あなたと共に過ごす時間①
ある日、リネット――というよりシャイルに、任務が下された。
「今度、王太子殿下とクリスフレア殿下が城下町視察に行かれる。その下見をしてくれ、とのことだった」
「下見……ですか」
シャイルの執務室のデスクに城下町の地図を広げ、リネットたちはその上で言葉を交わし合う。
シャイルは頷いて地図の王宮の位置に右手の人差し指を置き、そこから大通りを南下するように道筋をなぞっていく。
「当日辿るルートと視察で訪問する店などを、事前に俺たちで調査してほしいとのことだった。……まあ、王太子殿下親子揃っての視察となったら護衛も大量に付くから、俺たちがするべきなのは視察予定の道を一度歩き挨拶回りをして、当日の打ち合わせをすることくらいだな」
「それって、シャイル様でなくてもいいのでは……?」
リネットがまっとうなことを言うと、シャイルは黙ってしまった。代わりに答えたのは、シャイルの隣に座っていたエルマーだ。
「それはそうなのですけれどね。実はこれ、クリスフレア殿下直々のご命令でして……要するに、エルドシャイル殿下とリネット様が主従としてきちんとお仕事をされているところをアピールしておけってことなんです」
なぜか上機嫌のエルマーによると。
クリスフレアはシャイルとリネットがお互いに好意を抱いている状況を歓迎した上で「貴族どもに侮られないようにしろ」と仰せになったそうだ。
今回の下見でシャイルとリネットが真剣に仕事をすることで、それを見る者に「エルドシャイル殿下と護衛魔法使いは、お互いを大切に思いつつも真摯に職務に取り組んでいる」という印象を与えられるのだという。
(なるほど。だから、私たちをご指名なさったのね……)
シャイルがリネットに告白したあの鑑賞会から、十日ほど経過した。
特に口止めはしていないので、第二王子が護衛魔法使いに恋情を抱いているという情報はあっという間に王宮内に広がっていった。
そうしてシャイルやリネットに問い詰める者も当然出てくるのだが――二人の反応は、「そうですが、何か?」で統一している。
突っ込んだことを聞かれても、「二人だけの秘密ですので」と笑顔ではぐらかし、仕事中はあくまでも主従として接する。
そうすることで噂話好きな貴族の大半は毒気を抜かれた顔になり、「まあ、見守るか」くらいの気持ちに収まる。これを考えたのはシャイルだったが、彼の発想にはリネットも舌を巻いた。
(逆に、しつこく突っかかってくる者はデュポール侯爵に与している可能性が高い。それをあぶり出すこともできるのよね)
事実、しつこい者の大半は一度目の人生でオーレリアン派に付いているのを見たことがある。
二人の関係にいちゃもんを付ける者は――ひいては、二人の支援者である王太子やクリスフレアに逆らう可能性もあるということで、クリスフレアとしても助かっているという。
「そういうことで、下見自体は真面目にしてもらいます。でも、だからといって始終むっつり顔で事務的なやり取りだけをしろってわけじゃありませんからね。下見が終わった後に城下町を回るくらいなら大丈夫ですし」
「そうだな。俺たちの評価はクリスフレア殿下たちにも繋がるのだから、城下町の皆とのやり取りは積極的に行っておくべきだろうな」
シャイルも言ったので、そういうことかとリネットも理解できた。
……ということで、よく晴れた日に下見が行われることになった。
当然、王子の外出なので護衛魔法使いのリネットと護衛騎士のエルマーが付くことになり、またリネットの補佐としてミラを連れていくことの許可も下りた。
エルマーは「これって巷で言う、ダブルデートってやつでしょうかね!?」と上機嫌だったが、ミラには嫌そうな顔をされたしシャイルにも頭をはたかれたことで黙った。
シャイルとリネット。そして二人の部下であるエルマーとミラ。
(……懐かしい。一度目の人生でも……一度だけ、こうして四人だけで出かけたことがあったわね)
あれは、王太子暗殺事件が起こる半年ほど前のこと。
リネットとシャイルの密会は続いており、その日は「シャイルとリネットの休日が偶然被った」という設定で、四人で行動したのだった。
出かけた、といっても城下町の噴水広場で「偶然」出会った後、公園を四人で一周しただけだ。
うっかり貴族と鉢合わせになって噂になってはいけないということで、四人ともヒヤヒヤしながら歩き――しかし終わった後は、「楽しかったですね」と言い合ったものだ。
もう戻ることのない――おそらく二度目の人生では経験することのない、未来でありながら過去である懐かしい日々。
だが今は、王子エルドシャイルとその護衛たちという立派な建前を持った上で出かけている。あくまでもシャイルの公務の一環なので、誰かにとがめられることもない。
(そういえば、城下町を歩くのも久しぶりね……)
生活に必要なものは支給されるし、何かあってもマダムに頼めば注文してもらえる。たまに給金を手にミラと一緒に買い物に行くことはあったが、じっくり町並みを見ることはなかった。
エルマーが王太子とクリスフレアの視察予定ルートの地図を持っているので、それを参考にしながら足を進めた。
道中、王子一行を目にして多くの市民たちはさっと道を空けたが、中には気さくに「ごきげんよう、エルドシャイル殿下」と声を掛けてくれる者もいたし、無邪気な子どもに至っては自らシャイルに近づいてきた。
「王子様だー!」
「こんにちは、王子様!」
子ども二人が近づいてきたので、リネットは素早くエルマーと目線を交わし合った。
そしてリネットはその場にしゃがみ、石畳に手のひらを当てて微弱な魔力を流し込んだ。そして石畳を通して、駆け寄ってくる子どもたちの魔力を探る。
(……うん。子どもたちから怪しげな魔力は感じられない)
ちらっとエルマーを見ると、その視線を受けた彼はシャイルの前に立って、「ちょーっと待ってくれよ!」と子どもたちを止めた。
「エルドシャイル殿下とお話がしたいのか?」
「うん!」
「おれたち、将来騎士になるんだ! だから、殿下にご挨拶する!」
「そうかそうか! それじゃ、ちょっと体を触らせてくれよ」
一言断ってから、エルマーは子ども二人の体にぽんぽんと触れていった。
子どもたちは「くすぐったーい!」と笑っているが――エルマーは、万が一にでも子どもたちが服の下に武器を隠していないか、確認しているのだ。
やがてエルマーが頷いたため、シャイルが進み出て子どもたちと視線が合うようにしゃがんだ。
「こんにちは。おまえたちは、騎士になりたいのか?」
「はいっ!」
「おれたちのじいちゃん、騎士だったんです! 騎士団では、『青髭のジョイ』って呼ばれていたそうなんです!」
「ああ、それは知っている。青髭のジョイ――ジョイ・ルマールは五番隊に所属していたな。おまえたちは、ジョイの孫か。彼には昔、世話になったな」
シャイルがさらっと言うと、子どもたちは目を丸くした。
「す、すげぇ! じいちゃんのこと、覚えてる!」
「じいちゃん、騎士団にいた頃のことを今でも自慢するんです! だからおれたちも、騎士になりたくて!」
「そうか。……おまえたちが騎士になって一緒に訓練できることを、楽しみにしている。これから勉強と鍛錬に、よく励みなさい」
そう言ってシャイルが両手でそれぞれの頭をがしっと撫でると、「うわーい!」「王子様に撫でてもらったー!」と喜びの声を上げながら、子どもたちは走り去っていった。
立ち上がったシャイルは目を細めて子どもたちを見送り、「では行こうか」とリネットたちを促した。
颯爽と歩くシャイルの横顔を、リネットは静かに見上げた。
(……子どもたちと話をしているときのシャイル様、とても楽しそうだったわ……)
そういえば一度目の彼も、継承戦争の最中でも養護院訪問は欠かさなかったし、町で飢えている子どもたち用の炊き出しなどを手伝ったりしていた。
王子でありながら、市民に交じって汗を流すシャイル。そんな夫を支えたくて、リネットも一緒に行動していた。
子どもがお好きなのですか、とリネットが尋ねると、シャイルは微笑んで『ああ。子どもは国の宝だ』と言っていた。
それから……こうも、言っていた。
『クリスフレア殿下が勝利なさって、平和な世になったら……俺たちの子どもについても考えたい』
と。
――ずくん、と腹の奥が痛んだ。
それは、今のリネットの痛みというより――リネットの中に染みつく、一度目の自分の悲鳴だった。
シャイルは、リネットとの未来を考えてくれていた。夫婦として幸せになろう、子どもについて考えよう、と。
だが――リネットはそのどの言葉にも、よい返事をしなかった。
……できなかった。
(だって、一度目の私は――)
「……やりますね、彼」
ぽつんと聞こえた声が、リネットを我に返してくれた。
リネットの隣に並ぶミラが、シャイルとエルマーの背中を見つめている。
「もっとおちゃらけていると思ったのですが、殿下の護衛騎士として優秀だというのは事実みたいですね」
「え? ……ああ、さっきのエルマーね」
戦闘だけでなく、主君の近くに危険がないか目を光らせるのもエルマーの仕事だ。先ほどのように、気さくなボディタッチと見せかけて身体検査をする手つきにミラは感心しているようだ。
「子どもを怖がらせることなくかつ、あの子たちを殿下に近づけていいか探る。……手先も器用ですし、気遣いもできるようですね」
(……あら?)
エルマーを見るミラの目は、優しい。
(……ああ、なるほど。エルマーはからかうように迫るんじゃなくて、自然に真面目に仕事をしている姿を見せる方が、ミラに好いてもらえそうね)
思わず頬を緩めそうになったが、慌てて気を引き締めてリネットは前を向いた。




