伯爵令嬢のやり直し②
リネットは今回、王宮使用人として採用されていた。
王宮では毎年決まった時期に、騎士や使用人、官僚などの新規採用者を募集している。リネットも両親に頼んで採用試験を受けさせてもらい、合格していた。
王宮使用人は主に魔法で洗濯や掃除などを行い、王宮の人々の生活のために働く。
なお料理においても火を付けたり食材を凍らせたりと魔法は便利だが、包丁で野菜の皮を剥いたり切ったり鍋で煮込んだりといったほとんどの作業は人の手で行うので、厨房ではそれほどの大人数は必要とされていなかった。
「皆さんには、王宮の美化、そして王侯貴族の皆様の心地よい生活のために働いていただきます」
リネット含む新人使用人たちにそう言うのは、きりっとした中年女性。
彼女が王宮使用人頭――通称マダムで、リネットたちは彼女の指示のもとで働くことになる。
王宮使用人なのでリネットと同時に採用されたのは皆貴族出身だが、田舎とはいえ伯爵令嬢であるリネットが身分としては一番上だった。
「まず半月間は、様々な場所で働いてもらいます。その後、役職の希望を取ります」
(役職の、希望……)
マダムの説明の後、着替えのために部屋に戻りながらリネットが考えていると、後ろを付いてきたミラがこそっと耳打ちしてきた。
「リネット様、何か気がかりなことでも?」
「ええ、まあね。……半月後に役職の希望を取るということだから、それについて考えていて」
「まあ……まだ仕事も始まっていないのに、もう半月後のことですか」
ミラが呆れたように言うが、なんということない。
リネットは一度目の人生で既に、同じ経験をしている。だから、掃除も洗濯も貴人の接待も何でも、やり方やコツは一通り覚えていた。
(といっても、いきなり一度目の知識や経験を出しすぎると不審に思われるわよね……)
五年間の付き合いのミラ相手でも、「実は私、人生をやり直しているの」とは言えない。
言っても変な顔をされるだけだろうし……リネットの体験した一度目の人生は、ミラにとっても幸福とは言いがたいものだったから。
ひとまずリネットは、自分用の部屋に向かった。
(懐かしい。ここを二年間、使っていたのよね……)
リビングとリネット用の寝室、おまけにミラ用の続き部屋があるだけの空間。風呂やトイレなどは共用なので、広々としているわけでもない。
一度目の人生では継承問題の発生後、クリスフレア派は王宮から離宮に移り住んだ。王宮を去る日、この部屋にあるわずかなものをミラと一緒に急いでまとめたのが懐かしく――同時に少しだけ苦くもあった。
(まずは半月間、そつなく仕事をしてマダムからの信頼を得ないと)
少なくとも、一度目よりはあらゆる面において効率よく行えるはずだ。
一度目では配置希望について尋ねられた際、特に要望はないと答えた。その結果、特にこれといった専属の配置を持つことなく、広く浅く仕事をすることになったのだった。
(でも今度こそは、王太子殿下をお守りしたい)
シャイルの年の離れた異母兄である、王太子・エリクハイン。
二年後、彼はおそらくデュポール侯爵により毒を盛られて命を落とす。彼を守るには、王族のそばにいられる職に就かなければならない。
(候補としては、王家付き使用人か王家付き護衛ね)
王家付き使用人の場合、王族の使う寝室やリビングの掃除をしたり入浴の介助をしたりする。
基本的に王族と同性の者が専属に就くことになるので、一度目ではクリスフレア付きの職が女性陣に人気だった。
一方王家付き護衛の場合、身辺警護のために共に行動したり外出に付き添ったりする。こちらは男女問わないが、体力の都合で男性魔法使いが就くことが多かった。
(でも、今の私は一度目の魔力を引き継いでいる……)
ミラがいない隙にこっそり右手に魔力を流し込んだら、無事に魔法鞭を出現させることができた。
一度目よりも弱々しくて魔力の消費も激しいが、離れた場所にあるティーポットに鞭の先を引っかけて持ってくることもできた。
(王族の方々に近い場所でお守りできるとしたら、護衛の方だわ。確か、護衛になるには試験が必要だったはず)
護衛といっても騎士とは違うので、求められるのは体力ではなくて主に魔力とコントロール力。
一度目では王家付き護衛になるなんてこれっぽっちも考えていなかったけれども、今は――
(……とりあえず、王家付き護衛を目指そう。そのためにはマダムからいい評価をもらえるように、ほどほどに頑張らないと……!)
一度目の知識と魔力はあるが、それを全力で表に出すわけにはいかない。
このあたりをうまくこなしてから……王家付き護衛魔法使いの役職を目指さなければならなかった。
王宮使用人として働き始めてからの日々は懐かしく、仕事も楽しかった。
「すごいわね、リネット。もう仕事を全部覚えたのね……」
「ふふ。これでも物覚えはいい方なの」
(嘘だけどね……)
同期の女性魔法使いから尊敬の目で見られたため、リネットは少し申し訳なく思いつつも答えておいた。
一度目の経験が体に染みついているリネットは――ある意味「ずる」をしている状態だ。
他の皆ではまず、王宮の造りから覚えなければならないところを、リネットは完全に把握した状態で始めている。下手すれば先輩使用人たちよりも詳しいくらいだ。
(ずるはしているけれど、他の皆の昇格とかには響かないようにするから勘弁してね……!)
そして同時に、王宮内での噂話にも敏感になっておく。
優先して知りたいのはいずれ殺される可能性の高い王太子と、継承問題になった場合当事者になるクリスフレア。それから……シャイル。
(今のところ、シャイル様の噂はあまり聞かないのよね……)
それとなく同僚たちから聞き出してみたが、得られる情報は「王太子殿下との兄弟仲は良好」「クリスフレア様とは姉弟のような仲」「政治に携わることはなくて、騎士団で騎士たちを鍛えている」ということくらいで、一度目とほぼ何も変わらない。
(国王はシャイル様を嬉々として引き取ったくせに、その後は完全放置。愛妾が産んだ美しい王子を手元に置きたいだけ、っていう説が濃厚だったわね)
そもそも現国王は、君主としての才能は皆無だった。
ではそんな彼がなぜ王になったかというと、リネットたちが生まれるよりずっと前にややこしい問題が起きたからだった。
現国王には、異母弟がいた。そちらが父王の正妃が産んだ子で、現国王は第二妃の子だった。
王妃との間に長年子に恵まれないため迎えた第二妃は、すぐに王子を産んだ。まもなく王妃も王子を産むが、元々か弱い女性だった上周りからのプレッシャーも強かったようで、彼女はまもなく亡くなってしまう。
亡き王妃の産んだ第二王子が王太子となり、現国王は継承順位二位の王子となった。
この時点で既にややこしいが、現国王は若い頃から思慮の足らない人だったようで、あまり深く考えていなかったという。
やがて第二王子が国王になったが、苛烈な性格の彼は民に重税を課し、逆らう者を処刑して――ととんでもない暴君になった。
こんな暴君よりはまだ昼行灯の方がよかろうと、議会により国王は追いやられて現国王が即位した……というのが、今から四十年近く前のことだった。
(でも、暴君の子には罪はないということで、当時の王子は地方に軟禁という処分で終わった。その王子の面倒を見ていた先代デュポール侯爵が娘を王子に近づけて、王子の子を産ませた。その子・オーレリアンは、一度目の人生で王太子候補に担ぎ上げられることになった……)
厄介なのが、議会の者も暴君の息子に温情を与えてしまった結果、彼から王位継承権を没収しなかったことだ。そしてオーレリアンの養育は、伯父である現デュポール侯爵が請け負っている。
つまり一度目の人生でオーレリアンを推した者からすると彼は、「本来ならば国王となるはずだった王子の子」なのだ。
ろくでなしな現国王は、おこぼれで王位を得ただけ。王座は国王の子である王太子や孫のクリスフレアが得るべきではない……というのが、彼らの主張だった。
(シャイル様のお母様も、お若いのに三十近く年上の国王に無理矢理お手つきにされたそうだし……王族によって人生を振り回された人は、たくさんいるわよね)
そんなに皆、権力がほしいものなのだろうか。
ただ、好きな人と一緒に幸せに暮らせたら……と願っているリネットからすると、大きすぎる権力なんてあっても邪魔だとしか考えられなかった。