第12話 エルフは邪悪に微笑む
動かなくなった岩石の上にふたり並んで寝転び、俺たちは荒い息を整えていた。
尻の下のこいつがただの魔物ではなく、ロックゴーレムと呼ばれる魔族の尖兵、それもただの疑似生命体であると教わったのは、つい今し方のことだ。
おそらく哨戒中だったのだろう。ここはまだ魔族領だから。
「……疲れた……」
「でしょうね……」
運動量としては走った距離も含めて、さほどのものでも時間でもなかった。だが、極度の緊張状態で無理矢理動いていたせいで、筋肉と精神の疲労の蓄積は、まるで二徹した翌日のようだ。
目を閉じていると意識が遠のく。
「でも、移動しましょう。これが哨戒だとしたら、オーガ砦のような魔族の拠点がさほど遠くない距離にあるということです。そこにゴーレムが戻ってこなければ、明朝には必ず様子見に部隊が派遣されます」
「発見されたら面倒だなあ」
「なので疲労はわかりますが、少しでもここから離れた方が安全です。ほら立って。スタンダップ」
はあぁぁ……。
俺は仕方なく起き上がった。
全身に錘をぶら下げているかのようなだるさだ。
「……あ~、だったらさ、さっきの精神高揚魔法、もう一回かけてくれないか」
「へ? どうして?」
きょとんとした顔をしている。察しの悪いやつだ。
「あれがあれば疲れがぶっ飛びそう」
先に立ち上がったルイゼルが、耳を垂らして視線を逸らした。自らの顎をつかむように指先を添え、眉根を寄せている。
「だめか? それともあのテンションアップ効果は薬物みたいなもんで、実は副作用がある魔法だったとか? 依存性ある?」
あれだけの力が湧いてくる魔法だ。薬物だったら相当ヤバい部類なのかもしれない。
彼女は金色の髪を指先で少し巻いて、訝しげに俺を横目で見ながら尋ねてきた。
「いえ、そうではなく。あれ、効いたんですか?」
「ああ、うん。すっごくやる気が出た。万能感っていうのかな」
とんでもなくだ。若返ったみたいだった。五徹までならいけそうだ。いや、ビジネスで考えるのはやめよう。テンションが下がる。
ニヤリと、ルイゼルが笑みを浮かべた。
「そうなんだ。へえ~。天ヶ瀬部長でもやっぱりそうだったんだぁ」
「部長言うな。何その反応……嫌な予感がするんだが」
「言おうかなあ~。やめとこっかな~」
気になる。てか怖い。聞かないと怖い。
俺は仕方なくつぶやく。ずるい言葉を。
「上司命令だ。報告しなさい」
「ふ~ん?」
今度は迷うように目を閉じてニヤけている。
けれどやがて。
「まあ、上司命令では仕方ないですね。日本に戻ったときには、どこの会社でもいいのでまた天ヶ瀬部長の下で働きたいと思っていますから」
胸に染み入るね。
「じ~んとくるわ、その台詞……。ありがとう……。でも部長言うな……」
「だってぇ、サボり放題なんですもんっ。失敗しても助けてくれますしっ」
「……」
がっくりくるわ、その台詞……。
俺は促す。
「で? つまり?」
「聞いて後悔とかしません?」
「いいから。このままじゃ気になって夜も気絶するまで眠れん」
「どういう生活してたんですか。よく今日まで過労死しませんでしたね」
ルイゼルが少し頬を紅潮させてうなずいた。
「わかりました。手っ取り早く言いますと、そういった類の魔法は精霊にしか使えないんですよ」
「そういった類? どういった類?」
俺が首をかしげると、なぜか彼女も同じ角度に傾げた。
子供か。かわいいな。
「他者の精神に作用する魔法という意味です。日本で言う精神支配に強制力をつけたような魔法です」
「はあ? いや、でも俺は実際に――」
ルイゼルが両手を合わせるように自らの鼻と口を覆い隠し、視線を伏せた。
「……だからあれ、ただのキスだったんですけど……?」
「魔法ではなく?」
「はい。頑張って、という意味の。それなのに効いちゃったんですかぁ? もしかして、わたしのこと、好きなんですかあ~?」
ニヤニヤ、ニヤニヤ。
俺はようやく地雷を踏んだことに気がついた。
「……」
猛烈な勢いで血が上昇した。顔面が熱い。大発火だ。
聞いて後悔した。聞くべきじゃなかった。だがいまさら「いやまったくこれっぽっちも効いてなかった」は通用しないだろう。
なんて応えればいいんだ。表情には出さないよう、心がけながら考える。
もうよしたまへ。それ以上はハラスだ。……これは違うな。
実はキミが好きだったんだよ。……可否に関係なく取り返しがつかん。
フ、どうせなら唇にしてくれたまえよ。……言えるかバカ。
どうしたものか。どう応えればいいのか。
ええい、ままよ!
「フ、どうせなら唇――」
「付与魔法は――」
同時に口を開けて、互いに言葉を止めた。
妙な雰囲気になっている。
俺は掌を上に向けて、彼女の言葉を促した。
「そっちからどうぞ」
「あ、はい」
あっぶねえ! 錯乱して唇にしてって言いかけてたわ!
バカ! 俺のバカ!
「付与魔法というのは本来、無機物にしか作用しないものなんです。えっと、剣に魔法の力を宿したり、鉄の鎧でも魔法を防げるようにしたり。人間に作用するものはありません」
「そーなんだ」
「だから、天ヶ瀬さんがシルフの風を自身の肉体に付与したときに思いついたんです。わたしの岩石魔法を天ヶ瀬さんなら纏えるかもって。火でもよかったんですが、もしそれが見込み違いだったら燃えちゃうので」
「ひょ……。人体実験反対!」
「失礼な。ある程度の確信は持ってましたってば」
本来シルフの使役とは、情報収集の他、敵に向けて突風を吹かせたり風の刃を作り出したりが主らしい。俺のしたことは、その常識を破ることだったみたいだ。
「それで岩石魔法を腕に付与してみたら、本当に岩を纏っちゃって。バランス取るために質量を増したり、実体を強化したりも、本来は武器に対するものです。折れないように、曲がらないように。全部付与できちゃうんだもん。びっくりしましたよ」
「その原理でいくと、精神の増幅もできたのでは」
ルイゼルが首を左右に振った。
「精神に作用はしません。というか、そもそもそんな付与魔法はないんです。少なくともエルフ族にも魔族にも」
彼女がまた、ニヤけ面に戻る。
唇を指先で押さえて、躊躇いがちに。
「え~っと、だから、激励とか、戦国武将の檄とか? もっと平たく言えばチア的な応援? あのキスはそんなおまじないの類でしかなくって。でも、天ヶ瀬さんには効いちゃったんですよね?」
「う……」
エルフは邪悪な笑みを浮かべた。
くるぞ。くるぞ。また言われるぞ。
「もしかしてぇ~、天ヶ瀬さんったらぁ~、おじさんの分際でわたしのことが大好きなんですかぁぁ?」
意趣返しだろうか。ついこの前、俺が彼女に言ってしまった言葉だ。照れ隠しの赤面というよりは、何やら勝ち誇ったような半笑いになっている。
邪悪。見るからに邪悪。
だから俺はあえて彼女の言葉を借りて、煙に巻くことにした。
「日本にいた頃から女性として一定以上の評価はしてる」
「……」
あ、なんか不満げ……。




