伯爵令嬢に迫る影④
シャルリエ王国第二王子エルドシャイル――もといシャイルは、死んだ顔をしていた。
「こちらが私の自慢の息子、エルドシャイルだ」
「まあ、若き日の陛下にそっくりですね」
「現在、騎士団で活躍されているとか」
「王太子殿下ならびにクリスフレア殿下の忠実な剣として職務に努められているというお話を、伺っております」
シャイルを取り囲むのは、そこそこ年を取った貴族たち。
若い令嬢たちほど香水の匂いはきつくないが、別の何か……品定めするような、値踏みするような――そしてどこか蔑むような視線を四方八方から感じていた。
今宵は、国王主催の舞踏会。
今から四十年以上前のこの日、国王と亡き王妃が王宮内にある大聖堂で婚礼を挙げた。
王妃からするとシャイルは、夫の浮気相手の子と言っていい。それに――シャイルには記憶がないが、王妃よりシャイルの母・フルールの方がずっと美しかったという。
それでも、王妃は国王のお手つきになったフルールを決して邪険にはしなかった。若くして妊婦になったフルールを気遣って小さめの離宮を与え、つつがなく出産できるように人員も派遣した。
出産後から国王の愛情が薄れたときも、王妃はいい意味でフルールへの態度を変えなかった。本当は、憎らしくてうっとうしかっただろうに。
王妃はフルールにもシャイルにも「無」の気持ちで接することで、王妃としての矜持を保っていたのかもしれない。
シャイルにとっての王妃は、敵でも味方でもなかった。
だが、母が病に倒れてなんとかシャイルをアルベール伯爵に預けることが決まったとき、我関せずだった国王と違い王妃は心ばかりの品を寄越してくれた。シャイルが無事に王国東にあるアルベール伯爵領に行けたのも、王妃が付けてくれた護衛がいたからだ。
そんな王妃が死んだことで、シャイルは王宮に戻された。十五歳の時点で既に匂うような色気を放っていた――と周りの者は言う――シャイルを、国王はことさら気に入った。
そして、「さすが、フローラの産んだ子。エリクハインやクリスフレアよりずっと、美しい」と賞賛した。
国王は、自分が手を付けた愛妾の名前すら覚えていなかった。
そういうことで、シャイルが王妃に対して抱く感情は、複雑だ。少なくとも憎むべき相手ではないし、死の床にいた母も王妃への感謝の言葉を述べていた覚えがある。
だから今日の舞踏会も礼儀として参加して、亡き王妃の肖像画の前に花を一輪手向けるくらいはするつもりだった。そうして、今日は王宮内の行事のため休みを取っているリネットに会いに行こうと。
だというのに国王はさっさと退室しようとするシャイルをめざとく見つけ、あろうことかこちらに来るよう命じてきたのだ。呼びに来た侍従も困り顔なので哀れに思い仕方なくそちらに行くと、中年の貴族たちに囲まれて今に至る。
シャイルの肩を叩く国王は、満面の笑みで次男を客たちに紹介している。
「これほどの美丈夫なのだが、なかなか縁談に乗り気にならなくてな。是非とも、皆のご息女や親戚の令嬢を勧めてくれないか」
「しかし、陛下。噂ではエルドシャイル殿下は、中流貴族の娘に懸想してらっしゃるとか」
貴婦人の一人が言ったため、さっさとこの場から出たいシャイルも意見しようと口を開く――が。
「いやいや、恥ずかしいことで。そのような噂は、根も葉もない虚言。王家の血を継ぐエルドシャイルが田舎貴族の娘と恋仲になるなぞ、許されることではない」
……ぴくり、とシャイルの拳が震える。
それに多くの貴族が気づいたようでさっと顔色を変えたというのに、国王は調子よく言葉を続けている。
「私としては、愛想のないエリクハインや女らしさの欠片もないクリスフレアよりずっと、エルドシャイルの方が王にふさわしいと――」
「……陛下」
我慢ならなくて、シャイルは言葉を挟んだ。普通なら、王子といえど国王の話に割り込むようなまねをしてはならないのに。
だがシャイルにはめっぽう甘い国王は「どうかしたのか? よい娘がいたのか?」とにこやかで、シャイルはそんな父――とすら思いたくない男を底冷えのする笑顔で見つめた。
「私の愛する女性を罵倒するのは、もうそれくらいにしてもらいましょうか」
「んん? 何を言っておるのだ、エルドシャイル?」
「リネット・アルベールがどれほどの努力をして私のそばにいてくれるのか、あなたは何も知らない――知ろうともしないし、たとえこんこんと説明したとしても何一つご理解いただけないでしょう。しかし、それで結構です。……彼女の魅力をあなたに教えることすら惜しいので」
そしてシャイルはなれなれしく抱かれていた肩をゆすって国王の手から離れ、貴族たちに笑顔でお辞儀をした。
「……では、私はこのあたりで失礼します。皆様、どうぞ今宵をお楽しみください」
「先ほどから何を言っておるのだ? ……ああ、さてはエルドシャイル、妃候補を探しに行くのだな? よいよい、行って参れ」
あっさり解放してくれたのは助かったが、本当にこの男は大丈夫なのだろうかと、シャイルは純粋に心配になってきた。
王としての仕事はほぼ全て王太子とクリスフレアが行っているとはいえ、もはやこの老人は脳の処理能力が落ちているのではないだろうか。
周りの貴族たちはシャイルのためにさっと道を空けてくれた。誰も、わざわざ追ってこない。
……ここに集まる貴族の大半は、亡き王妃に親しかった者たちだ。皆からするとそもそも、愛妾フルールの子であるシャイルなんて挨拶もしたくない存在だろう。
イライラする心を必死になだめ、国王から離れる。やるべきことは終わったので、後は王太子とクリスフレアに挨拶だけして退出すればいいだろう。
「エルマー、王太子殿下は?」
「殿下は先ほど、議会会長の案内のために会場を出られました」
先ほどのやり取りの間は少し離れたところに立っていたエルマーが答えたので、シャイルはしばし考え込む。
先代国王を追放した議会だが、王太子は議会とも良好――とまでは言えずとも対等にものを言える関係を築いている。政務の話も絡むだろうから、退出の挨拶のためだけに呼び止めるのは申し訳ない。
「では、クリスフレア殿下は?」
「あちらですね」
エルマーが示した先は、会場二階。ダンスや社交などはせず、飲み食いしたりソファに座って休憩したりしたい者は、二階にいた。クリスフレアも早々に二階に上がって、のんびりしているのだろう。
シャイルが螺旋階段を上がって会場二階に行くと、そこには友人らしい令嬢数名と談笑するクリスフレアの姿があった。
先ほど国王は孫娘のことを「女らしさの欠片もない」と言ったが、どうやら目が腐っているようだ。華やかな深紅のドレスを着て友人たちと語らうクリスフレアは溌剌としており、愛らしい。
……心底嫌う祖父の前だからこそ、クリスフレアは辛辣になるのだろう。
「クリスフレア殿下」
「おや、叔父上」
声を掛けると、クリスフレアは手に持っていたもの――手鏡のようだ――を膝の上に伏せて、にこやかにシャイルを迎えた。
「よい夜……とは言えませんね。先ほどの様子、上階より拝見しておりました」
「……お恥ずかしいところをお見せしました」
「お気になさらず。叔父上はもう、退出なさるのですか?」
「できればそうしようかと」
シャイルが疲れた声で言うと、さもありなんとクリスフレアは頷いて立ち上がった。
「それがよろしいでしょう。……その前に一つ、ご相談が」
そう言って彼女は、周りにいた令嬢たちに少し離れるよう頼んだ。皆は笑顔のまま頷き、数歩下がった。
シャイルの妃になろうと野心を燃やす令嬢たちと違い、クリスフレアが友としてそばに置くわずか数名の精鋭たちは、クリスフレアとシャイルに恋愛感情がないことも理解しているし、シャイルに色香で迫ったりもしない。なるほど、いずれ未来の女王を支える貴婦人になるにふさわしい淑女たちだ。
「……よいご友人ですね」
「ありがとうございます。彼女らは、私がこれから先ずっとそばに置いて頼りたいと思っている者たちです」
クリスフレアが誇らしげに言ったので、シャイルは少しだけ目を細めた。
だがクリスフレアはすぐに表情を引き締め、先ほどから手にしていた手鏡を持ち上げた。
「……叔父上。こちらを」
促されてそれを見たシャイルは――小さく、息を呑んだ。




