過去を乗り越えて③
「私は、最初からあなたのもとに帰るつもりはなかったのです。たとえ侯爵をこの手で討ち取れたとしても――その場で死ぬつもりでした」
ミラたちには、「帰りたかったけれど帰れなかった」というニュアンスになるように伝えた。わざわざ真実を伝えなくてもいいと思ったから。
だが、そうではなかった。
なぜなら、一度目の人生のリネットは――
「……シャイル様はご存じですよね? 私、運動が全然だめなんです」
「……ああ、知っている」
「前に魔物退治をしたときも……あまり体は動かさないようにしたのです。そうしないと、すぐにへばってしまうので」
「……そんな感じはしていた」
「でも一度目の私は、魔法鞭で何十もの魔物を倒し、何十もの人間を殺し、城の奥にいる侯爵のもとまで駆けつけることができました」
魔法を使ったにしても、長時間跳んだり走ったりというのは体に負担が掛かる。
しかし、一度目のリネットは息を乱すことなく侯爵のもとまでたどり着き、首を刎ねるに至った。
それは――
「……私は、あなたとクリスフレア殿下の力になりたかった。この体を犠牲にしても……勝利に導きたかった」
だから。
(私は、自分の体を魔法で作り変えた――)
それは、魔法鞭を完成させてまもなくのことだった。
強力な武器は編み出せたが、いかんせんリネットは子どもの頃から体力がなくて、運動神経もいいとはいえなかった。もし戦場に出ても、侯爵のもとにたどり着く前に力尽きてしまうかもしれない。
――そんな折、ミラの妊娠が発覚した。
血なまぐさい戦線に妊婦を置いてはいられないと、シャイルはミラに安全な街まで下がるよう命じた。
――そのとき、リネットは決意した。
まずは自分の侍医を、「ミラが無事に出産できるように」と説き伏せて、ミラと共に戦線から下がらせる。
そうして、自分の体調を管理する者がいなくなった頃から――リネットは自分の体に、身体能力強化魔法を掛けるようになった。
もう決戦は目の前で、ここで終止符を打たなければ戦争が泥沼化するのみ。シャイルとリネットの出陣も決まったため、リネットは捨て身の作戦を立てた。
身体強化魔法により、リネットは己の筋力や体力を高めた。もちろん、そんなことをしたとばれるわけにはいかないので、シャイルたちにも気づかれないように、毎日少しずつ魔法を掛けていった。
――そうして完成したリネットの体は超人的な能力を持つに至ったが、その反動で内部はぼろぼろだった。一時的な身体能力と引き換えに、リネットは己の寿命を縮めていた。
気を抜けばすぐに吐き気が襲いかかり、それを抑え込むためにまた魔法を重ね掛けする。内部が壊れても、外部がまともに見えるのならそれでよかった。
……その時点でもうリネットの体は、普通の人間のそれではなくなっていた。魔法の重ね掛けでなんとか堪えているこの体はいつか、崩壊する。
もしシャイルのもとに戻れたとしても、彼の妃として末永く支えることも、子どもを産むこともできないと分かっていた。
(だから私は、シャイル様に返事をしなかった)
最初から死ぬつもりだったなんて、彼には言えなかった。
だから……平和な世になったら、リネットのことは忘れて別の人を妃に迎えてほしい。女王の右腕として戦った貴公子となれば、再婚相手に立候補する令嬢もたくさん現れるはず。
その人と再婚して、リネットのことは忘れて、その女性に子どもを産んでもらってほしい。
そんな、独りよがりで我が儘で勝手な願いを胸に、リネットは死んだ。
「……本当は、言わないつもりだったのです」
一通り話し終えたリネットは、そうこぼした。
一度目の自分の裏情報なんて、今更言う必要はない。リネットが魔法で自分の体を作り変えたなんて、一度目で終わった話題だ。今のシャイルに言ったからどうなるわけでもない。
……だがそれでも、聞いてほしかった。
「私……誠実なあなたを、一度裏切ったんです。あなたは決戦のときも、私のことを大事にしてくださったのに。私は、私を一番ないがしろにしたんです……!」
「リネット……」
「やり直したからには、もう同じ失敗はしないって決めました。……でも、どうしてもということになったら……同じ道を選んでしまいそうで」
もし、王太子やクリスフレア、そしてシャイルに命の危険が迫ったら。
リネットは同じように、自分の体を犠牲にするかもしれない。
それを聞いたシャイルは目を細めると、首を横に振った。
「おまえは……一度目の選択を、後悔しているのだろう? ならば、その道だけは取るな」
「……私がもし、また道を間違えそうになったら……あなたは止めてくれますか?」
そう、きっと。
一度目のリネットは、止めてほしかったのだ。
我が儘まで身勝手な行いをしたくせにどの口が、と言われても仕方がない。後悔するくらいなら深く反省しろ、と言われても仕方がない。
それでも。
シャイルたちを守るにはこれしかない、と切羽詰まっていた過去の自分を、殴ってでも止めてほしかった。
シャイルは体の横で拳に固めていたリネットの手を取ると、大きな手のひらでぎゅっと握ってきた。
「……ああ、止める。たとえおまえに嫌われることになろうと、全力で止める」
「っ……!」
「リネットは、そうしたくないんだろう? ……この先侯爵がどのような手を取ったとしても、同じ過ちをしたくないから……こうして、明かしてくれたんだろう?」
「……は、はい……ごめんなさい……ごめんなさい、シャイル様……!」
「謝るな。……おまえは、とても強い。だが、いつも強がる必要はないんだ」
シャイルはリネットの体を引き寄せると、その体をぎゅっと抱きしめた。
その弾みに目尻からこぼれた涙が、シャイルの服の胸元を濡らす。
「リネットは、自分のことをよく分かっている。分かっているから、同じ轍を踏むまいとこうして勇気を出して告白してくれた。……ありがとう、リネット。きっと一度目の人生でおまえと結婚した俺も……納得したことだろう」
「そう、でしょうか……」
「当たり前だろう? 辿る道は異なったとはいえ、俺は俺だ。……自分のことは自分が一番よく分かっているのだからな」
シャイルはくすっと笑って言うと、リネットの頬を伝う涙をそっと唇で拭い取った。
右頬、左頬と唇を滑らせて、最後に唇同士を重ねる。
ちろ、と唇をなめられたのでおずおずと舌を差し出すと、優しく絡められた。その唇は、ほんの少しだけ塩辛い。
「ん……」
「……リネット。今度こそ、返事をくれ」
「……シャイル、様……」
「無茶をするな、とは言えない。俺だって……王太子殿下やクリスフレア殿下に命の危険が迫れば、この身を挺してでもお守りするだろうから」
「……はい」
リネットだって、分かっている。
それがシャイルの、騎士としての生き様なのだから。
そんなシャイルだから……リネットは好きになったのだから。
「だが、自分の死を前提に物事を考えないでほしい。俺と共に生きる未来を考えていてほしい。おまえのことを何よりも大切に思う者がいるのだと、忘れないでほしい。俺は――」
シャイルの瞳が真っ直ぐ、リネットを射貫く。
「これからも、おまえと一緒に生きていきたい。……俺と一緒に、生きてくれるか?」
シャイルのささやきに、心が、胸が、震えた。
髪を短く切り、魔法鞭を完成させて、自分で自分の体を壊した一度目の自分が、叫んでいる。
今度こそ、この人の手を取りたいと。
「……はい、シャイル様」
リネットの中で、もう一人の自分が笑った。
やっと、過去の自分が魂に刻んだ後悔が、消えていった気がした。




