伯爵令嬢のやり直し⑤
練兵場を歩いていると、試験官の魔法使いたちに迎えられた。彼らの背後には、完全武装して馬に乗った騎士がいる。
試験官の隣には、大きな砂時計があった。あれをひっくり返して全ての砂が落ちるまで、二十分以上掛かりそうだ。
「では、試験の説明を行います。これよりリネット殿は、あちらの騎士を模擬護衛対象としてください。この砂時計の砂粒が落ちるまでの間、我々はあの手この手であの騎士を攻撃しようとしますので、護衛としてお守りするのです」
「分かりました。……使う魔法などに制限はありますか?」
「ございません。ただし、時間内に魔力を使い切った場合やご自分が自力で立てなくなった場合なども失格となります」
(……なるほど。序盤から派手な魔法ばかり使うと、途中で燃料切れしてしまうわね)
一通りの説明を終えてミラに荷物を渡したリネットはふと、辺りを見回した。
(シャイル様……どこかしら?)
エルマーがいるのだから、この練兵場のどこかにはいるはずだ。だが、ざっと見た感じあの赤い髪は見当たらないし、王子がいるということで皆がざわめく様子もない。
(……それじゃあエルマーは、シャイル様に命じられて私の様子を見に来た……とかかな?)
一度目でエルマーは、「殿下とリネット様が旧知の仲であることは、伺っておりました」と言っていたはずだ。シャイルがエルマーにだけは伯爵領で暮らしたことを教えているのなら、今回王家付き護衛に志願したリネットの様子を見に行かせるのも……あり得るのかもしれない。
ひとまずリネットは、騎馬した騎士のもとに向かった。フルフェイスの鉄仮面も被っているので表情は変わらないが、リネットが「よろしくお願いします」とお辞儀をすると、片手を挙げて応えてくれた。
リネットと騎士が並ぶと、試験官が砂時計をひっくり返した。ここから試験開始だ。
(まずは、練兵場内を走るだろうこの騎士様についていかないと……って、もう行っている!?)
リネットが砂時計を見ていた一瞬の間に、騎士は馬の横腹を蹴って走り出していた。どうやらかなりせっかちな性格のようだ。
だが、かつては魔法鞭片手に戦場を飛び回っていたリネットだ。
たんっと軽く地面を蹴って魔力で飛ぶと、すぐに騎士の隣に並ぶことができた。
まずは、防護魔法。
慣れた様子で馬を駆る騎士に、簡単な魔法や矢による攻撃を防ぐ防護幕を張ってから、右手の人差し指から魔法鞭を伸ばした。
これにはギャラリーからも、「なんだあれ!?」「あんな魔法もあるのか」という声が上がった。
二年掛けてリネットが編み出したこの魔法鞭は、現在まだどの魔法使いも習得していなかった。
……と、よそ見している暇はない。
(……後ろから!)
ちり、と産毛が撫でられるような感覚に振り向き、弾丸を放つかのように魔法鞭を伸ばした。
もちろん相手をうっかりにでも殺さないよう先端は丸めており、その先が何かにぶつかったため、横になぎ払った。
ずっと後ろを見ている暇はない。敵は、全方位からやってくるのだ。
(……次は、下! 魔法で地面を凍らせて、落馬させるつもりね!)
地面を蹴った際に感じた魔力と土に氷の粒が混じっている感覚に、すぐさま騎士がこれから走る先の地面に緩めの熱風を吹き付ける。あまりにも強い熱風を放つと馬を驚かせてしまうというのは、一度目の人生で経験済みだ。
(次は……前! 堂々と騎士たちを並べてきたわね!)
一列に並んだ五人の騎士たちが槍をこちらに向けて立ち塞がっている。この速度では馬の向きを変えられず、槍に串刺しになる……という状況を表しているのだろう。
(全員をなぎ倒してもいいけれど、倒れた騎士が通行の邪魔になる。……となると!)
「真っ直ぐにお進みください!」
リネットは騎士に呼びかけてから、さっと前方をにらみつける。五人全員を倒す必要はない。
――護衛対象の血路を開くために倒すべきは、右から二人目の騎士のみ。
リネットの魔法鞭が唸って右から二番目の騎士の体に巻き付き、そのまま持ち上げてぽいっと茂みの方に投げた。
そして他の騎士が間を詰めるよりも前に、騎士たちの足下にわずかに地面を盛り上がらせて低めの土塀を作れば、騎士を乗せた馬はその間を颯爽と駆け抜け、跳び上がったリネットも体勢を崩した騎士の背中をとんっと蹴って包囲網を乗り越えた。
リネットの動きに感激したのか、あちこちから「いいぞ!」「これは見事だ!」と声が聞こえる。
そしてその後も猛攻を防いで騎士や魔法使いを吹っ飛ばした末に砂時計の砂が全て落ち、試験官が「そこまで!」と叫んだ。
(……よかった! 時間内、持ちこたえられた!)
ほっと息をついた直後、貧血状態になったかのように体がぐらっとした。だが、ここで倒れたら全てが無に帰してしまう。
「護衛対象は無傷、リネット・アルベール殿も歩行可能状態。よって、模擬訓練を合格とする」
(やった!)
試験官の声が聞こえて、周りにいる騎士や魔道士たちも「あの魔法使い、かなりやるな」と騒いでいる。
ミラが、タオルを手に走ってきた。リネットはそんなミラに微笑みかけて――思わず、息を止めた。
ミラの後ろ、エルマーを伴って歩いてくる人。
――愛おしい赤が、揺れている。
(まさか)
どくん、どくん、と全身が心臓になったかのように激しく脈動する。
エルマーがいたのはこういうことだったのだと、やっと分かった。
呆然とするリネットの前に、彼は立った。
その人は、かつて戦場で別れたときよりも若い顔をしていて。だが、その鋭くも色気のある眼差しなどは全く同じで。
(シャイル様)
やり直せるなら、もう彼の手は取らない。
そう誓ったのに――いざ彼が目の前に立つと、無理矢理押しとどめていた感情があふれ出しそうになる。
ずっとずっと、好きだった。
叶うことならこれからもずっと、あののどかな伯爵領で一緒に暮らしたかった。
(でも……私は、彼をシャイル様と呼ぶことができない)
そう、決めたのだから。
魔法鞭を消したリネットはミラから受け取ったタオルで手を拭った後、お辞儀をした。
「……お初にお目に掛かります、エルドシャイルでん――」
「リネット」
礼儀正しい挨拶は、低い声にかき消される。
あれ、と思ったのもつかの間。籠手の嵌まった手がリネットの背中に回り、抱き寄せられる。リネットの頬がとんっとシャイルの胸元にぶつかり、汗と土の匂いが漂ってくる。
(……え?)
「会いたかった……ずっと、おまえに会いたかった、リネット……!」
腰に響くようなテノールボイスが、リネットの胸を、心を、震わせる。
なぜ、シャイルは人前でリネットを抱きしめるのか。
なぜ、慈しむように髪を撫でてくるのか。
なぜ……初対面であるふうを偽らないのか。
周りの者たちがざわめくのもお構いなしにぎゅうぎゅうと抱きしめてくるシャイルにしばし呆然としていたリネットだが、しばらくしてはっと我に返った。
「シッ――エルドシャイル殿下!」
「昔のようにシャイルと呼んでくれ」
「なりません! わ、私たちは初対面でっ……!」
「何を言うか。俺たちは幼少期、共にアルベール伯爵領で過ごした仲ではないか」
(え、えええっ!? それ、言っちゃだめなんでしょう!?)
愛妾親子を放置したことを知られたくない国王から、真実を伏せるよう言われているのではないか。
だがシャイルは真っ赤な顔で唇を震わせるリネットを見つめ、ふわりと――一度目の人生でもめったに見られなかった優しい笑みを浮かべた。
「リネット、ずっと会いたかった。王宮に来てくれて、ありがとう。……これからはずっと、朝も昼も夜も一緒だからな」
熱烈にささやくと、周りの者たちもぽっと顔を赤らめている。
なお、近くにいるのはミラ以外男性なのだが、第二王子が愛をささやくところを見て恥じらう気持ちに男も女もないのだろう。
皆が興味津々で見つめてくる中、告白されたリネットはしばし呆然として――
「……えっ。ちょっと、それは物理的に無理かと……」
わりと現実的な返事をしたのだった。