第13話 休日が必要です
口数が減った。草原を踏みしめる足下もおぼつかない。
ロックゴーレムとともに過ごした熱い夜は明け、爽やかな、とは言いがたい朝が訪れていた。
さすがに疲労の限界だ。徹夜生活に慣れてる俺はまだしも、ルイゼルは瞼が下がりかけている。足取りはもはやゾンビ映画だ。
不眠不休な上に水分も食事もなしでは。
ロックゴーレムを倒した場所からは、方向を何度か変えながらかなりの距離を歩いた。たぶん追っ手に見つかることはないだろう。
しかしここで休んでも、水分補給はできない。ロックゴーレム戦で魔力を使い果たしてしまったルイゼルには、もはや魔法で穴を掘ることも難しいらしい。
ふらついたルイゼルの腕を、反射的につかむ。
「大丈夫? 背負おうか?」
「ハラスゥ~」
言葉とは裏腹に、彼女は俺の背中に寄りかかってきた。
たぶん本当に限界だったのだろう。
俺が膝を曲げると、よじ登ってくる。体型はモデルのようでも、背丈はさほどでもない。日本人の女性平均くらいだ。だからだろうか。思ったより軽い。
背負われたルイゼルは俺の肩と首に頬を寄せ、すぐに寝息を立て始めた。ちょっとこそばゆい。
「しかしまずいな、これ……」
俺も正直なところ、かなりキツい。草の葉の夜露朝露だけでは喉は潤わない。だが足を止めれば死が待っているだけだ。
それから数時間。俺も限界を迎える頃、地平の彼方に大きな河が見え始めた。
自然、足も速くなる。
ようやく辿り着く頃には、日が傾き始めていた。
彼女を下ろして、河に歩み寄る。手を浸すと、ひんやりとした。
水は綺麗に見えるが、果たして日本人の俺の腹に合うだろうか。こんな世界で腹でも壊した日にゃあ、目も当てられん。
だからといって火で沸かして飲もうにも鍋はないし、濾して飲もうにも汲めるペットボトルさえない。ハンカチだけじゃ濾過というには不足だ。
しかしもはや背に腹は代えられん。
顔面を浸して飲んでやろうとした瞬間、ルイゼルにYシャツの襟首をつかまれて引き留められた。
「何やってんですか。お腹壊しますよ。あ、あれ?」
引き留められた勢いのまま、俺は背中から河原に倒れ込む。
限界だ。力が入らない。吐くものもないのに吐きそうだ。心音が自分でも聞こえるくらい上がっている。胸を内側から破られそうだ。頭痛がして、目の焦点も合わない。
ルイゼルがいっぱい見える。ちょっとしたハーレムだな。
ひとりくらい俺のことを好きになってくれてもいいのにな。
「天ヶ瀬さん? 死ぬんですか?」
「……ぜ、ん員で、覗き込むな……」
「全員? お~い。あ、これだめなやつかも。大変だ」
眠い。目を閉じる。
眠りはすぐに訪れた――が、唇を湿らす水分に、細胞レベルで覚醒した。
水だ。水が顔に垂れてきている。
俺は口を開いて、貪るように水を飲んだ。視界に入った光景は、俺を見下ろしているルイゼルの顔と、これまた半透明な精霊らしき水色の生物が掌から水を出しているという水芸だった。その水が俺の顔にかかっていたらしい。
なんだ、幻覚か。
だがその光景はすぐに揺らぎ、俺は再び意識を失った。
なぁ~るほどね、これが過労死というやつか。
瞼を上げても真っ暗だった。
やはり死んでしまったのかと思いきや、どうやら夜らしい。だいぶ眠っていたようだ。空には昨夜と同じく星空が広がっていた。
身を起こすと、さすがに身体が重い。少し熱が出ているのかもしれない。
河の流れる音がしている。だが少し離れているようだ。魚だろうか。せせらぎとは別のバチャバチャという音が聞こえる。
「ルイゼルか……?」
俺が眠っている間に身体でも洗おうとしているのだろうか。
いいぞこれ。閉じるな、開け、俺の目よ。
「ん……」
すぐ隣で聞こえた声に視線を下げると、彼女がいた。
身を起こした俺の横で眠っている。
ええ、じゃあ、あれは誰?
月明かりはほとんど頼りにならない。だが、川の畔で何かが動いている。何体も何体もだ。河から川岸へと、真っ暗な闇が上がってきているようだ。
ゾワッと背筋が凍った。
焚き火――!
ルイゼルが眠り込む前に作ったと思しき焚き火は消えてしまっていた。少ないが薪はまだある。
俺は慌てて焚き火あとにそれを放り込んでから、隣のルイゼルを揺すった。
「ルイゼル! 起きろ!」
「……んぁ……」
薄目が開く。
俺を見て、天ヶ瀬部長、とつぶやき、再び目を閉じた。
「寝るな、何かくる……!」
「……え……」
ルイゼルが身を起こした。
河から這い上がってきた集団は、もはや確実に俺たちを目指して歩いてきている。濡れた足音がいくつも重なり、闇だけが近づいてくる。
ずる……ぺたり……ずる……ぺたり……。
不気味な目だけが、異様に光って見えた。
「焚き火! 消えて――」
「薪は積んどいた。俺がやると吹っ飛ばしてしまうから、疲れてるだろうけど火付けだけ頼む」
「わかりました」
ルイゼルの掌から炎が噴出する。
彼女は自らの掌をくべるように、積まれた薪の底に入れ込む。炎はすぐさま薪に燃え移り、橙色の光が周囲の闇に浮いた。
ずる、ぺたり、という足音が止まる。
その直後、不気味なうなり声がいくつも折り重なって、河から這い出た何者かは後ずさり、再び水の中へと帰っていった。
「こっわ。何だったんだ、あれ。ホラー映画みたいだ」
「わかりません。名前のついていない魔物なんてガドルヘイムには山ほどいますから。ただ、数にも依りますが危険度は低かったかも。火を噴く魔物以外にも、本当に上位の魔物は火など恐れもしませんから。水棲系は特にです」
「そっか」
ふたりで焚き火をくべる。火が徐々に育っていく。
いいね、こういうの。キャンプみたいだ。バケモンさえいなければだが。
河の方角が不安だ。闇が蠢いているような気がする。
「河原からここまで運んでくれたのか?」
「ええ。重かったです」
「ありがとう」
ルイゼルが面食らったような顔をしたあと、苦笑する。
「わたし、もっと長い距離をあなたの背中で過ごしましたよ。よく眠れました」
「俺と違って軽いだろ」
「でしょうね。でもまあ距離はありましたし、お互いさまということにしましょう」
「ああ。お互い限界だったんだろうな」
少し笑い合う。苦笑だ。
なんだか当初より態度が軟化しているように思えるな。
ルイゼルが足を投げ出すように座り、長い息を吐いた。
「明日は一日休んで、河で魚でも捕って食べましょうか。休日が必要なようです」
「え? あんなバケモノが棲んでる河で釣りすんの?」
「うふふ、あんなバケモノでも釣れたら食べますよ」
え?




