三章十九話《つかの間の日常》
「今置かれてる状況の重大さは予想を遥かに上回っていたわね。まさかあなたの見た未来が塗り替えられるなんて」
「ですからグリーダさん、あなたもお気をつけてください。私ですらこれからどうなってゆくのか一切検討もつきません。何が起こってもおかしくない状況ですから」
今、ミラルの表情はとても歯切れの悪い顔でグリーダにそう訴えかけている。
「…そうね、肝に銘じとくわ」
それだけ言ってグリーダは席を立った。
「何処へ?」
「一旦帰るわ。邪魔したわね」
(知りたい情報はあまりなかったけれど、色々と手がかりは得られたわね)
そのままグリーダは転移魔法を使ってその場を後にしてミラルはそれを見届けてまた仕事場へ戻って行った。
転移魔法で拠点に帰宅したグリーダは即座に地下室へ入って質素なベッドに倒れ込んで大きなため息をついた。
(もし、未来が変わっていなければ…今頃ミラルは狂ってしまっていたでしょうね。それどころか私も冷静でいられたかどうか…)
森の調査をナーマに頼んだ、そしてその結果街の民全てを危険に晒しあわや大惨事となってしまうところを何者かに救われた。
ナーマが悪いなんてことは断じてないし、グリーダ自身彼女を責める気持ちは毛頭ないが、やはりあの時ナーマに任せてしまった選択は正しかったのかと疑ってしまう。
「はあ、用心するに越したことはないわね」
しかしながらもう起こってしまったことを覆すことなど出来はしない。
今のグリーダにできるのは今後同じような危機に瀕することを阻止して安全を確保することだけだ。
寝転がりながら魔法で部屋に転がっている魔道具を引き寄せて改良しながら今後の方針を定めていた。
一方その頃、リビングではナーマがいつものように掃除や洗濯物を取り込んで畳んでいた。
「...何か用?」
「いや〜、体は大丈夫かなと」
そこへ手持ち無沙汰で暇そうにしているミリアがやってきて話しかけてきたが、ナーマの方は素っ気ない反応をしただけで特に話すつもりはなさそうにしていた。
「む〜、そんな反応しなくたっていいじゃん。ほんとにナーマちゃんって冷たいよね〜」
「私は見ての通り忙しい。用がないなら他を当って」
ナーマの方は若干鬱陶しそうにしているがミリアの方は対照的に冷たい態度を取られても少し楽しげに相変わらず話しかけている。
「忙しいなら手伝おっか〜?私暇だし」
「結構、もう体は全治してる。腕も斬られてからすぐ治った」
「え腕切られたの?!あのナーマちゃんが?!」
ミリアはナーマの実力をよく知っていて滅多なことでは怪我などほとんど負わないことを理解していて、そんなナーマが腕を切られるなど考えられないとばかりに驚いていた。
「すばしっこくてかなり鋭い攻撃だった」
「はえ〜、ナーマちゃんがそこまで言うなんて...」
ミリアとナーマは直接手合わせこそしていないが、互いに実力の程は把握していてミリアの方はナーマのことを自分よりも圧倒的に強いと認めている。
そんなナーマが腕を切られたとなれば、やはり壮絶な戦いだったのだろうと想像に難くない。
「ともかく今は忙しくはあるけど急ぎの用事はない。これが終わればあとは買い物だけすればやることも終わる」
「そっかそっか〜、んじゃあ終わったら私の部屋においでよ。みんな楽しみにしてるからさ〜」
「みんな...魔物のこと?」
「うん!」
ミリアが楽しそうに頷いていたがナーマの表情は芳しくなかった。
「毛だらけになる」
「え〜、いいじゃん」
ナーマが危惧していたのはミリアの魔物の毛だった。
ミリアの趣味で集められた魔物の多くはもふもふの毛を持った可愛らしい魔物たち、しかしながらそれ故にその後の掃除に苦労した思い出がナーマの頭に過っていた。
「いいじゃん、吸引魔道具で付いちゃった毛全部吸い取れば綺麗になるし、床だってそんな大変じゃないでしょ〜」
掃除の苦労をよく知らないミリア、お節介でよく代わりに部屋を掃除していたせいかミリアはどれだけ大変なのかを実感していなかった。
「はあ...そこまで言うなら自分で掃除して」
「え〜酷い」
「そう思うなら少しは自重して欲しい、外でやる分には掃除しなくて良い分楽」
「あ〜、確かに!」
「その代わり逃げても私は責任とらない」
それを聞いた途端ミリアの顔が少しでもいい案だと思った自分を恨んでいるような表情に変わってしまった。
「やっぱナシだよ〜、あの子たち放っておくとどこ行ったかわかんなくなっちゃうもん」
「そう」
それだけ言うとナーマは即座に風呂場の方へ歩いて行ってしまい、掃除を再開し始めた。
「...あ〜あ、嫌われちゃったか〜」
ナーマに対してあまり気遣えてなかったことを反省しつつ、これ以上ちょっかいかけるのは辞めようと判断してミリアは大人しく部屋へ戻って行った。
「ミリア、やる事終わった」
「え?!ナーマちゃん?!」
ミリアは流石に先程の事は反省して、魔物を出さずに大人しく部屋で本を読んでいると、意外なことにナーマが部屋に訪れてきた。
「...?魔物は?」
「へ?」
さも魔物が部屋の中にいることが当然かのようなナーマの反応に思わず呆然とした声を出してしまったミリア。
そこでようやくさっきの誘ったことを思い出してハッと改めてナーマの方を見た。
「魔物の毛はかなり多い上に散らばるから埃吸引の魔道具と水拭きで綺麗にする。時間かかるから手伝って」
「えっと...それじゃあ...」
「魔物を出してもいい、ただし後処理はきちんとすることは約束して」
「え...う、うん!」
ナーマは持ってきていた掃除用具を部屋の隅に立てかけてカーペットの上に置いてあったクッションの1つに座りミリアが次々と出す魔物を見ていた。
ミリアが張り切ってポンポン魔物を沢山出すせいか、数分で部屋中小動物の魔物で溢れ返っていた。
「やっぱりいいよね〜、こうやって撫でてるだけでもいつもの疲れが抜ける感じするな〜」
パッと見なんの魔物か分からないほど完全な毛玉をミリアが撫でている。
ナーマの膝の上にもいつの間にか黒猫が居座りゴロゴロと喉を鳴らして丸まってしまっているせいでナーマは完全に動けなくなってしまっている。
「...この子達魔力に敏感だと聞いてた、全然怖がってないように見える」
「まーね〜、そりゃあこの子達に敵意向けてないなら怖がることもないよ〜」
「...そうなの?」
ナーマの魔力は自他ともに認める程異質なもので、恐らく魔物に対して恐怖心を抱かせてしまうと懸念していたが、何故かそんなことは無かったようで心做しか少しだけ表情が柔らかくなった。
怖がっていないと安心したのかようやく膝の上でくつろいでいる黒猫を撫で始めミリアもそれを満足そうに見ている。
「そういえば他のみんなはどこ?」
「ん〜?ザインは部屋だし〜、ジークも療養中で同じく部屋だし〜というか今はみんな外出てないと思うよ〜?」
「そう...」
ミリアはよほど人気があるのか小動物のような様々な魔物が膝の上のポジションを奪おうとして小競り合いが起きていて必死になだめていた。
「ああこら、そんなに喧嘩しないの〜」
いくら実力者と言えども腕は2本しかないので同時に撫でられるのも2匹が限界で手が回らない状態であった。
「修羅場」
それを見てボソッとナーマがそう呟いた。
「う〜んナーマちゃん言い方直球過ぎない?」
「私は手伝えそうにない」
手が回らない状態を横目に見ながら膝の上の黒猫をゆっくりと撫でながらしばらくぼーっとしていると段々ミリアが疲労でぐったりし始めていた。
「こんなの毎日やってるの?」
「毎日じゃないよ〜...さすがに無理だよ〜」
数十分撫で回してようやく落ち着いたのか、周りの魔物の大半は満足して眠っていてミリアの膝元には毛が沢山落ちていた。
「基本的に時間ある時に順番に呼び出して構ってあげてるんだけどね〜...1辺に出すと喧嘩しちゃうこともあるからさ〜」
「大変そうなのは理解した、けど私にはどうすることも出来ない。時間的に他にもやることがあるからそろそろ掃除する」
ぐったりしているミリアを横目にそろそろ頃合かとナーマは部屋の隅に立て掛けてある掃除用具を手に取りミリアに声をかけた。
「は、は〜い」
ミリアは相当疲労している様子だったが掃除を自分でする約束なためぐったりしつつもゆっくり立ち上がった。
それから魔物をみんなしまってから2人がかりで急ぎめに掃除してからナーマはいつも通り家事に向かった。
そんなふうに2人が魔物と戯れていた時、外ではジークが大剣を振るって稽古をしていた。
いつも使っているベルセルクではなくあくまでも訓練用のただの鉄剣だったがそれでも相当な重さであるのにも関わらず自分の手足のように軽々とそれを振り回していた。
「お前も特訓か?休んでろってグリーダに言われてた気がしたんだがな」
「ガルム...」
後ろから声をかけられて手を止め振り向くと、そこにはガルムがたっていて服装や装備を見るにガルムの方も特訓する気で外へ出てきたようだった。
「流石に今ベルセルクを使う訳には行かないけど、ただの剣なら別に大丈夫だよ。それよりもガルムの方こそ特訓しに来たの?」
「そうだな、流石に最近不穏なことが多いからな。出来ることはしておきたい。いつまた戦うことになるか分からねえからな」
「へえ、奇遇だね。僕も同じ考えだよ」
ジークとガルムは軽く笑っていた。
それとなく当たり障りのない事を言いつつ互いに魔力が高まり両者何も言わずに剣を構える。
「はあ!」
ジークが雄叫びと共に上段から剣を振り下ろすが、それをガルムが正面から剣で受け止めた。
両者1歩も引かずに激突しバチバチと火花を散らしながら睨み合いさらに力を込め互いに剣を押し込む。
「っ!」
ジークの腕から黒い魔力が溢れて剣の重量が何倍にも増しガルムの手にかかる負荷がとんでもなく上昇し、ついにはジークが押し切ってガルムは後方に吹き飛ばされた。
「単純な力比べで勝てると思った?」
「くっそ、相変わらず馬鹿力だ...」
咄嗟に受身を取って着地したが、打ち合った反動から腕が痺れて力が思うように入らない。
「ま、仮にも僕の方が先輩だからね」
「んなもん...関係あるかよ!」
ガルムが剣を振るうとその場から炎が噴き出し轟音をたてながらジークの方へ襲いかかる。
津波のような炎の塊に少し驚きつつも大剣を地面に突き刺しそれを盾に後ろに隠れて炎がそれを飲み込んだ。
それを見届けたガルムが油断なく前に剣を構えつつ様子を伺っていたが、炎が通り過ぎてもジークが向かってくる様子は無い。
「チッ、やりすぎたか?」
大剣は依然突き刺さったままだがジークの姿は見えない。
その時だった、異様な魔力を感じたのは...ガルムの真上だった。
猟奇的な笑顔を浮かべたジークが赤い大剣を振りかぶってガルムに急降下してきていた。
「お前!それ使えねえって話じゃねえのかよ!っ、イフリート!」
ジークがベルセルクを振り下ろしてきたタイミングでガルムはイフリートの力を使いさっきよりも強い出力でかつより圧縮した炎をジークに向けて放つ。
「吹っ飛べ!ジーク!」
「ガアアアアアアァァァァァ!」
雄叫びを上げながら振り下ろされた大剣は炎とぶつかり拮抗するが、炎の勢いに負けずそのまま切り裂きガルムに迫る。
「はいそこまで、ジーク私言ったわよね?ベルセルクは使わずに安静にしてなさいって」
「ううぇえ?!グリーダ?」
炎をかき消し、大剣を片手で受止め両者の間に割って入ったグリーダはそのままジークを説教し始めた。
「速すぎだろ...目で追えなかったぞ」
「あらそう、まだまだ修行不足ね」
「ちょっと!グリーダこれには訳が...」
「問答無用」
あまりに突然の乱入にガルムも唖然としていてジークは猫のように襟首掴まれてそのまま部屋まで連行されて行った。
「そうだな...確かに修行不足か。イフリート」
(なーに?)
肩に突然手のひらサイズの少女が現れる。
「少し特訓に付き合え」
(いいよー、それにしても久しぶりだね)
「んな事ねえだろ」
ガルムは最近何度も戦いでイフリートを利用している、つまり久しぶりというのはガルム的には違和感があった。
(会うのは別に久々じゃないよ。特訓の方)
「ああ、そっちか」
イフリートとの特訓はおよそ数百年も前、初めて会ってからしばらくの間力をつけるための特訓以来だった。
「はは、懐かしいな。それにしてもまだ覚えてやがったのかよ。俺はもうはっきりとは覚えてねえな」
(精霊って記憶力はかなりのものだからね。所有者との記憶はずうっと残り続けるんだよ)
肩に乗っているイフリートがケラケラと揶揄うように言っていたが、ガルムからしてみればそれが冗談でもなんでもないことはすぐに察しがついていた。
「イフリート、無理に茶化す必要はねえぞ。テメェの過去に何があったかなんて俺にとっては関係ねえって前にも言ったろ、いつまで引きずってんだ」
(ええ?なんのこと?)
「ッチ、とぼけやがって...」
ガルムはイフリートともう数百年も共にいる。
互いに信頼している関係なのは間違いないが、未だに過去に何があったのかは一切話すことなく今に至っている。
わざとらしく笑ったりとぼけたり明るく振る舞っている姿を見るたびにガルムの心の中の何かに引っ掛かるような違和感がずっと残り続けていた。
「…お前が何かを隠していようが別に軽蔑する気もバカにするつもりも一切ないが…本当にいつかは話してくれるんだろうな?その薄気味悪い笑顔貼り付けていつまでも誤魔化せば良いってもんじゃねえぞ」
(関係ねえって言ってなかった?それとも気になるの?)
ガルムにここまで言われてもなお、茶化して誤魔化すイフリート。
しかしその瞳の奥底にはどこか違和感があるようにガルムは見えて仕方がない。
「...その無理に作ってる顔が気に食わねえから言ってんだ。そろそろやるぞ」
(はーい)
まるで何も気にしてないかのように軽く返事をして、イフリートが軽く手を振るとガルムの周りに無数の魔法陣が現れる。
それらは包囲するように炎を出現させて視界を塞ぎつつ、四方八方から炎の弾丸が飛び交い襲いかかる。
「少し激しめだな、怒ってんのか?」
(強くなりたいんじゃないの?)
少しばかり煽り口調で言葉を返すイフリートにガルムはニッと笑いながら剣を構えた。
「あったりまえだ!」




