伯爵令嬢の幸福③
その後しばらく談笑して、クリスフレアには次の公務があるということで解散することになった。
「やはり、笑いながら飲む茶はうまい。……また、私と茶休憩をしてくれないか?」
「もちろんです。これからも、いつでもお呼びください」
「ありがたい。これからも、ということだが……そなたはいずれ叔父上の妃となるのだろうから、それ以降は叔母上としてお慕いせねばならないな」
「そ、そんなことはありませんよ。今のままで結構です!」
「はは、叔父上の妻になることは否定せんのだな」
よいことだ、と笑ったクリスフレアは、席を立った。
(……そうだ。今のうちに、ちょっとでも聞けたら……)
「あの、殿下。僭越ながらお尋ねしますが……最近殿下や王太子殿下の周りで、気になっていることなどはございませんか」
茶を飲みながら話はしたが、話題はもっぱらリネットとシャイルのことだった。
(侯爵は、どんな手を使うか分からない。何かクリスフレア様たちの周りで不穏なことがあれば、早めに知っておきたい……)
だがその意図は告げられないので、ぼんやりと質問することにした。
クリスフレアは振り返り、つややかな唇に人差し指を当てた。
「私たちの周りで? ……いや、これといった困りごとはない。むしろ先ほども話したように、私と叔父上について妄想する連中が減って嬉しいくらいだ」
「左様ですか……」
「だが、変化といえば……ああ、そういえば。最近父上が薬を飲む量を増やしたことくらいだろうか」
思い出したようにクリスフレアが言うので、リネットは「薬」と聞いて身じろぎした。
だがそんなリネットのわずかな所作もお見通しのクリスフレアは、朗らかに笑う。
「薬といっても、前々から常用しているものだ。侍医の判断で飲む量を変えているのだが、それが少し増えたくらいだ。ご本人も、薬を増やしたことで調子がよくなっているとおっしゃっているから、気にするほどのことではない」
「そうなのですね。かしこまりました」
公務に行くクリスフレアを見送り、リネットたちもその場の片付けはメイドたちに任せて庭園を離れた。
(……この前、シャイル様はご自分が辿られた未来の話をしてくださった)
ナルシスの襲撃を受けた夜は最低限の情報交換しかしなかったので、また日を改めて四人で話をまとめることにしたのだった。
なお、その記録は四人の中で一番字がきれいなミラが記し、シャイルの執務室にある鍵付きの金庫の中に収めている。
魔法鞭で殺す直前にいくつか侯爵とやり取りをしたリネットと違い、シャイルの方は問答無用で首を刎ねたそうだ。当時の彼はリネットやミラの生死が気になっており、侯爵を生きて捕らえることは一切考えていなかったという。
それはいいとして、侯爵から情報は聞き出せなかった代わりにシャイルは事前にエルマーを王宮に向かわせており、そこで王太子の死に関する情報を得たそうだ。
『一度目の人生でエルマーが持ち帰った資料には、王太子殿下が毒殺されたという確かな検死結果があった』
シャイルの言葉に、リネットは息を呑んだ。
(私の方では、侯爵が犯人だとは分かった。でも王太子殿下が毒殺されたというのも予想に留まったし、その混入ルートとかも分からないままだったわ……)
だが、エルマーが死なない未来だと彼が資料を持ち帰ることに成功して、一つの事実を明らかにできていたようだ。
そこには使用された毒の種類も書かれており――少々金を積めば手に入る毒草の根を煎じたものだったという。
だから人生をやり直したシャイルはいつぞや視察の下見のために城下町に行った際、解毒剤の瓶を真剣に眺めていたのだった。
そういうことでリネットは先ほど、「薬」という単語に反応したのだが、侍医が普段から処方している薬なら、暗殺時に使われたものとは違う。量を増やしたからといって別の薬にはならないから、クリスフレアの言うとおりあまり気にすることではないのだろう。
(でも……念のために、報告はしておこう)
そういうことでリネットは夜、仕事を終えた後でシャイルの執務室を訪問した際に、クリスフレアとの会話内容を伝えた。
普段のかっちりとしたジャケットを脱いでラフなシャツ姿になっていたシャイルは、デスクに肘を突いて興味深そうにリネットの話を聞いた。
「王太子殿下の薬? ……ああ、確か痰を吐き出しやすくする薬を常用されているな。それの量が増えているのか」
「そのようです。ただ、そちらの薬を大量に摂取しても毒にはならないですよね。それに、王太子殿下は晩餐中に毒を盛られていたようですし」
「……そう、だな」
妙にシャイルの言葉の切れが悪くて、リネットは少し眉根を寄せた。
(……何か気になることでもあるのかしら? 王太子殿下が亡くなったときの様子は、私もシャイル様も同じみたいだけど……)
「……何か、お気づきの点でもございますか?」
「……いや。もしかしたら俺たちは、何か勘違いをしているのかもしれない、と思ってな」
シャイルは呟いた後、筆記係のミラを見て「ああ、いや」と声を上げた。
「今の俺の呟きは、記録しなくていい。ただのでかい独り言みたいなものだ」
「かしこまりました」
「……いずれにしても、侯爵が王太子殿下ならびにクリスフレア殿下に近づかないように注意をするべきだ」
「とはいえ、晩餐の席に侯爵はいなかったですよね……」
「……ああ。その場で一緒に食事をしたのは、クリスフレア殿下と俺だけだった」
王太子にはクリスフレアにそっくりの妃がいるが、彼女は数年前に体調を崩して以降、王領地にある屋敷で療養している。
といっても命に関わるものではなくて、空気のきれいな場所で過ごしている分には全く問題ないそうだ。王太子もクリスフレアも定期的に王太子妃と連絡を取っているし、折を見ては会いに行っているという。
そんな王太子妃は一度目では継承戦争に巻き込まれてはならないと、真っ先にクリスフレアが兵を向かわせた。幸い、妊娠しているわけでもない王太子妃は侯爵の眼中にはなかったようで、狙われずに済んだ。
あの未来ではクリスフレアが勝ったので、きっと王太子妃も太后として迎えられただろう。
そういうこともあり王家の晩餐の席にいるのは大抵、王太子親子とついでにシャイルだった。
なお国王は、「エルドシャイルとは食事がしたいが、エリクハインやクリスフレアがいるのなら嫌」ということなので、自室に食事を運ばせていた。
大がかりな宮中晩餐会ならばともかく、普段の食事の際は血縁者でもない者が同席することはない。招待客がいるときでさえ、王族と客ではテーブルを分けて距離も空けている。
「……ひとまず、侯爵とその取り巻きたちには警戒するに越したことはない。俺も、王太子殿下やクリスフレア殿下のご様子に目を配っておこう」
「かしこまりました」
「……よし。では、ミラ。記録をまとめたらエルマーに渡しておいてくれ。俺とリネットは隣の部屋に行っている」
立ち上がったシャイルが指示を出したため、リネットはドキッとした。
つまり、真面目な話はここで終わり。
今日はもうリネットもシャイルも仕事はないので――自由時間だ。
記録を抱えたミラがお辞儀をして、エルマーも――すごく嬉しそうな顔をしている――頷いたため、シャイルはリネットの手を引いた。
シャイルの手は、リネットの手首を優しく掴んでいる。
だが――それだけでも、体中が緊張している証しである血潮の音がシャイルに聞こえてしまいそうで、余計に鼓動が高まった。
執務室の隣は、仕事中にシャイルが休めるようなリビングがある。
少し前までは、「寝る場所があればいい」ということで簡易ベッドがあるくらいだったそうだが、最近はそこに二人掛けのソファや二人分のカップ、可愛らしいクッションなどの雑貨が増えていた。
エルマーが以前、「お二人の愛の巣ってやつですねー!」と茶化してシャイルに後頭部をひっぱたかれていたが――あながち間違いでもない。
「リネット、おいで」
とんっとソファに腰を下ろしたシャイルが、腕を広げてささやく。
あちこちに敵がおり、いつ誰に見られているか分からない王宮。そんな場所で、リネットとシャイルが水入らずでふれあえるのが、このリビングだった。
四人で打ち合わせをしているときの凜とした雰囲気はどこへやら、いつもはきりっとしている目尻を緩めてリネットを見上げるシャイル。
その腕の中に飛び込むと強く抱きしめられ、リネットはシャイルの胸元に頬を寄せて大きく息を吸った。




