過去を乗り越えて②
夜、リネットの部屋にエルマーが迎えに来たため、ミラを伴ってシャイルの執務室に向かった。
「よく来てくれた、二人とも」
入室した執務室で、シャイルが迎えてくれた。
……しかしその手には、繊細な花模様が描かれたティーポットがあった。
「そろそろ来ると思って、茶の準備をしていた」
「えっ!? シャイル様が淹れられたのですか!?」
まさか、と思ったが、既にテーブルには四人分の茶器が揃っている。リネットとシャイルだけでなくて、部下二人の分も用意しているようだ。
リネットとミラが顔を見合わせると、エルマーがやや大げさにため息をついた。
「そうなんですよ。火傷しても知りませんよ、って僕は言いましたからね」
「案ずるな。火傷はしていないし、なかなかいい味に蒸らせたはずだ。……まあ、座ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
「申し訳ありません、殿下。私の分まで……」
「ミラはいつもリネットを支えてくれているし、俺も世話になっている。たまには言葉だけではなくて動作で礼を伝えさせてくれ」
そういうことでシャイルが淹れた茶を飲むことになったが、ほんのりベリーの香りのする紅茶は文句なしにおいしかった。
「おいしいです!」
「それはよかった。おかわりもあるぞ」
「……これなら失敗しにくいし女性にもウケるって、僕が教えて差し上げたんですよね」
「ああ、おまえの助言に従って正解だった」
談笑しながら茶を飲み、それから本日エルマーが持ち帰った件についての情報共有と意見のすりあわせを行った。
「……近いうちに侯爵が王太子殿下毒殺に向けて動き始める、という可能性が高いな」
シャイルが言ったので、リネットは頷きつつ別の意見も出す。
「可能性は高いですが、もう同じ毒は使わない可能性もあります。毒を仕込むタイミングも、晩餐ではなくて朝食やティータイムかもしれません」
「十分考えられるな。……ひとまず、侯爵邸で動きがあることは殿下方にはお伝えしている。だが、だからといって食事の際の毒味を念入りにしたりすれば侯爵に感づかれ、それこそ別の手を取られる可能性もある」
ミラが記録を取る中シャイルは言うが、一旦口を閉ざした。
「……先日も独り言で口にした気がするが。俺はどうにも、何か勘違いをしている気がするんだ」
「それは、毒殺の件でですか?」
「ああ。……一度目で王太子殿下が暗殺された際、テーブルに残っていた料理も厨房の残飯も全て調べたが、毒物反応は出なかった。無論、侯爵が使っていたのが自然系の毒なので検出しにくいというのもある。……だとすれば、いつ誰がどのタイミングで毒を料理に入れたんだ?」
シャイルに指摘され、三人は顔を見合わせた。
「……それはそうですよね」
「私も思っていましたが、検出されないように密かに混入させたのだろうかと」
「ああ。……何か、意見などがあれば聞きたい」
シャイルに言われて三人はしばし黙ったが、しばらくしてミラがペンを置いて小さく手を挙げた。
「……これは昔読んだ小説における事例ではありますが。そのお話では貴族の夕食の席で事件が起きて、被害者の死因は毒物の摂取でした」
「なるほど。……続けてくれ」
「ピッチャーの中の飲み物に、毒が混ぜられていました。しかし、ピッチャーを使って招待客それぞれのゴブレットに順に飲み物を注いだというのに、亡くなったのは一人だけだったのです。もちろん、途中で毒を入れた形跡はなかったし、犯人はピッチャーを持っていたメイドでもありませんでした」
リネットはそのような内容の小説を読んだことがないので、首をかしげた。
「……ピッチャーのすり替え、とかじゃないわよね?」
「それはないでしょう。……ええと、こういうのって案外殿下が得意ですよね?」
「案外、は余計だ。……さては、ピッチャーの中で飲み物が層になっていたとかか?」
「正解です。飲み物の濃度をわずかに変えて、とりわけ濃いものに毒を混ぜておきます。そうすると、最後に飲み物を注がれた人のゴブレットにのみ毒が注がれるのです。ピッチャーは金属製だったので、濃度が違っても傍目から見ても分かりません」
「……なるほど。まあ、必ずしもそうなるとは限りませんけど、物語上に出てくるトリックとしては十分あり得るものですね」
エルマーが感想を述べた後、「つまり?」と首を捻った。
「ミラさんが考えているのは、何らかの方法で王太子殿下のものにだけ毒が入るようにした、とかですか?」
「ええと、まあ、そういうケースもあるのでは、という程度ですが」
「いや、貴重な意見だった。……だがそうなると、ピッチャーなどを調べれば何らかの毒物反応が出るだろう。一度目で検査した際は、本当にどこからも出てこなかったんだ」
シャイルの言葉に、リネットは頷いた。そのあたりはリネットの場合も同じだったので、シャイルの言うとおりだ。
「……しかし一度目にシャイル様の方のエルマーが手に入れた情報では、毒殺だったとはっきり書かれていたのですね?」
「ああ。即効性があり服用した際に激しく咳き込むという特徴なども、全く同じだった」
ということは、やはり王太子は何らかの方法で毒を投与されて死に至ったのだ。
(……あれ?)
リネットは、瞬きをした。
『何か勘違いをしている気がするんだ』
シャイルの言葉が、頭によみがえる。
リネットは、テーブルを見た。
テーブルには、四人分のティーカップと大きなティーポット一つが置かれている。まだ四人とも飲みかけで、量は違うが少しずつ茶が残っていた。
リネットはティーポットを手に取って蓋を開け、中を覗き込んだ。シャイルはうまく配分したのか、もうティーポットの中に茶はほとんど残っていなかったが、ふわんと甘い香りが漂った。
――もしこの場に別の人間がやって来て、このテーブルの上を見たら。
四つのティーカップには、シャイルがエルマーに勧められて選んだというベリー色の紅茶が注がれている。部屋には、甘いベリーの香りが漂っている。
新たに入ってきたその人に、「このティーポットの中に入っている紅茶の色は、何色ですか」と尋ねればおそらく、ベリー色だと答える。
与えられた情報を鑑みれば、当然の答えだろう。
だが――そうではなかったとしたら?
当たり前だと思っていたものが、当たり前ではなかったとしたら?
(ひょっとして……)
「……あの。私、思ったことがあるのですが」
リネットは唾を呑み込み、小さく手を挙げた。
打ち合わせを終えて、エルマーが手際よく茶器を片付ける。
「……あの、シャイル様。少し、お話ししたいことがございます」
リネットが申し出ると、ミラから受け取った記録を金庫に入れていたシャイルが振り返った。
彼の目にかすかな期待の色が浮かんだが――リネットの表情を見て、すぐに真顔になった。色気のある話ではないと察してくれたようだ。
「……分かった。リビングに行こうか」
「はい。……ミラ、ちょっと待っていてくれる?」
「……かしこまりました」
ミラも何か気づいたようで神妙に頷き、ティーポットを両手に持ったエルマーも会釈をしてリネットたちを隣室に送り出してくれた。
いつも、シャイルと恋人らしいことをする際に使うリビング。
だが今回ばかりは、いちゃいちゃするわけにはいかない。
「……話したいこととは、一度目の人生に関することか?」
ドアを閉めて鍵も掛けたシャイルに尋ねられて、リネットは曖昧に頷いた。
「そうでもありますし……今後のことにも繋がると思います」
「そうか」
「……。……シャイル様。一度目の決戦前に、あなたは私に未来を語り私の無事を願ってくれました」
『……必ず、生きて帰ってきてくれ。そして、夫婦として一緒に暮らそう』
『侯爵を討てなくてもいい。代わりに俺が討ち取る。だから……死ぬな、リネット』
今目の前にいるシャイルとは違う、長く続く戦争でくたびれ――それでもなお王子としての威厳を失うことのなかった夫の顔が、脳裏をかすめる。
「私は、継承戦争でクリスフレア殿下派の最大の武器になるために、あなたと結婚しました。そして……平和な世になったときのことを、あなたは語ってくれました」
リネットは、嬉しかった。
本当は、「はい」と言いたかった。
だが――言わなかった。
シャイルに何も言わないまま、リネットは飛び立って――そして、死んだ。




