伯爵令嬢の戦い①
王太子とクリスフレアの視察の日は、よく晴れていた。
次期国王とその娘の城下町視察ということで、騎士団や護衛魔法使いたちが大勢警備にあたる。
そうすると必然的に王宮内の警備は手薄になるので、国王は「私の身辺警護はどうするのだ!」と文句を言ったそうだが、特に誰も対応は考えていないそうだ。
(まあ、どう考えても国王より王太子殿下とクリスフレア殿下の方をお守るするべきだものね……)
むしろ、ほぼ全ての公務を王太子に押しつけているくせにいつまでも王座にしがみつく国王の方がさくっといなくなってくれた方が、シャルリエ王国は平和になるのかもしれない。
先代国王のような暴君であれば国民も蜂起して議会も国王の追放を決定するのだが、のらりくらりと実質無害な間は追放処分はできそうになかった。
本日シャイルは王太子親子の護衛隊長として参加するらしく、そんな彼の護衛であるリネットもシャイルのそばに付くことになった。
「何事もないのが一番だが、もし異変が起きたとした場合、護衛魔法使いたちはそれぞれの役割に応じて動くことになる」
出発前の打ち合わせ時に、シャイルは説明した。
「まず、専属ではない魔法使いの場合。彼らは護衛魔法使い隊長の指示で動くことになる。一方リネットは俺付きだから、おまえに指示を出すのは俺だ」
シャイルに言われて、リネットは頷いた。
「シャイル様をお守りするか、王太子殿下たちをお守りするか、はたまた不審者などを追うかの判断は、あなたが下してくださるのですね」
「ああ。……とはいえ、用兵術を習い騎士団で部下を動かす立場とはいえ、俺は魔法に関しては素人同然だ」
アルベール伯爵領で過ごしている間、リネットの父である伯爵は実子と同様にシャイルにも教育を施した。
シャイルは武術や馬術の才能が抜きん出ており、また指揮官として部下を動かす才能、そして人を率いるカリスマも持ち合わせていた。リネットも最初はシャイルと一緒に剣を習ったりしたが、早々に音を上げたものだ。
その分、リネットは魔法使いとしての素質に恵まれていた。覚えていないが、二歳くらいで既に部屋のものを浮かせたり移動させたりできたそうだ。
一方のシャイルは、魔法がてんでだめだった。幼少期の魔力検査の時点で「魔力:極小」との診断は下りていた。
だからか、三つ下のリネットが宙を飛んで遊べるようになっても、さらにリネットより五つ下の弟が両手の中に小さな虹を出せるようになっても、シャイルはろうそくに火を灯すことさえできなかった。
そういうことでシャイルは早々に魔法を諦め、魔法に関する本も読まなかった。彼曰く、「今でも魔法の本を読むと頭が痛くなる」そうだ。
「……まあそういうことだから、俺がおまえに指示を出すといっても、『殿下を守れ』『こっちに戻れ』『敵を追え』のようなざっくりとしたものになってしまうが……」
「いえ、魔法はシャイル様の専門ではないので、そのあたりは臨機応変に動きますね」
「すまない。……俺もやろうと思えば魔法を使えなくもないのだが、一度エルマーの髪を刈り取りそうになって以来、禁止令が出てな……」
ついエルマーを見たら、目を逸らされた。
彼の金色の髪は今日も元気にふさふさとしていた。
王太子とクリスフレアを乗せた馬車が、城下町へ下りていく。
彼らの周りを騎乗した騎士や魔法使いたちが取り囲んでいるが、あまり物騒な雰囲気はない。
「王太子殿下、クリスフレア殿下!」
「こんにちは、殿下!」
「ご機嫌麗しゅう!」
馬車が大通りを進むと、集まってきた国民たちが声を掛けてくる。視察用の衣装に身を包んだ親子は笑顔で手を振り、歓声に応えていた。
――先代国王の時代は、国王に逆らうと処刑された。
そして城にこもりっぱなしの現国王は若い頃から視察なんてほとんどしなかったし、もし城下町に下りたとしてもそれはお遊びで、美しい娘を引っかけて遊んだりとろくでもないことばかりしていた。
そんな空気を払拭するべく、王太子とクリスフレアは「開かれた王家」を目指している。
二人の馬車は護衛魔法使いたちが何重にも防護魔法を掛けているものの、屋根がないタイプなので二人の顔が国民からもよく見える。名を呼ばれると笑顔で応え、視察のために店を訪れた際に出迎えた店主にも、丁寧な態度を貫く。
二代にわたって愚王――片方は存命なので、おおっぴらに言う者はいないが――を生み出してしまったシャルリエ王国を変えようと、二人は努力している。そんな二人だから、多くの国民に慕われている。
(……でも、デュポール侯爵のような人は存在する)
シャイルの隣で馬に乗っているリネットは、考える。
(王太子殿下もクリスフレア殿下も、お強い。……お強くて、取り入る隙がない。それを厄介に思う者は、デュポール侯爵家のオーレリアン様のような傀儡になりやすい人を王に据えたくなる)
実際現在のデュポール侯爵家は、王太子との折り合いがよくない。
よくないからこそ、以前シャイルと共に参加した美術鑑賞会で主催者変更があったときのような場合も、波風を立てないように出席しなければならなかった。
(やり直しの人生なのだから、侯爵だけでなくて他にも敵になる者を早めに潰せたらいいけれど……)
ちらっと隣を見ると、凜とした顔で馬を進めるシャイルの姿が。
今日も今日とて地味な上着と乗馬用スラックスという格好のリネットと違い、王太子親子の護衛隊長の任務を賜っているシャイルはきらびやかだ。風を受けてなびく赤い髪が、白銀の鎧によく映えている。
乗っている馬も、鞍一つ取っても装飾が多く、重厚な馬鎧が取り付けられている。サドルパッドにも豪奢な刺繍が施されており、縁に連なったタッセルが揺れている。
そんなシャイルは無論よく目立ち、視察を見に来た民の中にはシャイルに熱い視線を注ぐ女性もいた。
(それもそうよね。こんなに……格好いいんだもの)
シャイルはリネットの方は見ず、城下町のあちこちに視線を走らせている。時折隣にいるエルマーに何か言うと、エルマーは頷いて周りの者に指示を出していた。
国民たちが歓迎する中、王太子親子の視察は順調に進んでいく。
――だが。
(……っ! 嫌な気配……!?)
リネットがさっと顔を上げたとほぼ同時に、周りにいる護衛魔法使いたちも警戒の色を見せた。騎士や一般市民では気づかないわずかな魔力を、リネットたちは嗅ぎ取っていたのだ。
「……エルドシャイル殿下。魔法の……おそらくこれは、魔物の気配です」
リネットがささやくと、シャイルが驚いたようにこちらを見た。
「魔物? ……おまえ、魔物の気配が分かるのか?」
……まさか、「一度目の人生で倒しまくったからです」とは言えないが、疑わしげだったシャイルもリネットの言葉がでまかせではないことは、周りの魔法使いたちの反応を見て分かったようだ。
馬車が止まり、民衆がざわめく。護衛魔法使いたちが王族二人の乗る馬車に近づいて、防護魔法を強めた、直後――
「……魔物だ!」
その姿を認めたらしい誰かが叫び、悲鳴が上がる。
青く晴れた空。その南の方角から飛んでくる、黒いいくつもの影。
(あれは、飛行型の魔物――!)
魔物とは、魔力によって生み出された魔法生物のことだ。リネットたちが普段使う魔法と違い、魔物を生み出すには魔力だけでなく――贄となる命が必要だった。
魔物を生み出して使役し、戦争の道具にする。
それは古来続いており、現在は当然魔物の生成は禁止されているものの、生成方法自体は単純なので違法に手を染める者も少なくない。
魔物は、犠牲になった生き物の姿を取る。王都に向かって飛んできているあれらは――何者かによって大量に殺された鳥たちのなれの果てと言っていい。
(鳥の、魔物――)
どくん、と心臓が緊張を訴える。
一度目の戦争でも、そうだった。
当時デュポール侯爵はクリスフレア派との戦闘で、様々な姿の魔物――たまに、人間に近い形のものもいた――を送り込んできた。
魔法鞭を使えるリネットは先頭に立ち、漆黒の魔物たちを屠っていた。魔物を倒すには魔法か、魔力を纏わせた武器でなければならないから。
「市民たちを避難させよ! 護衛魔法使いたちで、魔物を倒せ!」
王太子が命じて、クリスフレアも「皆は、避難を!」と呼びかけている。
シャイルもこれから魔物との戦闘になるからか王太子親子のそばに騎士を固め、護衛魔法使いたちで魔物と戦うよう護衛魔法使い隊長に命じていた。
(……私も)
戦いたい。
戦わなければならない。
「……呪いだ! これはきっと、今の王家が呪われているからなんだ!」
どこからともなく男性の悲鳴が聞こえて、リネットはちっと舌打ちをした。
(余計なことを!)
ただでさえ混乱の中にあるのに、あんなことを言われればますます皆の不安を煽るだけだ。
シャイルは声のした方をさっと見やり、エルマーに何か指示を出した。彼が馬を駆っていくと、「リネット」と手招きをした。
「おまえ……魔物と、戦えるか?」
「戦えます」
迷うことなく、答えた。
鳥形の魔物との空中戦の方法は、体に――否、魂に刻み込まれている。
一度目の決戦時ほど体力はないが、空中を跳び回りながら魔法鞭を振るうあの感覚は、リネットの精神本体に染みついていた。
シャイルは一瞬だけ、顔をしかめた。だがすぐに表情を引き締め、とんっとリネットの肩を軽く叩いた。
「……リネット・アルベール。魔物を迎撃せよ」
「……はっ、殿下!」
「だが、体が辛くなる前に戻ってこい。間違っても……戦いで命を落とすようなことはするな」
シャイルが言った、その瞬間。
『だから……死ぬな、リネット』
血と泥にまみれた世界でシャイルが告げた言葉が、よみがえる。
埃と土の味のするキスをかわし、「死ぬな」と告げたシャイル。
あのときのリネットは、その命令に諾と答えなかった。……答えられなかった。
あのときの自分は、侯爵を討った後に死ぬつもりでいたから。そうすることでしかシャイルの未来を守れないと、思い込んでいたから。
(でも、今は違う)
シャイルも王太子もクリスフレアも、死なせたくない。
それと同じくらい……リネット自身も、死にたくなかった。
だから、リネットは。
「……はい、殿下」
巻き戻った世界でやっと、そう言うことができた。




