過去をやり直す者たち②
残酷描写注意です
一度目の人生のシャイルは、途中まではリネットと同じ道を歩いていた。
王宮で六年ぶりに再会した二人はミラとエルマーに協力してもらい、密かに逢瀬を重ねるようになる。
だがリネットが二十歳、シャイルが二十三歳のときに、王太子が暗殺された。
そのとき、シャイルはやはりリネットに、「王宮から離れろ」と頼んだ。
「……本当は、手放したくなかった。戦乱の世になると分かっていても、手を取ってほしかった。そばで……守りたかった」
だが、リネットの返事は、「分かりました」だった。
――あの人生の分岐点で、リネットとシャイルは別の道を歩むことになった。
シャイルの方のリネットは首を縦に振り、ミラと共に王宮を去った。
幸い、シャイルがアルベール伯爵と繋がりがあることは公表されていない。それにアルベール伯爵領は辺境にあるので、戦争に巻き込まれることもない。
シャイルは胸にぽっかり穴が空いたような感覚に襲われながらも――これでよかったのだ、と自分に言い聞かせた。
リネットはきっと、故郷でいい人と巡り会うだろう。その人と一緒に、平和な伯爵領で穏やかな生活を営んでほしい。
リネットが幸せに暮らしていける世界を、自分が作る。
その一心で、シャイルはクリスフレア派の筆頭として戦いに身を投じた。
「戦況は、いいとは言えなかった。侯爵は早い段階で魔法使いたちを陣営に組み込んでいた。しかも魔物も大量に生成するものだから、こちらは防戦一方になっていた」
「……そう、なのですね」
シャイルが実際にどのような戦いをしていたのか、リネットは知らない。
だが少なくともリネットが残った場合、侯爵軍の魔法使いたちはそれほど強くなかった。
王子妃になったリネットはすぐに魔法使いたちを集めて鍛え上げ、決戦でも魔法使いの部隊を率いて侯爵のもとに殴り込みに行ったのだった。
戦争の結果という面だけだと――おそらく、リネットがいた方が有利だったのだろう。
「それでも、少しずつ味方を増やして侯爵軍を蹴散らしていった。そして、あと少しで決戦に持ち込めそうだというあるとき――俺たちのもとに、小包が届いた」
その荷物は、リネットの名で送られてきた。だが、そこに書かれているのは明らかにリネットの手ではない、雑な字。
嫌な予感がしたシャイルはエルマーと共に、小包を開けた。
そこに入っていたのは――べっとりと血の付いた、赤茶色の長い髪の房だった。
「……最初は、リネットのものではないと己に言い聞かせていた。だがしばらくすると、また別のものが届いた」
今度は、ミラの名前で届いた。
開けない方がいい、という意見もある中、念のためにエルマーが先に中を確認して――彼は悲鳴を上げた。
中に入っていたのは、若い女性の血にまみれた左腕だった。
別人のものかもしれない、となだめようとしたが、エルマーは聞かなかった。手の甲にある小さなほくろは間違いなく、ミラのものだと言って。
そこでシャイルは、あの長い髪も左腕も偽物ではなくて……リネットとミラのものだと確信を持った。侯爵軍が二人を捕らえ、シャイルたちを脅すための道具にしたのだとも。
シャイルはすぐに伯爵家にも知らせを送っていたが、帰ってきた部下は悲痛な顔で告げた。
「アルベール伯爵領はデュポール侯爵軍の襲撃を受けて、壊滅しておりました」と。
「……全て、俺のせいだった。リネットとミラが誘拐されたのも、伯爵領が襲撃されたのも。……だからせめてこれ以上被害を大きくするまいと誓った」
シャイルはクリスフレアに事情を説明して、すぐさま侯爵軍を討つ作戦に出た。
切り込み隊長はもちろん、シャイル。
「俺は、侯爵を討ち取った。そして、地下牢で――リネットを見つけた」
そう言うシャイルのハシバミの目からは、光が失せていた。
シャイルは頑丈な牢獄の扉を蹴り壊して、中で倒れていたリネットを抱き上げた。
「リネット! 俺だ、シャイルだ! 聞こえるか!?」
抱き上げた体はぼろぼろで、長く美しかった髪は哀れなほど短く切られていた。拷問を受けたのか、リネットの体中の皮膚が裂けており、顔も赤黒く腫れ上がっていた。
だが、そんな姿になってもリネットがシャイルの愛する人であることに変わりはなかった。
「リネット! 頼む、目を開けてくれ……!」
「……シャイル、様……?」
血で黒っぽくなった唇が動き、震えるまぶたが開く。
灰色の目に自分の顔が映り、シャイルは泣きたくなった。
「ああ、俺だ! ……侯爵は殺した。もう大丈夫だ!」
「……よかった。あなたが……無事で……」
リネットは、微笑んだ。
だが、その命の灯火が今にも消えそうであることは、いまだ傷が塞がらず血が流れ続けていることから分かった。
シャイルは自分のマントでリネットを包んで抱き上げ、牢獄から出た。
「すぐに手当をさせよう。……すまない、リネット。痛い思いをさせた……!」
「いい、の。……最期にあなたに、会えて……よかった……」
「リネット……?」
「シャイル、さま。わたし、ずっと、あなたのことが…………すき、です」
思いがけない告白にシャイルは一瞬足を止めたが、慌てて階段を駆け上がる。
「あ、ああ! 俺も、好きだ……おまえだけを愛している、リネット!」
「……うれしい。……すき、ずっと、すき……だから……」
「……リネット? おい、しっかりしろ、目を……」
「……しあわせに、なって――」
ともすれば聞き逃してしまいそうな声量でささやいた後、がくっとリネットの体が力を失った。
「……リネット?」
シャイルは、階段の途中で足を止めた。自分が腕に抱くリネットは喉を反らしており、その光を失った瞳は大きく開かれている。
周りで、兵士たちが何かを言っている。
だが何の音も、シャイルの耳には入ってこなかった。
シャイルは冷たくなっていくリネットの亡骸をかき抱き、悔やんだ。
もし、もしも。人生の分岐点であるあの日に戻れるのなら。
リネットの手を、決して離さなかったのに。




