伯爵令嬢の幸福①
リネットとシャイルは、自分たちが人生をやり直していることを打ち明け合った。
もう、シャルリエ王国を戦場にしない、大切な人たちを失いたくない、という思いで協力することになり、ミラとエルマーからの理解も得ることができた。
そうして――リネットはずっと保留になっていたシャイルの告白にも応え、今度こそは手を取り合っていくと決めた。
まず二人は、王太子とクリスフレアのもとに報告に行った。
相談の末、今後どうなるかが読めないので他の者にはやり直し人生のことは打ち明けない方がいいだろうということになったが、少なくともリネットがシャイルの愛に応える気になって――将来を見据えた交際を始めたということは、この二人には伝えたかった。
報告を受けた王太子は表情こそあまり変わらなかったが、「収まるところに収まるのが一番だ」と認め、クリスフレアの方は「これで、私と叔父上に関するくだらない噂をする者を黙らせられるな」と笑っていた。
二人が交際をしていることは、すぐに多くの貴族が知ることとなった。ほとんどの者は「おめでとうございます」「お似合いのお二人です」と、祝福してくれた。
中には自分の娘とシャイルをくっつけたがっていた者などもいたが、さすがに王太子やクリスフレアも認める二人に面と向かって喧嘩を売るつもりはないようだ。
……とはいえ、それでも果敢に立ち向かってくる者はいる。
「おやおや……噂のお二人ではありませんか」
いつもの四人で王宮の廊下を歩いていると、どこからともなく嫌みったらしい声が聞こえてきた。無視したいがそれはさすがに無礼なので、シャイルと一緒に渋々そちらを見る。
少し久しぶりに見る――正直あまり見たくはない――デュポール侯爵は、今日も取り巻きを連れて王宮を闊歩していた。
彼は議会にも籍を置いているので、金魚の糞を連れて城内を歩くこと自体は特にとがめられることはない。だが彼は本来この、王宮と騎士団練兵場を繋ぐ廊下には用がないはずだ。
「ごきげんよう、デュポール侯爵。……そのあたりは床に砂が散っていることが多いので、お気を付けください」
シャイルが礼儀正しく言うと、初めて気づいた様子の侯爵は足下の白い砂を見て、あからさまに顔をしかめた。
取り巻きたちがせっせと床を拭いた上を歩いてやって来た侯爵は、一度目の人生と変わらずでっぷり太った腹の肉を揺らしながらシャイルを見上げた。
「聞きましたぞ。エルドシャイル殿下はとうとう、そこの護衛魔法使いと交際を始められたとか」
「ええ。……これも全て、侯爵のご助言のおかげです」
「……何?」
侯爵が不可解そうな顔をする傍ら、シャイルは微笑んでくいっとリネットの肩を抱いた。
「以前参加した鑑賞会で、あなたは『噂だと一笑に付した結果、思わぬ醜聞を招きかねない』とおっしゃいました。そのご指摘に従いあの場でリネットに告白した結果、こうして恋人として隣に立ってくれることになりました。……感謝します、侯爵」
さわやかな笑顔でいけしゃあしゃあと言うシャイルを、リネットはひくりと口の端を引きつらせて見上げた。
(……な、なるほど。それもそうね……)
侯爵としてはシャイルとリネットの仲を嘲笑するつもりだったのだろうが、シャイルはうまく言ったものだ。
今日も身分差恋愛についてあれこれネチネチ言おうとしてわざわざここまで来たのだろうが、逆にシャイルに礼を言われたためか侯爵はぽかんとしていた。
だが、シャイルに自分の狙いを見透かされたのが癪だったようで、やがて彼は冷めた目で笑った。
「それは、それは。……未来ある若者たちの縁を結ぶのも、我々年長者の務めですからな」
「ありがとうございます。……では私たちは練兵場に参りますので、これで」
シャイルがそう言ってお辞儀をしたので、リネットもシンプルなスカートの裾を摘まんで頭を下げた。
……通り過ぎざま、侯爵がリネットとミラにしか聞こえないような声量で「……うっとうしい小娘め」と毒を吐いてきたが、聞こえないふりをした。
侯爵一行の姿が完全に遠のいてから、シャイルがふうっとため息を吐き出した。
「……まったく。俺たちの醜聞を作ろうとする執着心だけは、見上げたものだ。……リネット、平気か?」
「はい、シャイル様が素晴らしい機転で対応してくださったので」
リネットが言うと、シャイルは微笑んでリネットの髪にそっと触れてくれた。
「もう、おまえを傷つけないと誓ったからな。……しかし、俺たちの交際に物申すやつはひいては王太子殿下方のご決定に背くということにもなり……反乱分子のあぶり出し効果もありそうだ」
「そうですね。……王太子殿下とクリスフレア殿下にはあらゆる面でのご理解をいただいているので、何らかの形でお返ししたいです」
「……そのためにも、皆の未来を守るんだろう?」
ささやきと共に、こつん、とリネットの額にシャイルの額がぶつかった。
至近距離で、ハシバミの優しい双眸が瞬いている。
ぶつかった額は……思いのほか、熱い。
「……シャイル様、お熱がありますか?」
「あるな。おまえにこんなことをしているんだから、顔が熱くなって当然だろう?」
「も、もう! ……これから騎士団の監督に行かれるんでしょう!?」
顔を近づけてもらえて、嬉しい――が恥ずかしさもありぐいぐいと胸を押すと、シャイルはくつくつ笑いながら離れていった。
「それもそうだな。……では、おまえの可愛い顔は後でじっくり堪能しようか」
「……そ、そうしてください」
顔が熱い。
シャイルから見た自分の顔は、きっとみっともないくらいの真っ赤になっているだろう。
マントを翻したシャイルが、エルマーを伴って練兵場の方に歩いて行き、リネットは大きく深呼吸した。やっと、まともに息をつけた気分だ。
「……なんといいますか。エルドシャイル殿下、吹っ切れましたね」
ミラが冷静に言ったので、リネットは小さくうめきつつ頷いた。
(本当に……。二度目の人生では想いを口にすると決められたそうだけれど、それにしても破壊力が強すぎる!)
大抵の魔物や人間相手ならば魔法鞭ですぱっとやれる自信のあるリネットだが、シャイルにはどうも弱い。
しかもたちの悪いことに、シャイルはリネットの弱点を的確に突いた攻撃ばかり放ってくる。
(私、こんなのでやっていけるのかな……)
ため息をつき、リネットはきびすを返した。この後はマダムのもとに行って日程の確認をしてから、魔法鞭の講義をしに行く予定だ。
(ミラにも事情を話してからは、魔法鞭の講義もしやすくなったのよね……)
一度目の人生のミラにも、魔法鞭については教えていた。
だが彼女は元々リネットほどの魔力も野心もなかったし――エルマーの死後に妊娠が発覚してからは訓練をやめ、静かな場所で過ごさせていた。
とはいえ彼女はリネットよりずっと頭がいいので、講義の際に使用する資料や備品などを手際よく用意してくれていた。礼を言うと、「一度目の私ができなかったことも、したいですからね」と屈託なく笑って言っていた。
(本当に、ミラたちが力になってくれてよかった……)
晴れた空の空気をすうっと吸い、リネットは講義の準備をするべく自室へ向かった。




