王子の誓い②
一通り鑑賞を終えたところで、シャイルがちらっと外を見やった。そろそろ義務は終えたので退出したいということだろう。
「……僕が馬車を呼びますので、殿下のことはリネット様にお任せします」
エルマーがささやいたので、リネットは唇を引き結んで頷いた。
開会の挨拶では失態を犯した。この後しばらくエルマーがいないので、シャイルのことはリネットがきちんと見守らないといけない。
足早に去っていくエルマーを見送り、リネットはシャイルに呼びかけた。
「殿下、エルマーが戻るまでの間、休憩なさいませんか? 飲み物でもお持ちしますね」
「そうだな。では、酒精の入っていない爽やかなものを――」
「……これはこれは! ようこそいらっしゃいました、エルドシャイル殿下!」
言葉をかき消されたシャイルのハシバミの目に、すっと陰がよぎる。
そして彼はごく自然な動作でリネットを自分の背に庇うように立ち、声を掛けてきた男――デュポール侯爵に向き直った。
取り巻きらしい若い男性貴族たちを連れたデュポール侯爵は、にっこりと人のいい――リネットの目にはいやらしく映る――笑顔でお辞儀をした。
「代理主催者として、エルドシャイル殿下にご挨拶願いたかったのですが、お声を掛けるのが遅れたこと、お詫びします」
「こんばんは、デュポール侯爵。……公爵邸に飾られた見事な品々をいち早く拝見しようと早まりましたこと、お詫び申し上げます」
シャイルはしれっと返し、侯爵に負けず劣らず美しいお辞儀をした。周りで見ていた令嬢たちが、ほうっとため息をついたのが分かった。
……シャイルの方が侯爵を避けてさっさと廊下に出たというのは事実だが、リネットは見ていた。
(侯爵、廊下に出ようとするシャイル様を少し離れたところからじっと見ていたのよね……)
つまり、デュポール侯爵からシャイルに挨拶をしようと思えばできたのに、あえてしなかった。
理由は……そのときにはシャイルのそばに、口が達者なエルマーがいたからではないだろうか。
シャイルにやんわり叱られた経験のあるリネットが密かに警戒しながら見る中、侯爵はシャイルに親しげに話題を振った。
「公爵夫人自慢の品々は、いかがでしたかな? 殿下のお気に召すものはございましたか?」
「さすが公爵夫人の審美眼、と唸らされる品々ばかりでした。ちなみに私が気に入ったのは、黄金の獅子の像ですね」
おそらく、猫と間違えたあれだ。
侯爵は、「左様ですか」とにこやかに応えている。……だが、シャイルの返答内容にはさして関心がないことくらい、リネットにも分かった。
「それにしても……ご多忙な殿下にお越しいただけて、誠に光栄です」
「公爵夫人のお誘いとありましたのでね」
「それはそれは。……近頃、殿下の周りにはよからぬ噂を口にする者も多いとのこと。さぞご心労のことと思います」
――ぴくっ、とシャイルの指がわずかに揺れた。
侯爵が示す「よからぬ噂」の中身はどうせ、リネットとのことについてだろう。
(……やっぱり、この話を持ってきたわね!)
警戒心を丸出しにするまいと目を伏せるリネットだが、嫌な予感ばかりして心臓が落ち着かない。
「いえ、所詮噂は噂。私は気にしておりません。お気遣いに感謝します」
リネットの位置からはシャイルの顔は見えないが、声は穏やかだ。……左の拳が硬く握られているのは、気になるが。
だが侯爵は「そうですかな」とわざとらしく続ける。
「噂だと一笑に付した結果、思わぬ醜聞を招きかねませんぞ。……特に今回のような、異性関連ともなれば」
言葉の途中で、ほんのわずか侯爵の声の雰囲気が変わった。
おそらく……リネットの方を、見た。
侯爵の言葉を受けてか、周りにいた貴族たちが「……そういえば、エルドシャイル殿下には想う君がいらっしゃるとか」「確か、現在は殿下の護衛になっていて……」「まさか、あそこにいる女性では?」と、ひそひそ声での噂話を始めた。
なるほど、このようにしてシャイル――ひいては彼と懇意にするクリスフレアたちの評判を落とそうとしているのだろう。
エルマーのような言葉が上手な者がいない今、シャイルの壁になってくれる存在はない。
(私が……出たら、間違いなく噂を増長させるわよね……)
シャイルの不名誉な噂を払拭するどころか、「やはりそうなのか」と侯爵を調子に乗らせるだけだ。シャイルも元々口達者ではないから、反撃は難しい。
(もうすぐエルマーが戻ってくるはずだからなんとか耐えて、すぐに王宮に戻れば――)
頭の中で撤退計画を練るリネットだが、ふと、腰をぐいっと引かれた。
「えっ?」
「なるほど、確かに。私が優柔不断な態度を取れば取るほど、周囲の皆への誤解が大きくなる。私だけでなく、件の女性への風当たりも強くなる。ならば……はっきりとさせるべきですね」
リネットの腰を抱くシャイルが、妙に調子よく喋っている。
侯爵は、驚きの表情でこちらを見ていた。
周りの貴族たちもざわつくが、いきなり王子がお付きの女を抱き寄せたからか、「まあ!」「もしかして!?」とはしゃぐ女性も少なからずいるようだ。
(えっ……え?)
リネットは、顔を上げた。
ちょうどシャイルも視線を落としたところのようで、ハシバミの目を柔らかく緩めて微笑む愛しい人の顔を直視して、かあっと顔が熱くなった。
「シャっ……エルドシャイル殿下……!?」
「リネット・アルベール伯爵令嬢。……俺は幼い頃からずっと、あなたのことを女性として意識していた」
低くささやかれた途端、ぴしりとリネットの体が硬直した。
これまでどの令嬢とも一定の距離を置いていた王子の告白に、ざわめきが大きくなる。
驚く者、見入る者、焦る者――だが大半は、「王子の告白はどうなるのだろうか」と好意的な意味で期待して傍観しているようだった。
真っ赤になって硬直するリネットの首の後ろにシャイルの手が回り、結った髪の付け根に触れられる。
太い指先が首筋をかすめて思わず「んっ」と声を上げると、シャイルの目が愛おしいものでも見るかのように細められた。
「先日再会してからというものの、あなたへの想いは募るばかりだった。……護衛魔法使いとして王家のために尽くしてくれるあなたの信念の妨げになるようなことは、したくない。……だが、これだけは言わせてくれ」
「シャイル、様……」
困惑と驚きで揺れるリネットの目を見つめ、シャイルは告げた。
「俺はあなたを……あなただけを、ずっと愛している」




