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伯爵令嬢に迫る影⑥

 一度目の結婚は、戦時中でありリネットに権力を持たせるためであったが、それでもシャイルは言葉少なながら「リネットのことが好き」と言葉で、態度で、表してくれた。決戦のときも、未来を考えてくれた。


 だが……そんな誇り高い王子である彼が周りから中傷を受けたのも、事実だった。


『アルベール伯爵の娘よりももっと権力のある令嬢を妃にした方が、クリスフレア殿下の力になれたのではないか』

『うちの娘を妃にしていたなら、惜しみなく金銭援助をしたのですけれどね』

『うちの妹を愛妾にしないのなら、我が家はクリスフレア殿下の陣営から退きます』


 何度も何度も、そんな言葉を聞いてきた。

 シャイルもクリスフレアもなるべくリネットが中傷を耳にしないように配慮してくれていたから……実際はもっとひどい言葉が、シャイルたちを襲っていたことだろう。


 分かっている。

 リネットごときでは、アルベール伯爵家ごときでは、シャイルの力になれないと。

 ただバーサーカーのように敵を刈るだけが能の娘では、妃は務まらないのだと。


(……でも、それでも!)


「……何も、知らないくせに」

「何がですか?」

「……あの方がどんな人か、何も知らないくせに!」


 叫ぶと同時に、リネットは意を決してスカートを力任せに引っ張った。ナルシスに掴まれた布地が悲鳴を上げ――ビリリと破れてもなお、ナルシスから距離を取る。


「私はずっと、あの方をお慕いしている! たとえこの手が血にまみれようと、幾多の魔物を屠り敵兵の首を刎ねることになろうと、構わない! 私が全てを捧げたいと思えるのが、シャイル様なのだから!」

「な、何を……?」


 呆然としていたナルシスだが、リネットが廊下に向かって駆け出すとはっとして立ち上がり、すぐにリネットの体を拘束した。


「っ……離せ、破廉恥外道!」

「さっきから何をごちゃごちゃと……侍女の命なんて、どうでもいいのですね!」


 ナルシスは暴れるリネットを後ろから抱いて、廊下に待機する部下に指示を出そうとして顔を上げ――


「……そこまでだ、ナルシス・ブール!」


 凜とした声に続き響く、力強く床を蹴る音。ナルシスの腕の力が弱まり、もがいていたリネットの体が別の男の腕に抱き寄せられた。


 ふわりと漂うのは、控えめなコロンの香り。リネットの顔の横で、赤い髪の房がさらりと揺れる。


「シャイ――」

「な、何をなさるのですか、エルドシャイル殿下!?」


 安堵で胸を震わせるリネットの声に被さったのは、悲痛なナルシスの声。

 背後を見ると、いつの間にか部屋に踏み込んでいたらしいシャイルの部下が、ナルシスを拘束していた。


「こ、このようなこと、王子殿下とはいえ許されるべきではない!」

「はっ。恋人でもない未婚女性の部屋に押し入っていた変態に言われたくはないな」

「まさか! 僕はリネット嬢に誘われて、部屋にお邪魔していたのです!」


 ナルシスは不利な立場にあるにもかかわらず、にやりと笑った。

 だがリネットは、むっと唇をとがらせて首を横に振った。


「……嘘です、殿下。女性のスカートの切れ端を手にする男の言うことなんて、信じないでください」

「こ、これは事故です! それに……僕の言葉が嘘だという証拠がどこにあるのですか?」

「そこに」


 リネットが示した先にあるもの、それは――鏡台。

 後ろ手に縛られ立たされたナルシスは、不可解そうな顔で鏡台を見て――そして、真っ青になって震えた。


 普通の鏡なら、リネットの部屋を映しているはず。だがそこに映るのはここではない華やかなパーティー会場で、しかも――


「く、クリスフレア殿下……!?」

『そうだ、ナルシス・ブール。一部始終はこの私が確かに見ていたぞ』


 鏡にはクリスフレアの顔がはっきりと映っており、しかも声も聞こえてきた。

 彼女だけでなく、クリスフレアの友人らしき令嬢たちもひょっこりと顔をのぞかせ、『まあ、やっと気づきましたのね!』『あなたの言動は、わたくしたちがずっと見ていてよ』と言った。


 リネットは先日クリスフレアとお茶をした際に相談して、自分の部屋の鏡とクリスフレアの手鏡を魔法で繋ぎ、やり取りができるようにしていた。


(……まさか、部屋に押し入られるとは思っていなかったけれど……おかげで一部始終を見てもらえたわ)


 やっとナルシスは自分が嵌められたと気づいたようで、驚愕の眼差しでリネットを振り返り見た。


「……護衛魔法使いのくせにやけに逃げるのがどんくさいし、あっさり捕まったと思っていたが、まさか鏡に映すために……?」

「ええ。この部屋から離れると、クリスフレア殿下からは見えなくなってしまいますので」


 リネットが言うと、クリスフレアが『すぐにそちらに私の兵を向かわせよう』と言って鏡面が揺れ、リネットの部屋の光景に戻った。クリスフレア側が通信を遮断したのだろう。


「……クリスフレア殿下が手鏡を見せてくださったから、俺もすぐに駆けつけることができた」


 シャイルも言うと、ずるずる引っ張られていたナルシスは視線をさまよわせた。


「だ、だが! なぜここに殿下が!? 足止めは――」

「ああ、おまえが配置していたお友だちは皆、領地に帰っていったぞ」


 シャイルは薄く笑い、ナルシスを見下ろした。


「領民から徴収した税を道楽に使ったこと、婚約者がいながらよその女性との間に子どもを作っていること、多額の借金があること――いろいろ指摘すると、皆真っ青になって道を空けてくれたな」

「……は……?」

「ああ、おまえの話も聞きたいか? 確かおまえは父である伯爵のコレクションを売り払い、娼館通いの資金にしていたようだな? 一番新しいのは……伯爵が大切にしている指輪だったか?」


 シャイルが考え込みながら言うと、ナルシスはいよいよ真っ白になった。


「な……んで、それを……? 父上にも、バレていないのに……?」

「さあ、なぜだろうな」


 シャイルはふんっと鼻で笑うと、リネットの肩を抱いて部屋を出た。


「……まずは、場所を移動しようか」

「……はい。あの、ミラは……」

「ミラのところには、エルマーを行かせている。……少し、おまえと話したいことがある」


 シャイルに真剣な顔で言われて、リネットの胸はかすかな予感を察してとくん、と拍動した。

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