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過去を乗り越えて⑤

 シャイルに問い詰められた侍医はうなだれるばかりで、何も言わない。

 シャイルはため息をつくと、侍医を掴んでいた腕を下ろした。


「……主犯者は吐かないか。だがまあ、王太子殿下に即位されては困る連中から指示を受けたのだろう?」

「……いいえ。これは、私の意志です」

「そうか、それはご立派な意志だな」


 シャイルは鼻を鳴らすと侍医をエルマーに渡し、クリスフレアの方に歩み寄った。


「王太子殿下暗殺をもくろんだ者は、いかがなさいましょうか」

「……尋問を受けさせる。父上のお命が狙われるなど……あってはならないことだ」


 気丈に言うクリスフレアだが、その顔は青白い。いくら彼女でも、目の前で父親が殺されかけたショックからすぐに立ち直れるものではない。


 クリスフレアは侍医を睨みつけ、拳を固めた。


「……おまえは、国王が若い頃から王家に仕えている。そのとき国王に気に入られ、かなりの金がおまえの懐に入ったのではないか? そして……父上の御代になれば昔のように豪遊できなくなるからと、父上の命を狙ったのだろう……?」

「……」

「無言を貫くか。……まあ、いい。もしおまえを裏で操っている者がいるのなら、あぶり出すのみ――」

「くっ……う、わ……!」


 クリスフレアの言葉の途中で、エルマーが悲鳴を上げて尻餅をついた。薄暗い部屋の中だが、彼が自分の腕を掴んでいるのは見える。


「エルマー!?」

「くっ……! 退けぇ!」


 エルマーを振り切って立ち上がった侍医は――手に、瓶のようなものを持っていた。走るたびに中の液体が揺れてこぼれ、シュウシュウと音を立てる。


 侍医が狙うのは――壁際に立つ、クリスフレア。


「貴様が死ね、クリスフレア……!」

「殿下!」


 すぐさまシャイルが振り向くが、王太子のベッドの近くにいる彼では間に合わない。


 だが――驚きに目を見開くクリスフレアの前に、躍り出た者が。

 赤茶色の髪が揺れて、地味なドレスの裾が翻る。


 リネットは呆然とするクリスフレアの腕を引っ張って、自分の胸に抱き込むようにして床に倒れ込んだ。

 その体はクリスフレアよりも小柄なくらいだが、クリスフレアの急所になる頭部や心臓部分を全て守り、敵の前に無防備な背中をさらす。


 ――ほんのわずか、侍医の走る速度が緩んだ。

 その隙を逃がすシャイルではない。


 横から伸びたシャイルが侍医の腕を捻り上げて足を払い、床にたたきつけた。その衝撃で持っていた瓶が宙を舞って床に落ち、派手な音を立てて砕け散る。


 ――中の液体が弾け、その大半は床に押し倒されていた侍医に掛かり、そして一部はシャイルの胸元にも飛び散った。


「ぎゃああああっ!?」

「うっ……!」

「シャイル様!?」

「叔父上!」


 すぐさまリネットが立ち上がり、遅れてクリスフレア、そして腕を押さえたエルマーもよろよろしながらシャイルのもとに集まった。


「シャイル様、液体を胸に――!」

「だ、大丈夫だ、これくらい。それより早く、エルマーの治療と侍医の捕縛を! ミラ、衛生兵を呼べ!」


 廊下に待機しているミラに大声で指示を出した後に、シャイルは脂汗にじむ顔をリネット、そしてクリスフレアの方に向けた。


「……リネット、怪我は……ないか……?」

「はいっ! でも、シャイル様が……!」

「……クリスフレア殿下も、ご無事、ですね……」

「っ、ええ! リネットが守ってくれたおかげです!」


 女性二人の声を聞くと、シャイルは小さく微笑みを浮かべ――そして、どさりと倒れ込んだ。











 王太子暗殺事件は、王子エルドシャイルとその部下たちの機転により防ぐことができた。


 毒を持ち込んだ侍医はクリスフレアの指摘通り、現国王から散々甘い汁をすすったのはいいが王太子が政務を行うようになってからは冷遇されていたことに不満を抱いていたようだ。

 もちろん、王太子が特別彼を冷遇したわけではなくて「普通」の対応に戻っただけだったが、一度豪遊した経験のある侍医にとっては苦々しい日々だったのだろう。


 加えて、彼はどうやら何者かの指示を受けて金の掛かる毒を手に入れていたようだが――残念ながら、それ以上の情報は手に入らなかった。


 侍医が持っていた瓶には、薄めた毒薬が入っていた。おそらく自害用に渡されたのだろうが、逆上した彼はそれでクリスフレアを殺そうとしたようで、まずは自分を拘束していたエルマーに少量を掛けた。


 エルマーの手から逃れるとクリスフレアを狙ったが、リネットが飛び出した際に一瞬動きを緩めたため、エルドシャイルに捕まった。

 だが持っていた瓶が割れて、中身の大半を食らったことで上半身の皮膚がただれて、治療に至ることなく死んでしまったのだった。


 また、同じ液体を腕に掛けられたエルマーと胸に飛び散ったエルドシャイルもすぐに治療を受けたが、二人は少量だったこともあり命の別状はなく、数日の療養生活の後に復帰を果たした。


 二人が揃って皆の前に現れた際、エルドシャイルのもとにはリネットが、そしてエルマーのもとには侍女が駆けつけていったのを、多くの人々が目にしたという。


 大量の薬を飲まされ嘔吐した王太子もまもなく健康を取り戻して、クリスフレアとエルドシャイルの証言のもとで調査が進められた。


 実行犯が死亡したため、事の真相を明らかにするには至らなかった。

 だがエルドシャイルは会議の場で、「王太子殿下ならびにクリスフレア殿下の命を狙う者は、決して許さない」と力強く宣言した。その姿に、多くの議員たちが感じ入っていたという。








 ……余談だが。

 完全に蚊帳の外状態だった国王は、息子と孫が殺されそうになったこと、そして自分がかつて寵愛した侍医が実行犯だったことを聞いて、真っ青になった。


 彼はエルドシャイルのもとに向かい、「私の潔白を証明してくれ!」と頼み込んだが、「これからリネットと茶を飲みますので」とすげなく追い返されたという。


 そしてこれまで自分が散々冷遇してきた息子と孫娘にすり寄ろうとしたが、ゴミ虫を見るような目で睨まれた。さらに療養地で暮らしている王太子妃にまで救援要請を送ろうとしたことで、王太子の堪忍袋の緒が切れた。


 議会は、「直接的には無害でも、間接的に有害になりかねない」のような決断を下し、国王に退位を迫った。デュポール侯爵なども、これに賛同したという。

 まさか異母弟と同じく、自分も議会により王位を追われるとは思っていなかったらしい国王は涙と鼻水まみれになって許しを請うたが、誰一人として心を動かさなかった。


 かくして国王はほぼ財産を持たずに追放され、王太子が国王の冠を戴いた。同時に、王孫だったクリスフレアも王女となり、王太子として承認された。


 エルドシャイルは相変わらず王位継承権は持たないが、立場としては王子から王弟に変わった。これからも彼は王家の一員として異母兄、そして年上の姪を守っていくことになる。

次回最終章です

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