【読切版】引きこもり箱入令嬢の結婚
思いついた瞬間のノリと勢いだけで書き上げた短編です。
読んで頂いた皆様のささやかな暇つぶしになれば幸いです。
※連載版始めました٩( 'ω' )و
タイトルの上にある「箱入令嬢物語」というシリーズタグから飛べますので、よしなに
王城にあるパーティホールで、本日は成人会と呼ばれる催しが開催されていた。
前途ある、貴族の若者たちが集うこの催しは、四季に一度行われるものだ。
誰も彼もが希望と緊張、少なからぬ野心を抱いて、表向きは和やかで華やかな談笑に包まれたこの会場。
誰も彼もが気づきながらも、見て見ぬフリをするモノがそこにはあった。
パーティホールの片隅に、華やかな場には不釣り合いの大きな木箱が置いてある。
(箱……?)
(箱だよな……)
(何なのかしらあの箱……?)
(一体なんの箱なのでしょう……?)
(しかし、みなは気にしておらぬようだしな……)
(もしかして、気にしたら負けなのか……?)
誰も彼もが疑問に思うこの箱は――
とにもかくにも、少し前の王と宰相のやりとりに遡る。
★
成人会のおよそ二ヶ月前。
トールドール王国の宰相を勤める優秀な男、ネルタ・ライズ・ドリップス。
彼は、ある悩みを抱えていた。
だがその悩みは表に出すことなく、ネルタは職務を全うする。
職場で悩んでも仕方がない話――という理由も多分にあるのだが。
「――以上が、本日ご確認頂きたい書類のすべてです」
「そうか。ご苦労だった」
いつものように仕事をこなし、王からの労いを受け、一礼する。
ここまではいつも通りだ。
「ああ――そうだ。ネルタ。下がる前に少し話をしたいが、時間はあるか?」
「はい。問題ございませんが……なんでしょうか?」
だが、そのあとがいつもと異なった。
王は書類に目を落としながら、下がろうとするネルタを呼び止めたのだ。
「そろそろ、次男サイフォンが十七歳を迎える。言うまでもなく、この国における成人とされる歳だ」
書類から顔をあげ、ネルタの方へと王は視線を向ける。
それを受けて、ネルタはついに来たかと、胸中で額に手を当てて天を仰ぐ。あくまで胸中なので、実際に動作はしていないが。
「其方の娘――も、年回りは同じであったと記憶している」
「はい。その通りにございます」
「王族として、高位貴族として、本来であれば婚約者がいてもおかしくはない二人には、なぜか婚約者がいない」
サイフォン王子は優秀だが同時に変わり者と評価されている。
基本的に自分が楽しいと思えることを優先する。
もちろん王族としての権力と責務は自覚しているので無茶はしない。だが、面白そうだからということで、様々な問題に首を突っ込み引っかきまわすのだ。
しかもサイフォンが首を突っ込んだ場合、結果として当初の想定よりもマシなオチがつくのだから、怒るに怒れない。
王としても父としても頭が痛い話である。
そしてサイフォンは、自分の伴侶となるべき相手に対し、血統や貴族としての地位よりも、自分が一緒に居て楽しいかどうかを重要視しているところがあるのだ。
だが、王子としてはある程度の良家の者と結ばれなければ箔が付かないという事情もある。
王子も王子で、それを理解はしているものの、納得はいかないらしい。
それ故に、周囲からのしつこい婚約要請に対して『そんなに私と誰かを結婚させたいなら、相応の血統を持ち私を楽しませてくれる女性と出会わせてくれ』と返答するようになってしまったのだ。
「大きい声では言えぬが……フラスコには期待はしておらぬ。
だからこそ、サイフォンには早く伴侶を見つけてもらいたいのだがな」
「……大きい声で言えば、国の揺れる発言ですよ」
「わかっている。だからこそ他に耳のない場所で、お前の前だけで口にしておるのだ」
長男であるフラスコ王子は野心の強さに対して、器が伴っていないところがある。王族としての贅を楽しむ一方で、責務を果たす気概が薄いのだ。
父としても、王としても、明確な断言はしていないのだが、出来たら次の王はサイフォンにしたいな――と考えているところがあった。
「フラスコの話はさておき――ネルタ。其方の娘の噂は聞いている」
「お恥ずかしい限りです」
ネルタの娘もまた変わり者だ。同時に箱入り娘でもある。
箱に入りすぎて、いわゆる引きこもりとなってしまっているところもあるのだ。
それこそがネルタの悩みの種だ。
ネルタの娘――モカは運動も苦手、社交も苦手、お茶会なんてもっての他。そもそもからして人付き合いが苦手ときた。
家族との食事すら、何とか説得して一週間に一回参加させることができるようになったくらいである。
「その恥ずかしい噂だけではなく、もう一方の噂もな」
「さすがは陛下。ご存じでしたか」
「あれは事実であるか?」
「親の贔屓目を多分に入れてお答えするのであれば、事実です」
「ほう」
もう一方の噂。
それは、ネルタの娘が――家からほとんどでていないはずなのに、何らかの手段で多種多様な情報を集めているというものだ。
こちらに関しては領地の住民や直接関わったことのあるもの以外は信じてもらえないたぐいの話だ。
しかも、引きこもりという噂と違い、こちらは一部の裏社会の者たちの間で語られているもので、あまり表にはでていないはずのものである。
王とて市井に潜ませている影たちからの報告が無ければ信じなかっただろう。
彼女はいくつかの偽名を持っており、そのうち一つの名はサイフォン王子が情報屋として利用しているという話なのだ。
しかも、報告をしてきた密偵は裏社会に潜ませている者である。
「サイフォンは良い顧客のようだな。正体には気づいていないようだが」
「そのようです。娘にしては珍しく贔屓しているようですしね」
モカは何らかの方法で、引きこもっていながらも遠方にいる他者とコンタクトをとっている。
これはネルタすら解き明かせていない謎だが、無理に解き明かす必要もないと考えていた。
「娘の能力を領地経営にも役立てているとか」
「はい」
「一部の者の悪巧みを事前に察知して対策をとっているのもか?」
「……はい」
そして、能力の謎までは解き明かせていないようだが、情報収集能力に関しては、王に完全にバレているようであった。
冷や汗混じりにネルタが返事を続けていると、ニヤリ――と王が笑った。
「来月、夏の成人会がある。
我が息子サイフォンも、其方の娘モカも、夏の生まれであったな」
王宮で行われる男女混合のお茶会。成人としてのデビューの場。
婚約者のない者たちによるお見合いの場でもある。
サイフォン王子目当ての者たちも多いことだろう。
「出席はさせるのであろう?」
「強引にでもさせるつもりではありますが……」
「――であればちょうど良い。婚約するかどうかは別として、顔合わせの場として悪くないであろう」
「かしこまりました」
王からこう言われてしまえばネルタは断ることができない。
(……さて、どうやって連れ出せばいいのやら……)
これから、夏の成人会までの間、ネルタの悩みはますます強まるのであった。
★
そうして迎えた夏の成人会。
集まるのはこの夏に十七歳となる若き貴族たち。
貴族としての階級問わず、王宮のパーティルームに集っている。
王からは十七度目の生誕の日を祝福され、成人貴族として振る舞うことの許可を与えられた。
宰相や騎士団長などを筆頭とした、若者の憧れともいえる偉大なる先輩貴族たちからも、成人界への来訪を言祝がれた。
それらのありがたい言葉を受けたあとは、思い思いに過ごす自由時間だ。
パーティルームに置かれた多数のテーブルの上には、色とりどりの料理や酒が並ぶ立食パーティ。
男も女も、夏に合わせた涼しげながらも華やかなる衣装を身に纏い、飲むことの許可を得たばかりの酒を片手に談笑を交わす。
華やかなりし貴族の社交。
この場は、ここに集まりし若者たちが揉まれながらも立ち向かいし戦場の前哨戦。
その心の裡を隠しながらの立ち振る舞いは、成人前から研鑽されてきたものだ。
華麗で可憐で豪奢な花の裏側は、泥土のようにぬかるんだ、油断ならぬ心理の戦い。
一人の責任ある貴族としての覚悟をその背に乗せて、この場より若者たちの長き戦いが開戦する。
誰もが希望と緊張と、少なからぬ野心を抱いて、表向きは和やかで華やかな談笑に包まれたこの会場。
その中で、誰も彼もが気づきながらも、見て見ぬフリをするモノがそこにはあった。
パーティホールの片隅に、華やかな場には不釣り合いの大きな木箱。
そんな箱に、好奇心に満ちた顔で近づく者が一人いた。
「ダメだ。気になって仕方ない。なんだこれ?」
その男の名はサイフォン。
この成人会にて、成人を迎えたこの国の王子である。
1メートル四方ほどのその木箱をペシペシと王子は叩く。
すると――
「あ、あの……なにか、ご用でしょうか……?」
「おおう!?」
中から可憐な女性の声が聞こえてきて、思わずサイフォンは声をあげた。
(ひ、人の声ぇ――ッ!?)
周囲で様子を窺っていたものたちも思わず目を見開く。
「こ、このような……姿で、申し訳、ございません……」
「いや、こちらこそすまない。まさか人が入っているとは思わなくてな」
想定外の出来事ながら、サイフォンは努めて冷静に言葉を紡ぐ。
それに対して、箱の中の女性も、一生懸命といった様子で返答する。
「わた、わたしは極度の……対人恐怖症で……この箱に入って、いないと、家族以外とはまともに、会話するのも、怖くて……」
「そうであったか。しかし、であれば――なぜこのような場に?」
箱の中から聞こえる女性の声に、サイフォンが訊ねる。
「わ、わたしも……夏に、十七になり、ますので……。
ほん、本当は嫌だったのですが、父が箱のままで良いから、出席を……しろ……と」
(箱のままで良いって何だよ……ッ!)
聞き耳を立てていた者たちは胸中で一斉にツッコミをいれる。
だが、そこで騒ぐのは不作法であると心得ているので、あくまでも心の中で、だ。
「なるほど。しかし、其方の父君は随分と思い切った選択をした。だが、個人的な意見を言わせて貰えるのであれば、その選択は正しい。
どのような姿であれ、欠席という汚点に比べればマシであろう」
「……成人会の欠席……というのは、そ、それほどの……?」
「うむ。通常の成人会であれば、そこまででもなかったのだがな。今回の成人会はサイフォン王子が参加するゆえ、出席をしないというのは、王家に叛意ありと捉えられてしまう危険性があるのだ」
「な、なるほど……」
(き、気づいて箱の中の人――ッ! 今、あなたと話をしている人が王子本人だからぁぁ――ッ!!)
箱の中から聞こえる声に対して、周囲が声無き声で叫ぶ。
極度の対人恐怖症を自称し、あのように気の弱そうなしゃべり方をしている女性が、その事実に気づいたらどうなるのだろうか。
(開く……絶対にッ! 彼女の目の前で神の御座への扉が開くって――ッ!)
この世界の人々は、死後――その魂は一度、神の御座へと招かれるとされている。
その扉が目の前で開くということは……まぁそういう意味である。
「ところで、せっかくこのような場に来たのだ。
人との会話はともかくとしても、食事やお酒に手をつけないのは勿体ないのではないか?」
「そ、それについては……も、問題あり、ません……」
「ほう? 問題ないというのは……」
サイフォンが首を傾げた時、その答えの方がこの場へとやってきた。
「談笑中失礼いたし……失礼いたします。お嬢様」
おそらくは箱の中の女性の侍女だろう。
一瞬、言葉が止まったのはそこにいる男が誰であるか気づいたからだ。
しかし、サイフォンはその侍女に対して、口元に人差し指をあてて微笑んで見せた。
侍女としての僅かな葛藤はあっただろうが、相手がサイフォン王子ということもあり、彼の意を承諾したようだ。
「お嬢様。お料理をお持ちいたしました」
そう告げて、侍女は箱の上に料理とグラスを置く。
「あ、ありがとう……。食べるの、楽しみ……」
(どうやってぇぇ――……ッ!?)
何せ侍女は箱の上に皿とグラスを置いた後、一歩引いたのだ。
それ以上は何もしないとでもいうかのように。
「つかぬコトを伺うが……箱の上に載せる意味は……?」
「わたくしではお答えしかねます。ですが、もうしばらく箱の上を見続けていただければ」
「ふむ?」
侍女の言葉に首を傾げながらも、サイフォンは言われた通り、箱の上に乗った料理たちを見やる。
すると、どういうわけか、料理とグラスが箱の中に沈んでいく。
箱の蓋は開くことなく、だがまるで木箱の蓋が湖面のように波打って、沈んでいくのだ。
「こ、これは……ッ!?」
サイフォンは驚愕のあまりに目を見開く。
「原理は不明なのですが、お嬢様の箱はこういった不思議なチカラを多々持っているのです」
「すごいな……」
王子の目が、子供のようにキラキラと輝く。
もっと知りたいという好奇心は湧くが、同時にここまで人と対面したくないという彼女に無理をさせたくはないという思いもある。
サイフォンが悩んでいると、箱の中の女性が傍に控える侍女を呼ぶ。
「カチーナ」
「傍におりますよ、お嬢様」
「わ、ワイン……黒いボトルで、しっかりとしたラベルの……見るからに高級そうなの……もってきた?」
「はい。何か問題がございましたか?」
「い、一緒に……黄色いボトルで、センスの感じられない変なラベルが、ついた、ワイン……なかった?」
「はい、確かにございました」
「そ、それなら……今後は、ワインのおかわり、全部……黄色いの、で」
「かしこまりました」
侍女――カチーナがうなずくと、先ほどとは逆回しのように空になったグラスがせり上がってきた。
それを見ながら、王子は問いかける。
「つかぬコトを伺うが――なぜ、黄色い方を選ぶ?
ボトルから見るに、安物の三流品のように思えたが……」
「は、はい……ボトル……だけを、見るのであれば、そうです。
ですが……あの黄色いボトルの、ラベルに……には、小さく王家御用達を意味する印が、あり、ましたので……。
逆に一見すると、見た目は……高級品の、ような黒いボトル……ですが、こちらには……それがありません……。何より、今飲んで、王城の宴で飲むには、味に……品格が……足りてないと……思いましたの、で……」
「ほう」
(どうやって、ボトルの見た目を確認したんだ……ッ!?)
そんなツッコミを心の中でしながらも、聞き耳勢はこっそりとダサい黄色ボトルのワインに手を伸ばし始めたのだから、現金なものである。
サイフォンも周囲の胸中同様に、どうやって外を見ていたのか疑問を抱く。だがそれ以上に、彼女の指摘に感心した。
実際、彼も黒いボトルの方を口にした時に、似たような印象を感じたのだ。
「すまない。カチーナだったかな?
ワインのお代わりを持ってくるのであれば、私の分も共に頼みたい。黄色い方でな」
「かしこまりました」
カチーナが一礼してその場を離れるのを確認してから、王子は再び箱へと向き直った。
「興味深いな其方は……。どうやって外を確認していたのだ?」
「しょ、詳細は……すみません。この、箱そのものが……わたしの、魔法……だと思って、頂けれ、ば」
「それならば仕方ないな」
魔法――それはこの世界に生きる者であれば、必ず何かしら一つ持っている不思議なチカラだ。
一人一人、そのチカラは異なる。
そのチカラが多種多様であり、冒険者や騎士といった戦闘が避けられぬ職業では、チカラの詳細が敵に知られることは命に関わる。
戦闘が多い職業でなくとも、常に何かしらの駆け引きをしている貴族や商人同士でも、秘匿するのが基本だ。
バレれば、それを利用されて足を引っ張られかねないのだから。
「では、当たり障りのない範囲で箱のコトを聞いても?」
「そ、それなら……」
そうして、箱に関する軽い雑談をしていると、カチーナが戻ってくる。
「お待たせいたしました」
「私の分まですまないな」
「恐れ入ります」
サイフォンはカチーナからグラスを二つとも受け取り、片方を箱の上に乗せた。
「あ、待ってください……。これ、飲んでは……ダメです……」
「む? 急にどうしたのだ?」
「カチーナ。これを入れて……くれた人、顔は分かる?」
「はい。覚えておりますが……」
「警備の……騎士の人を、連れて、その人のとこへ。ここへ連れて、きて」
そのやりとりで、サイフォンは何があったのかを即座に理解する。そしてすぐに、自分の近くに控えている護衛騎士に声を掛けた。
「リック」
「ここに」
近寄ってくる騎士リックに一つうなずき、サイフォンはカチーナを示す。
「彼女と共にこのワインを注いだという人物をここに連れて来てくれ」
「かしこまりました」
「わざわざ箱の中の彼女が騎士を呼ぼうとしたのだ。恐らく、暴れる可能性がある。気をつけてくれ」
「はっ」
リックは敬礼をするとカチーナと一言二言言葉を交わして動き出す。
それを目で追いながら、サイフォンは箱へと問いかけた。
「毒か?」
「はい」
返事をする箱に視線を戻すと、箱の上に置いてあったグラスが無くなっている。
「飲むのか?」
「わたし……毒には、強い……ですから……」
応答のあと、ワインを飲んでいるだろう間が生まれる。ややすると、箱の上にグラスが戻った。
「ヴェルダヴェルデの花の蜜……ですね」
「それは?」
「使われて、いた……毒の、種類……」
「どのような毒なのだ?」
「致死するものでは……ないです。経口摂取で、数日後……重たい風邪みたいな……症状で、一週間くらい、寝込んでしまう、毒です……」
「時間差で症状がでるのか」
「はい……。ですが、耐性が……付きやすい毒でも、あって……数度の摂取で、八割は無力化できる……くらいの、耐性が付き、ます」
箱の中の女性の説明を聞きながら、サイフォンは腕を組んで眉を顰めた。
「分からぬな……そのような毒で何を……?」
「貴族なら……病気や怪我、の時……お医者様を、自宅に招く……から」
「ん?」
「毒を使った人、お医者様を手配する人、お医者様本人……。裏で手を組んで、いたりしたら……どう?」
「……そういうコトか」
合点がいったような、呆れたような面もちで、サイフォンは嘆息を漏らすと、自分付きの従者へと声を掛けた。
「サバナス。聞いていたな?」
「は」
「至急、父上への報告を頼んだ」
「かしこまりました」
一礼していく従者を見送り、サイフォンは改めて箱を見遣る。
「面白いな、君は」
「きょ、恐縮です……」
「そう言えば、名前を聞いていなかったな」
「あ、はい……モカ。モカ・フィルタ・ドリップスと申します」
「では、君がドリップス宰相の……」
「は、はい……娘です。恐縮です……」
(ド、ドリップス宰相の娘は、箱入り娘って聞いてたけど~~~~ッ!?)
聞き耳勢は驚愕しきりだ。
そもそも、箱入り娘だとは聞いていても、箱に入っている娘だとは誰も思わなかったことだろう。そんな風に思える人間はまずいない。
「こちらも名乗っていなかったな」
「じ、実は……存じ、上げて……おります……サイフォン……王子」
「なんだ。驚かすつもりだったのだがな」
残念そうに肩を竦めるが、サイフォンの口元には笑みが浮かんでいる。箱の中にいる相手が自分を知覚していたのが楽しいのだ。
ワインもそうだが、彼女はどうやってか外を認識している。そして自分のことを認識していたにも関わらず、その様子を表に出すことなく対応していた。
(彼女は決して愚かではない……だが、分かっていてのあの対応であれば次第によっては不敬に当たるコトに……)
そこまで考えて、サイフォンはハッとする。
(そう。愚かではないんだ。彼女は敢えてあの対応をしてたのでは?)
お互いに名乗らずに語り合っていれば、不敬を指摘された際に王子だと知らなかったと口にできる。
本来であれば、母国の王子の顔を知らないということも不敬に当たるが、彼女のその特異性――引きこもりの箱入りという噂そのものを信じた上で、箱の中にいるという行動など――を思えば、そういうこともあるか……と許される可能性が高い。
(いや父が許さずとも、むしろ俺が許す。こんな面白い奴をつまらん理由で罰するなど面白くない)
だが、こちらが名前を問い、モカは名乗らざるを得なかった。
その結果、彼女はドリップス家の人間であると知られてしまったのだ。
こうなると、むしろ王子に名乗らせる方が体裁が悪いと判断し、自分から知っていたと口にした。そんなところだろう。
(こうなってくると、成人会に出席しないのはマズイという話を知らなかった――とはならんな。
恐らくは、出たくないという我が儘は、箱のままで構わないという言葉を宰相から引き出す為の方便だったのではないのか?)
だとすれば――彼女はこの箱の中にいながらにして、多数の大人たちを手玉にとったことになる。
背筋にゾクゾクしたものが走る。
気持ちがワクワクしてくる。
もしかしたら、モカは自分の理想を体現した女性なのではないだろうか。
「モカ。其方、面白いな」
ならば、ここで逃す手などない。
「其方の感情が第一で構わぬ。
もし、嫌ではないのならば、私の婚約者となってはくれぬか?
もちろん婚約してくれた後も、そして結婚後も、必要な場以外では引きこもっていて構わない」
突然の告白に、聞き耳を立てていた他の参加者たちが驚愕する。
だが、当人たちはそんなギャラリーのことなど気にすることなく、言葉を交わす。
「お父様以外に、正しく……わた、わたしの価値を理解してくださる方を、待ち望んで……おりました」
「では?」
「はい。多くの時間を……この箱の中で、過ごすような、わたし、でも……構わないのであれば、喜んで」
すると箱の一部が波打って、白い磁器のように美しくか細い手が現れる。
その意味を、サイフォンは即座に理解した。
「では、よろしく頼むモカ」
「はい。こちらこそ」
握手。
ささいなことではあるが、大事なことだ。
ましてや、人と会うことを恐がり、己が魔法で作り出した箱の中で過ごす女性が、自らの意志で他者と触れ合おうとしているのだから。
その意味を理解できなければ、婚約を口にした男が廃るというものだ。
「王子。私の、手を握ったまま、箱に触れて……ください……」
「む?」
言われるがままに箱に触れると、箱が波打って自分の手が中へと入っていく。
「お招き……いたします。
はじめての……私でない人を、箱に……」
「良いのか?」
「この中より、思っておりました故に……」
「其方、まさか」
サイフォンの中で、急速に仮説が成り立っていく。
彼女が箱の中より知覚できるのは、一体どの程度の範囲になるのか。
そんなことを考えているうちに、サイフォンは手を引かれるがままに、箱の中へと吸い込まれていった。
直後――中から、ハイテンションな叫び声が響いた。
「こ、これはッ! すごいッ、すごいぞッ! 中は広いのだなッ!」
「はい……自室と同じくらいには」
「む、これは何だッ!?」
「ぁぁ……それは……」
「なんという……これが、其方の魔法の箱の中だというのか!
すごすぎるッ! こんなところにいたら、外へ出たいなどと思えなくなってしまうではないかッ!!」
それはもう楽しそうな王子の声だ。
様子を窺っていたギャラリーすら、興味が湧くほどのテンションの上がり具合。
「なるほど、こうやって外を知覚して……こ、これは……! このようなコトもできるのかッ!? 何という凄まじい魔法だ……」
(な、中どうなってんのーッ!?)
ハイテンションな王子の声に隠れて、モカの声が聞こえなくなってしまっているのがもどかしい。
「しかし、このチカラ……そうか、其方は……」
恐らく王子の問いに答えているのだろうが、箱の中からモカの声は聞こえない。
(一体、何を話しているんだ……!)
ギャラリーとしては気になって気になって仕方がない。
だが、聞き耳を立てている者たちの胸中とは裏腹に、サイフォンの護衛騎士と、モカの従者が戻ってきた。
「ただいま戻りましたお嬢様」
「おや? サイフォン王子はどちらへ?」
リックは肩に担いでいた男を雑に放り投げながら、首を傾げる。
乱暴に縛り上げられ、キツい猿轡を噛まされた男は、床に落とされてうめき声をあげるが、リックもカチーナも気にしていないようだ。
「戻ったか。モカ嬢に招かれてな。箱の中を見せてもらっていた」
「なんと……! では、お嬢様」
「はい……そう、です。カチーナ」
感極まった様子のカチーナに、リックは困惑したように訊ねる。
「お嬢様が殿方を箱の中に招く……これはすなわち、婚約者にしてもかまわないとお認めになられた相手というコト」
「王子ッ!?」
「問題ないぞリック。何せモカはドリップス家の娘だからな」
箱の中から聞こえてくる王子の声に、リックもまたこみ上げるものをグッと呑み込み、言葉を告げる。
「おめでとうございます、王子」
「ああ。あとは父上たちの許可を取らないとな」
そうして箱から出てきた王子は、足下に転がる男を踏みつける。
「それはそれとして、だ」
踏みつけた男を見下ろしながら――
「モカ嬢からは、様々な情報とそこからくる推察を色々と聞かせてもらったからな……さて、首謀者共々どうしてくれようか」
それはもう面白いオモチャを見つけたかのような顔で、ニヤリと笑うのだった。
★
成人会から一月ほど経ち――
「すでに存じている者もいるコトかと思うが、此度、我が子サイフォンが婚約を結んだコトを報告させてもらいたい」
国民へ向けての大々的な婚約発表会の前の、王国首脳陣向けの発表だ。
「サイフォン、モカ。こちらへ」
そうして、会議室の扉が開かれ、そこへサイフォン王子とその婚約者が入ってくる。
(((((ええええええ~~~っ!?!?)))))
王子の婚約者は箱だった。
一メートル四方ほどの箱。
三十センチメートルほど浮いた箱。
白く美しい華奢な手の生えた箱。
その手を取って、それはもう嬉しそうに楽しそうにエスコートしている王子の姿に、首脳陣は困惑以外の感情が消失してしまうのだった。
★
さらに、一月ほど経った。
城下を見下ろせるバルコニー。
そこは、王族が国民向けに大きな発表をする時にも利用する場所だ。
声を響かせる魔導具を手に、王は民へ向けて声を掛ける。
「此度、我が子サイフォンの婚約が決まったコトを皆に伝えさせてもらう。
二人が二十歳になった時に、結婚式を挙げるコトで両名並びに両家は合意している。
盛大な祝いは三年後になるだろうが、この婚約が正しく交わされたコトもまた祝いたいと思う。
我が子サイフォン、婚約者モカ。こちらへ!」
王に促され、バルコニーの奥にある部屋より、サイフォン王子が姿を見せた。
そして――
(((((は、箱……ッ!?!?!?!?)))))
彼が連れている存在に、国民たちは盛大に困惑する。
王子の婚約者は箱だった。
一メートル四方ほどの箱。
白く美しい華奢な手の生えた箱。
白く美しい華奢な足の生えた箱。
それを、王子はとてもとても愛おしそうに楽しそうに嬉しそうにエスコートしていたのだった。
★
そして――
国を挙げての結婚式の当日。
いつものバルコニーへと、サイフォン王子とモカ様が姿を見せる。
さすがに婚約発表の時以降、たびたび見せられる箱の姿に、国民はだいぶ馴れている。
だから、箱がドレスを纏うような姿であろうと驚かない覚悟で、バルコニーの奥から現れる二人を注視する。
だが、その覚悟を上回る衝撃に、国民だけでなく、王を含めた貴族たちすらも驚いてしまった。
絶世の美女がそこにいた。
絹糸のような美しい光沢を持つビターブラウンの髪は、腰元まで真っ直ぐに垂れている。
眩しげにも嬉しげにも見える細められた目から覗く赤い瞳。
時折見せていたその手や足からの想像通り華奢なシルエット。
職人が作り上げた繊細な細工のようなその姿は、すぐに手折られてしまいそうに儚げだ。
そして、彼女の姿をより美しく引き立てるドレスや装飾品の数々も相俟って、見る者みなの目を奪う女神のようであった。
王子の挨拶を聞きながら、その美しさに誰もが見惚れていると、彼女の肌が徐々に赤みを帯びてくる。
遠目からでもハッキリとわかるほど顔を真っ赤になった彼女は――
「さぁモカ。君からも挨拶を」
王子から手渡された、声を大きくする魔導具を受け取るなり――
「ご、ごめんなさいっ!」
そう叫んで、突如どこからともなく現れた箱の中へと吸い込まれていってしまった。
(((((箱キタ――――ーッ!!)))))
「わ、わたしは……人前にでるのが、箱がないと……怖くて……。
こんなわた、わたしですが……王子を支えられる妻として……妻として……」
最初はたどたどしかった言葉は――
けれども、覚悟を決めたような顔で、箱から胸より上を外へと出しながら紡がれる言葉は、ハッキリとしていた。
「このような変わり者を愛して下さる王子の為に、そしてこのような変わり者を受け入れてくださる皆さんの為に、王子の伴侶としての責務を果たすべくがんばっていきたいと思います」
彼女のその姿は文字通り一生懸命という言葉に相応しいものに見え――
「よくぞ、がんばったモカ。
どれほど苦手なものであっても投げ出さず責務を全うしようとする其方が伴侶になってくれて、本当によかった」
挨拶のあとで、王子より告げられた言葉に、照れるようなはにかむような笑顔を浮かべたモカは、それを見ていた国民の多くの心を奪ったのだった。
これが、トールドール王国に末永く語り継がれる、優しくて美しいのにその姿を滅多に見ることのできない箱入り王妃の伝説の始まりだった。
☆
初夜の蓐にて――
「一つ、聞きたいんだが」
「は、はい……」
「モカ、どこまでが計算だった?」
「えーっと、何のお話でしょう?」
「私との結婚だ」
「…………実は、情報屋ルアクとして、ご協力させて頂いた時からです。
わたしは、引きこもったまま、王子のコトをずっとお慕いしておりました」
「やはり……あの情報屋は其方の箱の端末であったか……」
「申し訳ございません」
「よい。謝る必要はない。
そうなると、私と出会って以降、箱の中に居たまま、情報とともに王や宰相までも操作していたのか……」
「その通りです。
成人会の日、箱の姿であっても――いえ箱の姿だからこそ、王子なら、絶対に、話しかけてくれると、信じていましたから……」
「王子などと他人行儀に呼ぶな……この部屋には今、私と其方しかいない」
「……はい。サイフォン様。あなたにならわたしは、あるがままの姿を……」
モカが言葉を言い終える前に、サイフォンの唇がモカの口を塞いだ。
「サイ、フォン……様……」
「全てを言われてしまうのは無粋な気がしてな」
イタズラ好きで嘘も得意なサイフォン。
箱の中に引きこもり、人と話すのが苦手なモカ。
本音を見せることが少ない二人は、二人きりになったこの夜――
素直な感情のまま、肌を重ね合わせるのだった。
★
二人の結婚後のある日――
様々な手段でサイフォンに嫌がらせをしてくる兄王子は、元々イタズラ好きなサイフォンと、あまたの情報を収集し処理するモカがタッグを組めばただのオモチャ。
成人会で毒ワインを盛った黒幕であったことも災いし、二人から本当の嫌がらせとはこうやるものだと、とことんまで思い知らされることとなる。
散々弄ばれた第一王子は、落ちるところまで落ちてしまったので、サイフォンが王位を継承することとなったのだった。
その後、モカの魔法が、自国だけでなく外国の情報収集すらもできるようになってきた頃、サイフォン王は隣国以外との外交を本格的にはじめるようになった。
ある日、そんな外交の席にて……
「ああ、そうだ。
余の后であるモカを紹介するとしよう」
外国の外交官たちへ、妻を紹介するべく、サイフォンが、モカの名を呼ぶ。
「失礼いたします」
呼びかけに応えたのは美しい声。
声に少し遅れて、その会議の場へと入ってきたのは――
(((((は、箱~~~~~ッ!?!?!?!?)))))
五十センチメートルほどの高さで浮かび上がる、一メートル四方の箱だった。
「それと娘のカフェだ」
続けてサイフォン王は娘を呼ぶ。
「しつれいしまーす」
愛らしい声のあと、会場には――
(((((た、タル~~~~ッ!?!?)))))
酒樽が、ゴロゴロと転がりながら入ってきて、やがてひとりでに直立した。
驚愕に言葉を失う余所からの外交官たちを見ながら、サイフォンとモカ、そしてカフェはしてやったりとばかりに笑みを浮かべる。
変わり者だった王と、引きこもり気味の后。
そして、王の性格と后の魔法を受け継いだ娘。
彼らは王族としての責務を果たしながらも、仲睦まじく過ごしている――
【Marriage of a sheltered lady in box - closed.】
お読み頂きありがとうございました。
前書きにも追記してますが、本作の連載版の公開を始めてます。
タイトルの上にあるシリーズタグ「箱入令嬢物語」から飛べますので、読み切り版をお気に召されましたら、是非連載版もよろしくどうぞ٩( 'ω' )و