第11話 企業戦士LV99(社畜)
ルイゼルの声が響いた瞬間、俺は反射的に飛び退いていた。その眼前を、空を大地へと落とすかの如き勢いで巨大な岩石の拳が上から下へと通過する。
衝撃と暴風、そして大地が爆ぜた。
地面が足につく前に暴風を受けた俺はさらに後方へと飛ばされ、地面に触れた踵によって背中から転がされ、何回転もして平原に転がっていた。
痛……。い、いま、何が起こったんだ……?
目を開けて起き上がるも、辺りは闇に呑まれていた。どうやら拳を叩きつけた際に発生した爆風で、焚き火も消し飛んだらしい。
闇に目が慣れていない。地面さえろくに見えん。
暗闇の中で地響きだけが伝わってくる。けれど相手も俺を見失っているのか、こちらには近づいてきていないようだ。
いや……。
足音だけじゃない。何かぶつかり合うような音まで響いている。
ルイゼルが魔法で応戦していて、どうやらそちらに岩石巨人は向かっているようだ。
「~~ッ!」
気づいた瞬間、俺は音のする方向へと走り出していた。
部下の安全を守るのは、上司の勤めだからな。
前方を凝視する。二メートル先も見えない。が、だからこそだ。わかることがある。
不自然にあまりに暗すぎる場所、闇の密度の濃いところに向かって跳躍し――。
「ぬおおおおおおおっ!」
俺は全身で抱え込むようにそれを押した。
あの岩石巨人の大きさだ。俺の身長じゃ岩石巨人の足一本分もない。だが、うまくすれば転ばせることくらいはできるはずだ。
が、思ったよりそれは軽かった。あと、岩石の割に柔らかく。
「うぶッ!? きゃああああああっ!?」
ダァンとそれを押し倒して気づく。
ああん、間違えた。これルイゼルだわ。
叩きつける直前――というより抱きついた瞬間に気づけたため、どうにか地面には勢いを殺して押し倒すだけで済ませられたが、俺たちは抱き合ったまま転がった。
直後、仰向けになっていた俺の視界から星空が消える。その横にはルイゼルの美しい顔もあるが、さすがにこの状況では目に入らない。
「お、おお……? 空が……消え……?」
「ちょ、ちょっと何を――」
それが岩石巨人の足裏だと理解した直後、俺たちを目がけて降ってきた足裏を、横に転がって躱した。
「わあああああっ!!」
「へ? きゃあああっ!?」
岩石巨人の足が大地に打ち下ろされ、凄まじい震動が巻き起こる。
転がりながらルイゼルが地面を叩いた。大地が一気に盛り上がり、野太い柱のような形状となって岩石巨人にぶつかっていく。
凄まじい衝突音がした。
ああ、さっき聞いた音はこれかと、ようやくわかった。ルイゼルの魔法が岩石巨人とぶつかって散る音だったんだ。
ともあれ、効いてはいなさそうだ。やつは構わず、方向転換をしてまた俺たちを踏みつけようとしている。
俺たちは同時に跳ね上がって、岩石巨人の踏みつけから逃れた。ルイゼルが突然俺の腕に両腕を絡め、引っ張って走り出す。
「な、なな何やってんですかっ! いまのは完全にハラスですからね! 女子社員を押し倒すなんて! 言い訳はありますかっ!?」
「説明がめんどい。裁判受けるわ。生き残れたら」
岩石巨人が地響きを立てて追ってきた。
徐々に目が慣れてくる。地面くらいは見えるようになってきた。
くっつきすぎて走りづらいが、おそらくこうでもしないと闇の中の逃走でははぐれてしまうだろう。それにしても。
ふはははは、役得だ! お世辞にも柔らかくはないけどな!
「せっかくわたしが頑張って引きつけてたのに、なんで逃げてくれないんですかっ!」
俺は若干格好をつけた低い声で言い放つ。
「あまり俺を見くびるな。あんなバケモノの前にキミだけを置いていけるわけないだろ」
「まあ男らしい! きゅんっ! とかなってないですからね!?」
「そっかぁ……。残念……」
無駄口を叩きながらも必死の形相で全力疾走だ。
「対応が素直すぎて不覚にもきゅんです」
「やったぜ!」
地響きが近づいてくる。やっぱ闇の中じゃ足下があまり見えなくて、オーガ砦とは違って全力で走れない。こりゃすぐに追いつかれるな。
「てかですね! こ、この状況でいきなりそんなこと言うの、ほんと、ただの死亡フラグなんだから……っ」
「きゅん?」
「ちーがーう! わたしだけ、その、残していけないのところ、です」
なんかゴニョゴニョ言っている。
「なら、いつ言えば納得するんだ。普段から言ってる方がヤバいだろ。てか俺はルイゼルの上司だぞ。命がけで部下を守るのはあたりまえだ」
しばらく、走る俺たちの足音と、そして地響きだけが闇に響いていた。
が、やがてルイゼルが低くうなるような声でつぶやく。
「……ああ、そういう理由。そういうアレですか。まあ、いえ。……てか結局ビジネスっぽいこと自分で言ってるじゃないですか」
「自分で言うのはいいんだ! 他人に言われるとテンション下がる!」
「う~わ、まためんどくさ。とにかく――!」
腕からルイゼルが離れた。その場で地面を掻いて止まり、再び大地に両手をつける。
「時間を稼ぎます! 天ヶ瀬さんは先に! 日の沈む方角の最初の水場で落ち合いましょう!」
直後に大地が盛り上がり、硬質化するような音を立てながら岩石巨人へと襲いかかる――が、先ほどと同じだ。それはやつの歩みを止めることすらできずに砕け散った。わずかによろめかせただけ。稼げて数秒だ。
「だめか……ッ」
バケモンの踏みつけを、ルイゼルは器用にステップで躱す。魔法だけかと思いきや、それなりに身体の動かし方も知っているらしい。常に何らかの魔法を放ちながら、大振りな攻撃をかろうじて躱している。
とはいえ、そんな状況がいつまでも続くわけじゃないだろう。
俺はしばらく走って彼女とバケモンから十分に距離を取ってから、ビジネス用の革靴で地面を掻いて止まった。その場で屈伸し、身を低くする。
そうして彼女を踏み潰そうとするバケモンへと、勢いをつけて走り出した。
俺には勇者としてのポテンシャルがあるらしい。きっと、どうとでもできるはずだ。
「おおおおおおおおおっ!!」
脳裏にシルフの姿を思い浮かべた。
その瞬間、小さな半透明の精霊が俺の周囲を飛び回る。風が舞い上がり、背中を押した。踏みしめる一歩が軽くなる。透明の衣のように、俺は風を纏う。
飛ぶように、疾ぶように。人間とは、こんなにも速く走れる生き物なのだと初めて知った。
だが、もっと。もっとだ。もっと。
助走はわずか十数歩。シルフを併走させながら跳躍した俺は、空中で両足をそろえた。シルフが風の道をこじ開ける。
俺はまるでミサイルのような勢いで、岩石巨人の脛へと跳び蹴りをぶちかます。
「おらああああああッ!!」
革靴の裏が岩石の脛に直撃した瞬間、俺は悟った。
あ。だめだわ。
風を纏った状態でとんでもない勢いで吹っ飛ばされ、錐揉み状態になって夜空を舞っていた。それこそ巨人の全長よりも高いくらいにまでだ。
冷静になってみりゃ、そらそうだ。六十キロそこそこの男が走るダンプカーに向けて正面から跳び蹴りしたって、どうなるはずもなく。
めっちゃ飛んでるなあ。目が回るわ。
「あぁ~~~~~~~~~~……」
「ちょ――っ!?」
地面に後頭部から落ちて跳ね上がり、背中が叩きつけられる。
「あだぁ!? い、てててて……」
死んだと思ったが、思いのほか痛くはなかった。たぶんシルフの作り出した風の鎧だか衣だかのおかげなのだろう。叩きつけられる寸前、クッションのような緩衝材の感触があった。
ともあれ。
「何やってんですかっ! 生きてますよねっ!? 死んでないですよねっ!?」
ルイゼルが滑り込んできて、俺の上半身を抱えてくれた。
胸が頬にあたって柔――いや、痛い。もはやこれは肋骨だ。やはりAカップか。確信した。
「それはこっちの台詞だ。いまのうちに逃げろ。俺なら自分で立てる」
俺は彼女の肩を押して離す。
「そうじゃなくて、いまのどうやったんですっ!?」
「え? ああ、シルフの風を自分に纏って速度を増してあたってみたんだが、やはりあまり効果は――」
「纏って!? 魔法を!? 魔法を自身の身体にかけたの!?」
「ん? ああ。そう、だけど?」
「……そんなことができるの……? ……ゲームのキャラみたい……」
いや、こんな会話をのんきにしている場合じゃない。
やつは――!
「……」
「……」
岩石巨人は俺が蹴った膝を地面についていた。
だが、やはり効いてはいなかったのか、ゴリゴリと石同士を削り合わせるような音を立てながら、再び立ち上がる。
足にはヒビさえ入っていない。だめだ。
右手で彼女の手を引いて再び逃げようとしたとき、彼女が両手で俺の右手を包み込んだ。
「な、なに? 告白!?」
「口から屁を垂れるのはやめてください。恒星魔法はまだ危険ですので、一旦わたしの魔法を天ヶ瀬さんに宿します。それでさっきと同じようにあいつを殴ってみてください」
「うん?」
俺が理解する前に、何かが右手に流れ込んできた。いや、地面から這い上がってきた。土だ。土が足を伝ってどんどん俺へと這い上がってくる。
スラックスの内側を通ってパンツの中をざわざわと這い上がってくる冷たくザラついた土の感触に、俺は。
「お、おふぅ……」
変な声が出た。
「変な声出さないで! 集中が乱れます!」
「いや、だってこれハラス……」
地響きが再び鳴り響く。やつが迫っている。
「ル、ルイゼ――おふぅ」
「黙って。あと変な声も出さないで。ハラスです」
こっちの台詞だ。
だがいまは。
「そんなことよりやつが来てる!」
腹の辺りを這い上がってきた土は胸を通り越し、ルイゼルの両手に包まれた俺の右の拳へと集約されていく。
「もう少しですから。集約、集約、限界まで硬質化」
俺の全身が、岩石によって覆われた。まるで目の前に迫った岩石巨人の小型バージョンみたいにだ。はみ出ている箇所と言えば、首から頭部のみ。
「間接部の駆動域を確保――」
表面は芸術品のように滑らかな質感と見た目をしている。だが。
お、重……!
ぐらりと肉体が揺れる。
地面にめり込みそうなほどの重さにバランスを崩しかけた瞬間。
「質量の増加に耐えうる生身の強化、ええと、あとかけられそうな魔法は――」
「なんかパニクってない!? ルイゼルだめだ、もういい、逃げろ!」
岩石巨人が迫る。何をしようとしているのかはわかったが、間に合わない。
やつが俺たちを目がけて膝を曲げ、右の豪腕を引き絞った。
死ぬ。ふたりとも。
「ルイゼルッ!」
「う~~~~っ、精神の高揚!」
俺の頬を掠めるようにルイゼルが唇を滑らせながら、風のように通り過ぎる。いや、明確にキスをされた。頬にだが。
瞬間、全身が燃えた。眠っていた細胞がすべて覚醒する感覚だ。
限界まで目を見開き、己の喉から溢れ出た獣のような咆吼で、夜空を引き裂く。
――アアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーッ!!
「殴って」
その言葉に反応し、弾かれたように俺は右腕を地面近くにまで引き絞った。連動してシルフが風の衣を俺に纏わせる。
岩石巨人の巨大な拳が俺を目がけて放たれた。俺の全身を呑み込み、なお有り余るほどの大きさの拳だ。
通常ならば、そのあまりの絶望と恐怖に竦み、人は無力となるだろう。
だが俺はそれを目がけ、嬉々として拳を放っていた。
「ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!」
互いの拳がぶつかり合った。
轟音、響く――!
草原を薙ぎ払い、暴風が巻き起こった。
骨まで砕けそうな衝撃が全身を走り抜ける。全身の血管が限界まで膨れ上がり、破裂するのが自分でもわかる。目からも鼻からも口からも、もしかしたら耳からだって血が噴き出たかもしれない。
拮抗。俺の全身を覆うパワードスーツのような土の鎧に、ヒビが入る音がした。
「天ヶ瀬さ――ッ」
まだだ。
歯を食いしばる。
この程度の苦しみ、一週間で7時間しか睡眠を取れずに生きた二十代の頃に比べれば。
――振り、切るッ!!
岩石の拳が俺の全身を呑み込む。だが、俺の放った拳は針のような鋭さでその岩石を突き破って粉砕していた。
その衝撃が、やつの腕を破壊しながら伝って上昇していく。
遅れて俺の立っていた平原が大きく陥没し、轟音とともに大地が爆ぜた。直後、ヒビ割れた岩石頭が内側から炸裂するように破砕される。
ぼろぼろと、俺の周囲には岩石の欠片が落ちてきた。同時に、ルイゼルの作った土の鎧も割れて剥がれ落ちた。
「……」
「……」
頭部と片腕を砕かれた巨体が、ゆっくりと傾く。
後ろに。尻餅をつくように。ズシンと大地が揺れる。さらに力なく、岩石巨人は背中から仰向けに倒れ込み、ようやくただの岩石に戻ったのだった。




