伯爵令嬢の戦い②
後から来たミラに馬と被っていた儀式用の帽子を預けたリネットは、地面を蹴った。魔力で体がふわりと浮き上がり、そのまま近くの家屋の屋根にとんっと着地する。
(魔物は……もう、近くまで来ている)
先ほどは小さなごま粒のようだった影が、今は鳥の形がはっきり目視できるほどまでになっていた。
他の魔法使いたちも宙に跳び上がり、魔法の構えをしている。リネットもまた右手を伸ばし――そこから、光り輝く鞭を作り出した。
周りで魔法使いたちが、驚きの眼差しでリネットの魔法鞭を見ていた。今回はもちろんのこと、一度目の人生でさえ魔法鞭を完全に習得できたのは、リネットしかいなかった。
たった二年間で魔法鞭を完成させられたのは――リネットに、何が何でも勝たねばならないという強固な意志があったから。そうして、己を犠牲にしてでも作り出したのがこの武器だ。
(でも、今回はもう自分を犠牲にしたくない)
短い気合いの声と共に、魔法鞭を唸らせる。最初は両腕を広げたほどの長さだったそれはなめらかに伸び――飛んできた魔物の第一波を横薙ぎに払い飛ばした。
ジュワッという音と甲高い絶叫を上げて、魔物が消えていく。リネットの右手には、ほんの少しのびりっとした痛みが走った。
魔法鞭の利点は、少ない魔力で多くの敵をなぎ払えること。鞭を伸ばせば伸ばすほど魔力の消費は激しいが、ポイントは「柔と剛」の使い分けだ。
伸ばしている部分の魔力は弱めで、敵を切り裂く先端に魔力を集結させる。そうすることで、広範囲に波動攻撃を行うなどよりずっと少ない魔力で確実に敵を倒せるのだ。
最大の欠点は、炎や風を放つのと違って敵の攻撃を鞭で受け止めた際などに、そのダメージだけ魔力が削れること。
しなやかな鞭は攻撃にも防御にもなるが、相手が強ければ強いほどリネットの魔力で編んだ鞭は消耗し、その消耗が直接リネットの力を削ぐ。
だが、体力はともかく魔力だけなら自信がある。たとえ魔力が空っぽになったとしても、ふらふらの体を引きずってシャイルのもとに戻ることができる。
(無理はしない、死なない。……そう、約束したのだから!)
周りの魔法使いたちも、次々に魔物を攻撃して消滅させていく。鳥魔物の数はおびただしいが、個々の能力はそれほどでもない。的確に魔法を放つことで、次々に消し去ることができた。
リネットは魔法鞭を伸ばしてその先端を、城下町の中央にある時計台に向けた。しゅるん、と鞭の先が時計台に絡まり、鞭を縮めることでリネットの体は時計台の方へ引っ張られていく。一度目の戦争時もよく使った移動手段だ。
他の魔法使いと違って、魔法鞭は仰角での攻撃がしにくい。幸いリネットは高所恐怖症ではないので時計台の屋根に足を掛けて鞭を伸ばし、水平に横薙ぐように光る軌跡で鳥魔物を消していった。
(もう、かなり倒したと思うけれど……)
ふと、疑問に思った。
貧弱なリネットも少し息は切らしているがまだ余裕があるし、魔法使いたちも「大分片付いたな」「無茶はするな」と声を掛け合う程度の余裕はある。見たところ、魔力が尽きてこれ以上跳べず地上に降りた者もいないようだ。
(……魔物が、弱い……?)
侯爵が呼び出した魔物でさえ、もう少し手応えがあった気がする。無論、魔物を作り出す者の魔力によって魔物の強さは変わるものなのだが、それにしても手応えがなさすぎる。
(王都にまで飛んでくるとなったら、普段から掛けている防護魔法に穴を作ったということ。それなのに、魔物自体は弱い……?)
そんなことがあるのだろうか、と不安になったリネットは、たんっと時計台の壁を蹴った。
「リネット・アルベール。もう敵は少ないので、あまり前進しなくていいだろう」
周りの魔法使いは言ったが、リネットは空中で足を止めて振り返った。
「いえ……嫌な予感がするので、念のために見てきます」
「そうか。では、そろそろ市民を――お、おい! あれ、何だ……!?」
話をしていた魔法使いが慌て始めたため、リネットは振り返った。
かなりの数を掃討していたため、黒い鳥魔物はもう数えるほどになっていた。だが――
(魔物が、合体して膨らんでいる……!?)
わずかだった鳥魔物が一カ所に集まり、それが見る見る間に膨らんでいった。
まずい、とリネットは歯を噛みしめ、周りにいた魔法使いたちに呼びかける。
「集合して、巨大な魔物になるつもりだ! 迎撃の準備を!」
巨大化されたら、こちらが不利になる。それに、リネットの魔法鞭は雑魚をなぎ払うのには向いていても、巨大な一匹を倒すのにはむしろ不利だった。
まもなく膨らんだ魔物が、さっと翼を広げた。
それは――両翼で部屋一つ分はありそうな、巨大な漆黒の魔物だった。
ギェアアアアアア、と叫ぶ声はこれまでの雑魚鳥魔物とは比べものにならない大きさで、リネットは慌てて前方に向かって空中を蹴り、時計台まで後退した。
(こんな大きいのとは、戦ったことがない……!)
一度目でバーサーカーのごとく戦ってきたリネットでさえそうなのだから、周りの魔法使いたちも撤退こそしないが青ざめている者が多い。
(でも、街に下りないように止めないと……!)
あんな巨体に襲われたら、無防備な市民ではひとたまりもない。ましてや王太子たちの乗る馬車まで迫られたら、騎士たちでも太刀打ちできないだろう。
リネットはごくっと唾を呑み、魔法鞭を放った。眩しく光る鞭をなるべく太くして鳥魔物の首を狙う――が、鞭の力が弱くなっている部分を翼で弾かれてしまった。
反動でがくっとリネットの体が震え、時計台の屋根から滑り落ちそうになる。
(こいつ、集合したことで知能も上がっている……!?)
ひとまず魔法鞭を消すと、周りの魔法使いたちも魔法を放ち、まずは左右の翼を狙っていた。魔法鞭と違って炎や衝撃波なら、一度放ったものが弾かれたとしても術者に反動が返ってくることはない。
「……ネット!」
ふいに地上から、声がした。見下ろすと、時計台の下に立つ赤い影が。
「……すみません、一時撤退します!」
周囲に呼びかけてから、リネットは時計台から下りた。
そこにいたシャイルは馬から下り、腰に提げていた剣を抜いた。
「ご苦労だった、リネット。……あの魔物は、おまえの武器では戦うのが難しそうだ」
「は、はい。……申し訳ありません」
「謝るな。……空中を跳びながら自分にも防護魔法を掛けつつ、攻撃魔法を放つ。……疲労して当然だ。下がっていてくれ」
「しかし……!」
「命令だ。下がっていろ」
初めて、シャイルが声を荒らげた。
びくっと体を震わせるリネットを横目に、シャイルは鞘から剣を抜いた。その刀身は普通の鋼の剣と違い、淡い光を纏っている。
「……ああいうのは、核にあたる部分を破壊するのが一番だ」
シャイルたち騎士が常用する剣は、魔法使いたちの力が込められている。普通の剣では魔物を滅せられないが、魔力を纏わせた武器で魔物の中心にある核を破壊すれば、消し去ることができた。
先ほどリネットが倒したような小型の魔物であれば魔法の一撃で消せるが、大型の魔物なら核を潰して倒すのが一般的だった。
「しかし、敵は飛行型です。シャイル様は……空を跳べません」
「ああ、分かっている」
「だったら、シャイル様ではなくて私が……!」
「先ほど言っただろう、リネット。……下がっていろ、と」
シャイルの言葉に、リネットは目を瞬かせた。
シャイルは静かに命令を下している、が――口元にかすかな笑みを浮かべていた。
「攻撃は、俺がする。だからおまえは下がって……俺の補助をしてくれないか」
「あ……」
リネットは、理解した。
「下がっていろ」というのは、戦闘に参加するな、という意味ではない。ただでさえ魔力が削られている今、非効率な攻撃はしなくていいから代わりにシャイルを支えてくれ、ということ。
一度目の戦争では、リネットは侯爵を討ち、シャイルはオーレリアンを捕縛するという使命の違いがあり、一緒にいることができなかった。
そして……二度目の人生を歩き始めたリネットも、思っていた。背中合わせで戦う必要なんてない、と。
それなのに。
(シャイル様に、必要とされている。私の力を、必要としてくれている……!)
求めてくれることが、求めに応じられることが……とても、嬉しい。
リネットは、シャイルに必要としてほしかった。
彼の足枷になるのではなくて、対等な立場として支え合いたかったのだ。
「……はい、シャイル様」
リネットは、頷いた。




