伯爵令嬢に迫る影②
ブール伯爵子息が近づいていることは、すぐにシャイルにも伝えた。
シャイルもクリスフレアに相談したところ、彼女は「あの勘違いお節介男が」とぼやいていたという。そして、「いつでも私の名を使ってくれ」との言葉ももらえた。
そういうことなので、リネットもいざとなったらクリスフレアにも助力を頼むつもりでありつつ、要注意人物には近寄らないように警戒するようにした。
……のだが。
「おやおや! こんなところで奇遇ですね、アルベール伯爵令嬢!」
(……うわ、会ってしまった……!)
場所は、王宮の二階廊下。
リネットは王宮使用人の手伝いで部屋の掃除をして、その後シャイルと仕事の打ち合わせをして、これからミラと一緒に魔法鞭の講義に行くところだった。
シャイルからも、「なるべく人気のある場所を通るように」と言われていたので、人通りの多い――そして、使用人階級の者しか通らない場所をわざわざ選んだのだが。
リネットに似た地味な服装の使用人たちがぎょっとする中、向かいからやって来たのはやたらきらきらしい格好の青年貴族。金髪に青色の目で、腰には明らかに見せかけだと分かる細身の剣を提げている。
まだ名乗っていないが、リネットは彼がナルシス・ブールだと知っている。一度目の彼も当然、これと同じ顔をしていたのだから。
ミラもだいたいの予想が付いたようでさっとリネットの前に立つが、ナルシスはそんなミラを一瞥した。
「……おまえ、アルベール伯爵令嬢のメイドか?」
「こちらは私の侍女です。……ごきげんよう。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ここで逃げたら面倒なことになると悟り、リネットはミラを下がらせてお辞儀をした。ナルシスはそんなリネットをじろじろ見た後に、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「僕は、ブール伯爵家のナルシス。次期当主です。リネット・アルベール嬢、どうぞお見知りおきを」
「……よろしくお願いします」
本当はよろしくしたくないが、鉄壁の笑顔で乗り切った。
ナルシスはふふんと笑い、使用人がたむろする廊下を見渡しながら言う。
「こんなところで悪いですね。しかし、どうしてもあなたとお話をしたくて」
「そうですか……」
「先日、庭園散策にお誘いした際は、こっぴどくフられてしまいましたね。いやはや、エルドシャイル殿下の寵愛の君はさすが、殿下に忠実でいらっしゃることです。庭園散策にも殿下の許可が必要とは……これではまるで、恋人同士ではなくてただの主従のようですな」
そう言い、ナルシスはくすっと笑った。どう考えても好意的な笑い方ではなくて、リネットが怒るのを期待しているのが丸わかりだ、が……。
(それはまあ……私たち、お付き合いしているわけじゃないし。仕事の都合もあるから、許可を取るのは当たり前じゃないの……)
ミラも同意見のようで、隣で小さくため息をついたのが分かった。
「お言葉ですが。私はエルドシャイル殿下付きの護衛魔法使いです。いついかなるときに殿下のお呼びがあるか分かりませんので、外出などにも主君の許可を取るのは当然のことだと思いますが」
「おやおや、謙遜なさらなくてもいいのですよ。そうですよね、まさかご自分が王子殿下の寵愛を一身に受けるなんて、周りの嫉妬を買うだけ。口にするのも恐れ多いことですものね」
そんなことは言っていない。
(あああー……! こういうタイプが、一番面倒くさいのよね……!)
こういう人は、「私はあなたのことが嫌いです」と言っても、「またまた冗談を」「誰かにそう言わされているのでしょう」と明後日な解釈をしがちだ。
現にこの男は今から約三年後、「クリスフレア殿下とエルドシャイル殿下は両片思い状態に決まっている。お二人は王子妃の手前遠慮しているだけだ」と言いふらし、しかもクリスフレアに追い出されてもなお持論を信じ込んでいた。
要するに、話し合いが成立しないのだ。
リネットが呆れ返っていると、ミラがお辞儀をした。
「失礼します。……エルドシャイル殿下とリネット様について疑問に思われることがおありでしたら、是非ともご本人に相談なさってください。今すぐ、殿下をお呼びしましょうか?」
「は、はぁ!? 多忙な殿下をお呼びするなんて、おまえは馬鹿か!?」
ナルシスは額に青筋を立ててミラを怒鳴りつけたが、明らかに怯えた顔をしている。今ここでシャイルを召喚して困るのは自分だと、分かっているからだろう。
リネットはすっと目を細め、ミラの手を引いた。
「……エルドシャイル殿下は、気がかりなことがあればいつでも報告するようにと仰せです。ですから、私の侍女は殿下の仰せの通りのことを提案しただけで……彼女を馬鹿と呼ぶのならば、間接的に殿下をも馬鹿と呼んだことになりますよ?」
「そ、そういうわけでは……! ……くっ、失礼する!」
さすがにこれ以上は失言を重ねるだけだと悟ったのか、ナルシスはきびすを返して去って行った。……やたら大きな声で、「これだから田舎の山猿は」「侍女の分際で」と捨て台詞を吐きながら。
(……やってしまった……かしら……?)
ちらっとミラを見るが、彼女は首を横に振った。そんな彼女が自分の肩越しの背後を親指の先で示すので、そちらを見ると――
(……あっ、あれって、デュポール侯爵!?)
一瞬だけ見えてすぐに廊下の曲がり角に引っ込んだが、間違いなく憎き侯爵の姿だった。
ミラが「まずは部屋に戻りましょう」と言うのですぐに廊下を通り抜け、二人はリネットの部屋に駆け込んだ。
「……ま、まさかデュポール侯爵が見ていたの!?」
「ええ」
部屋に入って鍵を掛けるなりリネットが問うと、ミラは冷静に頷いた。
「少し前から、姿が見えておりました。……おそらくですが、リネット様がブール伯爵子息とやり取りをする姿をネタにするべく、張っていたのでしょう。普通ならあの廊下を伯爵子息はもちろんのこと、侯爵が使うわけありませんから」
「……。……ひょっとして、ブール伯爵子息とデュポール侯爵が示し合わせた……とか?」
「十分考えられますね……」
ミラも、難しい顔だ。
デュポール侯爵とシャイルの仲が悪いこと、そしてナルシスがクリスフレアとシャイルの仲を妄想していることは結構有名だ。
さらに……ミラには言えないが、事実侯爵は数年後に王座を奪おうと企み、ナルシスも余計なことをしてクリスフレアに追放される可能性がある。
ということは、リネットの悪評が立てば両方にとって都合のいいことになる。
リネットがシャイルに愛されていながら、他の若い貴族と「密会」している――となれば、シャイルにとっても不名誉だ。そして結果としてシャイルとリネットが決別すれば、ナルシスは嬉々としてシャイルとクリスフレアをくっつけようと迫るだろう。
「ブール伯爵子息自体は小物中の小物ですが、ああいうのは行動力だけはあるのが厄介です。……おまけに王宮内でも発言力のあるデュポール侯爵も協力しているとなると、あちこちに出没しかねませんね」
ミラの物言いは、辛辣だ。それくらい彼女もナルシスを嫌っているということだろう。
「……ミラ、さっきはごめんなさい」
「馬鹿と言われたことですか? ……お気になさらないでください。私こそ、もっとうまく言い返せたらよかったのですが……」
「ううん、助かったわ」
……それに、ミラがシャイルの名を出して挑発したからこそ、あの場はナルシス側敗北の喧嘩別れのような状態で解散できた。
もしリネットがナルシスとの距離を詰められていたら、それを見ていた侯爵にとっていいネタになっていただろう。
(あの場には、たくさんの使用人がいた。皆も、ブール伯爵子息が捨て台詞を吐いて逃げていくところを見ていたから、もし侯爵が嘘情報を流そうとしても目撃者になってもらえるはず)
今回はなんとか切り抜けられたが、ナルシスには要注意だ。
『活動的な馬鹿より恐ろしいものはない』(ゲーテ)




