ピギィィィィィィ!
豚の悲鳴のような叫び声が上がった直後、俺たちを取り囲んでいた猪顔のオークらが一斉に地を蹴った。大地が揺れる。
「避けて!」
オーガ族ほどではないが、一体一体の体躯はでかい。体長こそ俺と同程度だが、体重となれば三倍近くの違いがあるだろう。ましてやその肉体を二足で自在に動かす筋力は、そこそこ速度の乗った軽トラか相撲取りのぶちかましくらいの威力になるはずだ。
せっかくだから、この前の魔法を試してみよう。
「天ヶ瀬さん!?」
俺は棒立ちでやつらを引きつけながら、心でシルフに念じる。
ウンディーネよりもさらに透明に近い精霊は、ほとんどノータイムで顕現した。直後、念じるまでもなく小さな彼女は、風の鎧となって俺の全身に纏わり付く。
ふわりとネクタイが浮いた瞬間、俺の額の寸前にまで迫っていた石斧が、空を裂いて地面に叩きつけられた。
大地が豪快に爆ぜる。けれど、俺はもうそこにはいない。
半身を引いて躱した俺は、風を纏った左の拳をオークの脇腹へと叩き込んだ。砂袋を殴るような重みに、俺は顔をしかめる――が、やや遅れて纏った風が左腕を伝い、竜巻のように渦巻きながらオークへと叩きつけられる。
シルフの追撃だ。
――カァ……!
瞬間、口を開けて大量の涎を噴きながら、オークの巨体が宙を舞った。やつらの体長を遙かに越えた高さを舞ったんだ。そいつは背中から地面に叩きつけられると、地響きとともに一度だけバウンドして転がった。
白目を剥いて、泡を噴いている。
「お、おお……」
思ったより効果があるようだ。
地面を這うように薙ぎ払われた石斧を、最低限の跳躍で躱す。着地と同時に今度は身を低くして、オークの足の側面を蹴った。
むろん、シルフの加護つきだ。
「よっこい!」
骨に砕ける鈍い音が響き、巨体がこちら側に倒れてきた。
それをバックステップで躱して、背後から襲いかかってきた別のやつを後ろ回し蹴りで、押し離すように蹴り飛ばす。
「せいっ」
――……ッ!?
後方に背中から転がったオークは、しかし全身を土で汚しながらも膝を立てる。
「ありゃ、だめか」
「何をのんきなこと言ってるんですか! 早く殺して! 容赦なく殺して!」
しかしその顔面へと、ルイゼルの放った炎の球体が直撃し、頭部を焦げ付かせたオークは地響きを立ててうつ伏せに倒れた。
むごい。あ、でも肉の焼けるいい匂いがする。
ルイゼルはオークから逃れて俺を巧みに盾にしつつ、次々と魔法を放つ。生み出される炎はオークを灼き払い、迫り上がる大地はその身を穿つ。
「ほら、また来ましたよ!」
「わかってるから、背中つかむな! 動けんだろ!?」
こっちは必死だ。渦巻く風を纏わせた腕で石斧や棍棒を払って逸らせ、拳や足で突風を叩き込む。オークの巨体がおもしろいように空を飛ぶ。
――ピギイイイィィ!
――ピキュゥゥ!
棍棒を掌で払って、鼻面を掌底で突く。ルイゼルを狙ってきたやつの足を蹴って止め、巨体を駆け上がりながら顎を蹴り上げる。
しかし、これ。シルフの加護があるとはいえ、我ながらすごいな。香港のアクションスターになった気分だ。吹っ飛び方がワイヤーアクションみたいだから。
楽しくなってきた。
「く、くっくっく……」
後脚の蹄を踏みつけて固定し、脇腹を拳で突き上げる。オークが膝を折って崩れ落ちる前に耳をつかんで、側方から薙ぎ払われた石斧をその肉体で防いだ。
ドチャっと嫌な音がして石斧がオークの背中に食い込み、飛散した血が顔にかかった。
「はは!」
「何笑ってんですかっ!? 捕まったらスケベされるんですよ!」
「はぁ~~~っはっはっは! ……え? ……キミだけだろ?」
「ひどいぃぃ! 天ヶ瀬さんのバカァァァ!」
蹴る。殴る。捕まるわけがない。ようやく理解できた。
俺って結構強かったんだ。こんなことなら社長とか専務とかそこらへんの上司を並べて、端から一発ずつぶん殴ってから異世界転移したかったなあ。
もちろんシルフの加護ありきで戦えていることはわかっているけれど、それを差し引いてもイメージ通りに肉体が動いている。
鼻面を叩き潰し、風を纏った両方の掌で棍棒を正面から受け止める。革靴が地面を掻いて滑ったが、それだけだ。
俺は逆にオークの腕を蹴って棍棒を奪い取ると、その脇腹へと逆袈裟に振り上げた。
「んがらっしゃあ!」
オークの巨体が上空まで舞う。ホームランだ。代償に棍棒もへし折れてしまったが、素手でも問題ない。
折れた棍棒を投げ捨てる。
高所から落ちて潰れたオークを見て、ルイゼルがぽつりと漏らした。
「嘘でしょ……。どうしてそんなに強いんです? もしかして昔はヤンキーかなんかだったの?」
「優等生だよ。喧嘩なんてしたこともない。生き物を殴るのはこれが初めてだ」
「その割に躊躇いがなかったですけど」
「思い切りはいい方ってよく言われる」
破れかぶれのオークの突進を、ひらりと躱す。
もちろん背中のルイゼルを庇うことも忘れない。躱す際には彼女の肩に腕を回して、ふたり一緒に踊るようにだ。
「ちょ――あ!」
勢いがよすぎて、ルイゼルだけ吹っ飛んでった。
体勢を崩したルイゼルだったが、上昇気流に乗るようにふわりとその身が浮いた。そのまま音もなく静かに足をつける。
どうやらシルフは俺のイメージを正しく汲み取ることができるらしい。その上で局所的に突風を吹かせ、サポートをしてくれる。
素晴らしい。
ルイゼルはスカートを押さえてこっちを睨んでいるが。
「も~! わたしを庇う必要はありませんから、こいつらを早く倒してください!」
「うん、ありがとう」
「何への感謝!?」
眼福と言いかけてやめた。
その後も俺たちは背中合わせで、危なげなくオークをたたき伏せていく。その数が十体を超えたとき、やつらは襲いかかることをやめた。
「あきらめたのか?」
「……」
だが俺たちの包囲は解かず、依然として距離を保ったまま武器を構えている。
ルイゼルが唇の前に人差し指を立てた。その目が閉ざされ、長耳が動く。俺は無意識に呼吸を止めた。音に集中してもらうためだ。
彼女の目が開いた。
「だとよかったんですけどね……」
「何かくる?」
「ええ」
「どれくらい?」
「一体です。ただ――」
ああ、わかった。
俺は彼女の言葉を手で制した。
聞こえてきたんだ。俺の耳にも。
そして草むらではなく、樹木が揺れるのがわかった。というか、折り曲げられている。ミシミシと音を立て、地響きを起こして倒れていく。
「……なあなあ、あれ、でかくない?」
「最悪です……。なんでこんなところにオークロードが……」
「オークロード?」
一瞬躊躇いを見せたあと、ルイゼルが囁くように言った。
「オーク族の王です。魔物から魔族に認定されるくらいの危険な特殊個体だと思ってください」
直後、凄まじい咆吼がこだました。
それは音波のみで樹木から木の葉を吹っ飛ばし、シダ植物を薙ぎ払い、俺たちに直撃する。
「イッ!?」
「~~っ」
反射的に耳を押さえた。腰が抜けそうになった。聴力の高いルイゼルにいたっては、実際に膝から崩れ落ちたくらいだ。
ぶわり、と全身から冷たい汗が浮いた。
寒気がして鳥肌が立つ。頭蓋の中ではまだ咆吼がこだましている。
「……」
本能が警鐘を告げていた。これまでオーガ砦にいても、オークに囲まれても、危機感などなかったというのに。
姿はまだろくに見えてないけれど、なんかヤバそう。
「逃げましょう!」
「その方がよさそうだ」
けれども、俺たちが後ずさった瞬間、オークの包囲網が変化した。
巨大な何かが通る道を空け、俺たちの退路を断つように側面と後方を分厚くする。
「う……」
それを確認した直後、樹木をへし折りながら、そのあまりに巨大すぎるオークは、木々の隙間から、俺たちをギロリと見下ろしていた。




