あなたと共に過ごす時間④
胸くそ悪いキャラ注意
喉がカリカリして浅く呼吸をするリネットの腰に、そっとシャイルの手が回った。周りで女性が小さな悲鳴を上げたのが聞こえる。
「さあ、リネット。おまえは次も仕事があるだろうし、そろそろ行こう」
「待て、エルドシャイル。……その娘、案外愛らしい顔立ちではないか。また今度、茶の席に連れてきて――」
「申し訳ありませんが、陛下。私もリネットも多忙の身でございますので、ご遠慮させていただきます」
シャイルがにべもなく言うと、さすがに取り巻きたちもざわついた。要するにシャイルは、「おまえと茶を飲むより仕事の方が大事だ」と言ったようなものだから。
だが国王は怒ったりはせず、やれやれとばかりに肩をすくめてきびすを返した。
取り巻きが、「叱責なさらなくてよいのですか?」と尋ねると、「あれも反抗期なのであろう。だが、いずれ親の気持ちが分かるはずだ」とからからと笑っていた。
嵐が過ぎ去った後の廊下はしばし嫌な空気が流れていたが、やがて四人分のため息が漏れた。
「……すまない、リネット。嫌な思いをさせた」
シャイルに謝られたので、リネットは首を横に振った。
「いえ、お気になさらず。……シャイル様が叱責を受けなかったことだけで、私は十分です」
「あれは叱責をしないのではなくて、できないんだ。自分もされたことがないし、そういうところまで頭が働いていないんだろう」
もう耄碌しつつあるしな……と、王子だとしても無礼なことを呟いた後、シャイルはリネットの腕を引っ張った。
「こっちの道を通った方がいい。……あれはおそらく、リネットのことを気に入った」
「えっ? あんな罵倒したくせに、ですか?」
「言っていただろう、『思っていたよりも』と。……俺と一緒に茶の席に行けば、なんだかんだ言いくるめて俺を追い出し、リネットだけを残させるつもりだろう」
シャイルに言われて、リネットは初めてその可能性に思い至りぞっとした。
あの、値踏みするような視線。
てっきり、自分の息子の妻としてふさわしいかどうかを見極めているのだと思ったのだが――
(……女としての価値を見られていた、っていうこと……!?)
「……嫌だ」
「そう、だよな。……あんなのが父親で、すまない」
「生まれを変えることはできませんよ。……でも、あの、もし命令とかされたら、従わないといけないのですか……?」
リネットがこわごわ尋ねると、シャイルは「いや」と首を横に振った。
「国王の取り巻きは確かに厄介だが、明らかに王太子殿下やクリスフレア殿下の支持者の方が多い。今日のことは俺の方から両殿下にもお伝えするし……万が一俺がいない間に声を掛けられても、『王太子殿下の許可がありません』と断ればいい。あの取り巻き連中も、王太子殿下には逆らえないからな」
「……分かりました」
つまり、一応国王ではあるが民からの人気としては王太子親子が圧倒的なので、困ったら二人の名を使えばいいということだ。
(こんなことのためにお二人の名前を使うなんて、恐れ多いけれど……)
そんなことを考えながらリネットが歩いていると、ふとシャイルが足を止めた。
「……リネット。王宮は、息苦しい場所だ。だからこそ頼れる者には頼ればいいし、困ったら権力者にすがればいい」
もちろん、と振り返ったシャイルは強い眼差しで言う。
「リネットに辛い思いをさせないため、俺も尽力する。……だが、他の貴族連中ならばともかく、国王相手となると厄介なことになる。そういうときは、頼れる者の名を使えばいい。そうしないと……俺の母のようになる」
俺の母――国王に無理矢理愛妾にさせられた、フルールのことだ。
フルール・ベルトンはベルトン子爵家の娘で、深紅の髪とハシバミの目を持つ愛らしい娘だったという。
だがリネットのように王宮使用人として働いていた際、その美しさが国王の目に留まって無理矢理寝所に呼ばれて、お手つきになった。
当時、フルールは十八歳。国王は四十代後半だった。
「母には、恋人がいたそうだ。国王の愛妾になってもなお、その相手は母を想いいつまでも待つと言ってくれたそうだが……母の方から、別れを告げた」
ピチチ、と小鳥がさえずる声が遠くに聞こえる。
シャイルは目線を落とし、リネットの腕を掴まない方の自分の手のひらをじっと見つめた。
「懐妊してからも、母は国王のお気に入りだった。だが……離宮で俺を産んでからというもの、国王は母を顧みなくなった」
「……愛情が、薄れたのですか?」
「簡単に言うとそういうことだが……。後にエルマーの母から教わったのだが、国王は出産後まもない母の顔を見たとき、すっと真顔になったそうだ。命を懸けて俺を産み落とした母は……きっと、化粧もせず髪も乱れ、疲労しきった顔をしていたからだろう」
最初リネットはその意味が分からなかったが、すぐに状況が理解できて――胸の奥にかっと怒りの炎が宿った。
(そ、それってつまり、フルール様が出産で疲れた顔をなさっていたから……!?)
「な、なんですかそれ、最て――い、いえ、すみません!」
「気にするな。俺もそれを聞いて激高し、国王の居室に殴り込んで口汚く罵った記憶がある」
シャイルは苦く笑うと、リネットの肩をそっと撫でた。
「それでもあれは、『息子の可愛い反抗』などとほざいて俺の暴言を許した。……俺が、両親の顔を受け継いでいたからだろう。その後もあれはたびたび俺を呼んで顔を見ては、『おまえの母も昔は美しかった』と言っていたからな」
「……ひどい」
「ああ、ひどいことだ。……だがまあ、ある意味割り切ることもできた。俺はあれの子かもしれないが、あれを父親として敬愛する必要なんてないんだと思うことにした」
シャイルはそう言い、リネットの腕を取って歩き出した。
「俺の実の親は、母だけ。そして……育ての親は、乳母として幼少期の面倒を見てくれたエルマーの母と、少年期に育ててくれたアルベール伯爵夫妻。わざわざ国王を親と思わずとも、俺には愛情深い母が三人、厳しくも優しい父が一人いるのだから、十分すぎるくらいだ」
「シャイル様……」
「……ああ、湿っぽい話をしてしまったな」
シャイルは頭を掻くと、ちょうど正面に見えてきた廊下の方を示した。
「ほら、こっちの道から行くと国王一行に再び会わずに済む。……今日は疲れただろうし、茶休憩はまた今度にしよう。今回のことを、早めに王太子殿下にも伝えたいからな」
「……分かりました。お手数をおかけします」
「いや、こんな面倒くさい王家におまえを関わらせてしまったのは俺なのだから、これくらい進んでするとも」
そしてシャイルはリネットの腕から手へと触れる箇所を滑らせ、手を取ると身をかがめて指先にキスを落とした。
さらりとした赤い――彼の生みの母と同じ色の髪が、リネットの手の甲をくすぐる。
「何かあれば、いつでも呼んでくれ。……俺では力不足なことなら、王太子殿下やクリスフレア殿下の名を出せばいい」
「……はい」
「いいか、リネット。……俺も王太子殿下もクリスフレア殿下も、おまえを無条件に認めているのではない。おまえの努力と実力を賞賛するからこそ、両殿下もおまえを支援したいと仰せになっている」
シャイルの言葉が、すとん、とリネットの胸に響いた。
顔かたちだけで人を判断する国王とは、違う。
皆は、リネットという一人の人間を認めてくれているのだ。
握られた手が、くすぐったい。
嬉しくて、誇らしくて、胸が震える。
「シャイル様……嬉しいです。ありがとうございます」
「うん、そうだ、おまえはその笑顔が似合っている。……とても、素敵だ」
しっとりとささやいた声はリネットの胸をときめかせ、頬を上気させる。
シャイルは小さく笑うと手を離し、とんっとリネットの背中を軽く叩いた。
「では、そろそろそれぞれの仕事に戻ろうか。……今日は迷惑を掛けた。仕事の後は、ゆっくり休んでくれ」
「はい。殿下もお体にはお気を付けください」
「ありがとう」
シャイルは笑うと、エルマーを伴って歩き去った。




