麗しの王子と護衛魔法使い④
クリスフレアがリネットの部屋を訪れたのは、シャイルから話を聞いた四日後のことだった。
「多忙な中、時間を取ってくれたことに感謝する」
「いえ、こちらこそご足労いただき感謝します、殿下」
今日のためにミラが張り切って掃除した室内に、リネットはクリスフレアを招いた。
シャルリエ王国王孫である、クリスフレア・ティトルーズ。王太子唯一の嫡子で、シャイルとは叔父と姪の関係にある。
きつく結った髪は、しっとりとした落ち着きのあるブラウン。意志の強さがうかがえるきりりとした緑色の目は王太子妃そっくりらしく、噂では若き日の王太子は未来の妻のこの強気な眼差しに惚れ込んだという。
シャルリエ王国では現在、尻を膨らませるデザインのドレスが流行している。クリスフレアが纏う濃い藍色のドレスも流行りのデザインを踏襲しているが、スタイルのいい彼女が着ているからか他の令嬢とは全く違った雰囲気を醸し出していた。
王太子には他に子がいないため、順当に行けば彼女が二代後の国王――シャルリエ王国でも珍しい女王となる。彼女もその責任はよく理解しており、人脈作りにも精力的に取り組んでいるという。
――そんな魅力的なクリスフレアと、不遇ではあるが誰もが見惚れる美貌を持つシャイル。二人が実は想い合う仲なのでは、と噂する者は一度目の人生でも数多く存在した。
二人は叔父と姪だが年齢は近く、またシャルリエ王家は叔姪婚が認められている。しかも王太子とシャイルは半分しか血が繋がっていないというのも、二人の仲が奨励される理由の一つだった。
そんな噂を聞いたかつてのリネットはたびたび胸を痛めていたし――結婚してからもそういう陰口は止まないどころか拍車を掛けてひどくなった。
『いくらクリスフレア様と結ばれないからといって、代わりにあんなぱっとしない伯爵令嬢を娶るなんて』
『エルドシャイル殿下が本当に愛しているのはクリスフレア様だが、戦況をよくするために仕方なく伯爵令嬢で手を打ったのだろう』
そんな陰口を、何度も聞いてきた。
だがクリスフレアはどこまでも真っ直ぐで、「私と叔父上の恋愛妄想を繰り広げる破廉恥頭」と貴族たちを叱責していた。
彼女はまた、厳しい状況でありながらもリネットとシャイルの結婚を祝福してくれたし、「そなたたちがごく普通の夫婦として過ごせる未来を、私が作る」と励ましてくれた。
だからリネットは今も昔も、クリスフレアのことを敬愛していた。
物言いは尊大でがさつなところもあるが、それはいずれ女王となる自分を奮い立たせるためで、根は非常に繊細で優しい女性なのだと知っている。
リネットの正面に座ったクリスフレアにミラが茶を淹れると、「感謝する」と礼を言ってから口を付けた。目下の者でも決して侮ったりしないところが、彼女の魅力の一つだ。
「父上から聞いた。そなたは先日王家付き護衛魔法使いになったばかりだそうだな。エルドシャイル叔父上付きとしての仕事は、どうだ? 叔父上が迷惑を掛けたりしていないか?」
そう尋ねるクリスフレアはシャイルのことを、叔父ではなくて弟――それも、かなり手の掛かるタイプの――と思っているかのようだ。
「滅相もございません。エルドシャイル殿下は田舎貴族の私にもとてもよくしてくださっています」
「そうなのか? 叔父上の護衛騎士は、叔父上がやたらそなたに構うのでウザがられているのではないかと言っていたが」
きっと、エルマーの告げ口だろう。
「う、ウザがってはおりません。ただその、王子殿下に必要以上に目を掛けていただくのは恐れ多くて」
「そのように遠慮することはない。聞けば、そなたと叔父上は兄妹のように育った仲だということではないか。私もそのことを叔父上から聞いて、そなたに一度会いたいと思っていたが……なるほど、叔父上が執心するのも仕方ないくらいのよい淑女ではないか」
クリスフレアは淡々とした口調で褒めてくれるが、真面目な態度で言われるからこそかえってリネットの頬が熱くなっていく。
「お、恐れ入ります……」
「……なあ、アルベール伯爵令嬢。私も父上も、そなたが王宮に来てくれて……本当に嬉しいのだよ」
ふいに、クリスフレアの口調が優しくなる。
顔を上げると、ミラが差し出した茶菓子を摘まむクリスフレアの柔和な微笑みが。
「六年前に王宮に戻られてからの叔父上は、いつもどこか表情に陰がおありだった。騎士団で騎士たちを鍛えているときも、私たちと一緒に食事をするときも、はたまたお一人で休まれているときも。お顔にはどこか強ばりが見られ、ここではない遠くを見つめているかのような眼差しをされていた」
「……」
「私たちは、叔父上がアルベール伯爵領でお過ごしだったことを知っていた。だから……おそらく彼の地に、叔父上が愛おしく思う者がいるのだろうと予想していた」
そう言って、クリスフレアは小さく笑った。
「……今から一ヶ月ほど前だったろうか。あまり口数が多くなかった叔父上が、やたら明るくなってな。父上は『何か変なものでも食べたのだろうか』とおっしゃっていたが、叔父上は至って健康だった。それからは憑き物が落ちたかのように、物事に精力的に取り組まれるようになった」
「そうなのですか?」
「ああ。だから、そなたが護衛魔法使いの試験を受けると聞いた叔父上は練兵場に飛んでいき、しかも試験終わりにはそなたを抱擁しただけでなく、国王の怒りに触れる恐れもなんのそのでそなたと旧知の仲であると告白したと聞き……ああ、叔父上もきっと大丈夫だろうと思ったものだ」
そう言ったクリスフレアは、リネットに穏やかな眼差しを注いできた。
「それで、そなたはどうなのだ?」
「私、ですか?」
「叔父上がそなたに格別の感情を抱いているのは、明らかなこと。では、肝心のそなたの方はどうなのかと思ってな」
「……」
「もし心底迷惑に思っており……叔父上に異性の愛情を一切抱いていないというのなら、私もそれなりの対応をするべきだと思っている。だから、一度そなたの気持ちを聞きたいのだ」
クリスフレアの言葉に迷っていたリネットは、はっとした。
彼女は下世話な気持ちでリネットに問うているのではなくて、シャイルの姪――王族として王宮のことを考え、そして田舎貴族の娘でしかないリネットのために、尋ねてくれているのだ。
(それなら……私も、素直にお答えしないと)
頭の中で言葉を整理させるのに数秒要した後、リネットは顔を上げた。
「私は……エルドシャイル殿下のことを、お慕いしています。幼い頃から、ずっと」
「そうか」
「しかし、この想いを告げるつもりはございません」
もう、リネットは一度彼と結ばれている。
夫婦らしいことはほとんどせず、夜を共にしたこともないし、会話の内容も血なまぐさいものばかり。物資不足のため、贈り物もほとんどなかった。
だが、シャイルに頼りにされていた自分は。彼と背中合わせで戦えていたリネットは、幸せだった。
……幸せだったからこそ、自分と結婚したことでシャイルが陰口をたたかれていることが心苦しかった。
侯爵を討ち取ったリネットがもしシャイルのもとに戻れたとしても……彼の妃として生きていくことはできないのだと、分かっていた。
(だから、今回はもう身分不相応なことは望まない)
王太子とクリスフレアを魔の手から守り、シャイルが彼らしく生きていけるように支える。
それこそがきっと、リネットが人生をやり直すことの意味なのだろう。
「このことを教えているのは、そこにいる侍女のミラとクリスフレア殿下だけです。ですので……このことはどうか、エルドシャイル殿下には秘密にしてくださいませんか」
リネットが思い切って告げると、クリスフレアは可愛らしく首をかしげた。
「ふむ……? ではそなたは叔父上のことを憎からず思っているし、あの暑苦し――いや、積極的な態度も嫌いではない。だが、男女の仲になることや結ばれることなどは望んでいないというのだな?」
「……はい」
「そなた、謙虚なのか望みが低いのか慎ましいのか、よく分からんな。だがまあ、そなたの気持ちは分かった。ひとまずのところ、叔父上に関しては静観ということでよいかな」
「すみません、お気遣いに感謝します」
「気にするな。……だが、なぁ」
クリスフレアはミラが新しく注いだ紅茶を一口すすった後、少しだけ遠い眼差しになった。
「あの叔父上が、一度ほしがったものを簡単に諦めるとは思えない。そなたも、面倒な相手に惚れられたのだと諦めてくれ」




