三章十五話《かつての記憶》
それは時を遡ること約70年前、透き通るほどよく晴れた暖かい日のことだった。
やることも特になくナーマは外で体力や身体能力の向上のための基礎トレーニングとして長時間の走り込みをしていた。
果てのない草原を悠々と走り抜け穏やかな風が頬を掠める、心地よい気分で足を進めていた。
と、いつものようにそうしてトレーニングをしていた訳だが、そんな中でナーマの目の前にグリーダがやってきた。
いきなり目の前に転移してきて、その顔を見るが別段焦っているようには見えないことからそこまで急用でもないのだろう。
「いきなりごめんなさいね、今ちょうど来客があってあなたにも知らせておこうと思ったのよ」
「来客?」
この場所、《十ノ頂》の拠点に来客など普通であれば絶対にあるはずない。
この時点でグリーダの関係者であることはナーマは察していた。
「私はこのまま鍛錬を続ける。用がなければもう行く」
「話はちゃんと聞きなさい。その来客があなたに会いたいとのことよ。というかそのために来たと言っても過言ではないわ」
「私に...?」
再び走り出そうとした足を止めてナーマはグリーダの方へふりかえった。
「というわけで、一旦戻るわよ。さ、私の手を握って」
「ん」
ナーマはそれ以上何も言わずにグリーダの手を取って2人で拠点まで転移した。
「ただいま、それと...はい、連れてきたわよ」
「ありがとグリーダ。それでその子が...」
「そうよ。あの例の子ね」
家の中で見知らぬ人がくつろいでいた。
その姿は金髪で半袖の白い服を着た女性だった。
そして、顔つきはナーマにも見覚えがあり少し驚きつつも警戒するように戦闘態勢に入る。
「あちゃー、警戒されちゃってるか。それもそうか、初めて会うのにこんなんじゃね」
ナーマが警戒したのはその見た目では無い、その威圧感を纏った膨大な魔力と形容しがたい圧によるものだ。
「誰...?」
「誰ってそりゃあ見て分からないの?」
無意識にグリーダの後ろに隠れたナーマはじっと目の前の女性を睨んで警戒心が強まる。
「あれ、お母さん?来てたんだ〜」
それからしばらく睨み合っていて張り詰めた空気は階段を降りてやってきた女の子、ミリアによって消えてなくなった。
「え?」
思わずナーマの口から素っ頓狂な声が出てきょとんとしていて、グリーダはそれを見てクスッと笑っていた。
「いやあ、すぐに言えば良かったんだけどさ。ちょっと反応が面白かったから黙って見てたんだよね」
「そうね、私もちょっと笑うの我慢するの大変だったわ」
「はは、ごめんごめん。それじゃあ早速本題に入ろうか。まあ大体察してるとは思うけど今日ここにきたのは君に関することなんだ。詳しく全て話すのは無理だけどまあ、簡単に言うと成長の確認ってところかな?」
「成長?」
「まあ、あなたのその魔法は扱いが難しいからこうして実際に見てみたいってリザリーが言い出したのよ。ってことで少し手合わせというか模擬戦でもしてあげてくれないかしら?」
と、ナーマが疑問に思っているところでグリーダが補足説明を軽くして、それを聞いてナーマはリザリーの方へと見やった。
「強いの?この人」
「え...そ、そうねぇ。戦って見ればわかるわ」
怪訝そうにナーマはリザリーを見ていたが、模擬戦を頼まれたとなった瞬間一転して目付きが変わって真剣な眼差しとなる。
「お、やる気だねえ」
「やるからには本気でやる」
「へえ、そう来なくちゃ」
そうして場所は外へと移る、ナーマとリザリーは互いに距離を取って戦闘態勢に入り、それを外野でグリーダとミリアが見守っている。
「んで、なんであなたも観戦しているのかしら?暇なの?」
「ん〜、暇かと聞かれると暇かな〜。正直今はやる事ほとんどないし〜。それにお母さんの戦いみるのも久しぶりなんだよね〜」
ミリアの瞳はキラキラと輝いていて今から始まる戦いを心の底から楽しんでいるようであった。
「ま、いいわ。っと、2人とも!それじゃあ合図は私がするから殺し合いにならない程度に戦いなさい!」
2人に向かってグリーダは大声で呼びかけ、一応の安全のために周りには特殊な結界が張られ周りは真っ赤な空間に変わった。
「久しぶりに見たね、それ。確か《紅現界》だったかな」
「まあ、あなた達含めて私たちの拠点も守るためにね。少なくとも私はこの戦いに加わる気は無いわよ」
「どちらでもいい。早く始めて」
ナーマは武器を持たずにリザリーの方を睨んで今にも飛びかからんというような体勢で立っている。
「はあ、それじゃあ...始め!」
「はあ!」
「おっ早速来たね」
高速で迫り来る拳や蹴りを最低限の動きでいなしながら笑ってナーマの様子を伺っているリザリー。
それが不服なのかナーマの攻撃はどんどん苛烈を極めていき、打音が凄まじい連続で辺りに響き渡る。
「ぐっ、硬い...」
リザリーの体は僅かに発光しており、魔力を纏っていることは見て取れるがそれにしてもナーマの攻撃では一向に傷一つつくことは無かった。
それどころか手の平でナーマの拳を受け止めそのまま掴んで投げ飛ばされて受け身をとったが相当な威力で投げられたせいで体に鈍い痛みが走る。
「まあ、いい線行ってると思うよ。ただ...魔法を使わないのは私を甘く見てるからかな?」
「っ!」
魔法を使っていないと言われ図星をつかれたナーマは動きを止めて明らかに動揺していた。
「いやいや、私だって君が時間加速の魔法を使えるのは知ってるよ。でも今使ってるのは魔力による肉体強化のみ。それで私に勝てるなんて...」
その瞬間、いくつもの打音が重なり凄まじい衝撃が巻き起こり地面が揺れた。
「へえ...できるじゃん」
「お望み通り、使ってあげる」
ナーマの姿が消えた次の瞬間にリザリーの全身に重い痛みが走りよろめいてしまう。
そして、次々と旋風のような連撃に翻弄され速すぎる動きに明らかにリザリーはついてこれていなかった。
「うっわ、こりゃあ予想外だね。想像以上に強い」
金属がぶつかり合うような甲高い音が響きながら無数の攻撃にリザリーは晒されていた。
「このまま...削り倒す!」
自分の時を加速させ圧倒的速度で繰り出す斬撃はいくらリザリーと言えども視認することさえできずただ耐えることしかできない状態、既に勝負はついたとナーマは内心思っている。
しかし、それだけで終わるほどこの戦いは優しくはなかった。
「いやー、ごめんね。君のこと甘く見てた。...こっからはちゃんと本気でやるよ」
僅か数秒、されど時を加速させていたナーマにとっては数十秒か数分かの間続いた一方的な攻撃にリザリーは満足気に微笑んでそう言った。
その瞬間、ナーマは背筋が凍える感覚とその形容し難い圧力に怯み攻撃の手が緩む。
「さ、始めるよ。《龍脈強化》!」
金色の瞳は魔力を帯びて光を放ち同様に全身もほのかに魔力により光る。
そして、膨大な魔力が拳に凝縮され今にも爆発しそうなほどに魔力が高まっている。
「ぐっ、させない!」
再びナーマは時を加速させて追撃とばかりにリザリーに高速で迫るが時すでに遅し、もはやこの時点で勝負は着いていた。
次の瞬間、赤い光がナーマの視界いっぱいに広がり気付いた時には遥か遠くの上空に打ち上げられていた。
「かっ…はぁ…」
遅れて全身に痛みが回り理解不能なまま口から血と体中の空気が押し出されるような感覚でもはやまともな思考はできない状態だ。
グリーダの契約魔法の恩恵で体は丈夫ではあるがこの高さから落ちれば間違いなく無事では済まないであろうことは容易に想像できるが、今はそれどころではなくなすすべなく地面へ落下していく。
「っ!ナーマ!」
途切れかけた意識の中、必死に呼びかける声を聞きながらゆっくりと目を閉じた。
それからどれだけ経ったのだろう、体の節々が痛い中意識がゆっくりと戻ってきて目を開けると眩しい陽の光で思わず視線をずらす。
どうやら自分は仰向けに寝かされていることを確認してゆっくりと立ちあがろうとしたが、何か違和感があった。
「ふふ、お姫様のお目覚めね」
「ぐ、グリーダ…」
ナーマはグリーダに膝枕をされて平原に横たわっていた。
「いっ…!」
「ああこら、いくら肉体が再生するからってまだ万全な状態じゃないんだから安静にしてなさい」
焦って起きあがろうとするナーマに少し驚きつつも静止させるグリーダ、そこへ少し心配げにリザリーがやってきた。
「やりすぎちゃったかやっぱり」
「そうね、この様子だと骨数本と内臓は複数損傷しているわね。契約魔法で肉体の再生はされるけれどそれでも完全に修復されるには時間がかかりそうよ」
「私…負けた...」
「そうね、でもむしろよくあれだけ戦えたわね。リザリー相手にここまで善戦できる者はほぼいないわ」
「いやー、割と冗談抜きで焦ったよ。あの速さは間違いなく相当な才能だよね」
リザリーは賞賛しているが、ナーマはそれでも不服そうであった。
それもそのはず、今までナーマは敗北というものを知らずに育ってきた。
真っ向から敗北を突き付けられた感覚はナーマにとってはとても屈辱的で、さらにまだ幼い精神状態であるため尚更だった。
「この敗北、いつか返す。...絶対に」
「いいよ、いつでも相手になったげる」
ナーマは立ち上がって土埃を払いながらリザリーに吐き捨てるも、リザリーの方は全く嫌な顔ひとつせず得意げに胸を張っている。
それから一旦拠点の中に戻り、リザリーはソファーでくつろぎナーマは疲労が溜まっているので部屋へ戻って行った。
<><><>
一方その頃、時を同じくくつろいでいるリザリーの元にグリーダがやってきた。
目の前のテーブルに紅茶を入れたカップを置き隣に座る。
「あの強さを見て、どう?危険はありそう?」
「んー...多分いきなり暴走したりはしないと思うけど。どうだろ、少なくともまだ安全だと保証することは出来ないかな」
「まあ、そうなるわよね。...あの時点でこれ程までの強さ、もしこれが本来の力だったとしたらあなたなら止められるかしら?」
問い掛けるグリーダの顔は、少し憂鬱そうだった。
「無理だとは言わない。多分戦えば私は勝てると思う。...でも殺さざるを得ないと思うよ、残念だけど」
「あなたでも加減できる保証はないのね、まあそれが聞けただけでも収穫かしらね...」
二人の間になんとも言えない空気感、両者少し憂鬱そうな表情でしばし黙り込んでしまった。
<><><>
「私は...一体どうすれば...」
ベッドの上で薄らと目を開き、ボソッとナーマは呟く。
その切実な声は誰にも届くことは無かった。
過去の思い出が鮮明に蘇る、あの時2人が話していたこともナーマは知っていた。
ナーマは自分が過去に何をしてしまったのか、そしてどんな事が起こっていたかなど、記憶は未だはっきりと残っていた。
仰向けで真上に手をかざし少しだけ魔力を放出すると、いつもと違い灰色っぽく濁った魔力が流れ出る。
「この力があるから...私はっ...!」
悔しさと悲しみの入り交じった声、表情は既にもう泣きそうな程に悲痛に染まっている。
直ぐに魔力は収まり、淀んだ空気も同様に元に戻った。
(私の力が...戻りつつある)
この魔力を感じる度にあの惨劇が脳裏にチラつく。
薄汚れた欲望のために利用され、あまつさえ幸せだった日常さえ奪い尽くされた挙句に国を滅ぼす直前まで精神を追い詰められた事を。
「...気分転換、した方がいいか」
暗い気持ちを少しでも払拭しようと外に出て深く息を吸う。
外は秋頃に差し掛かっていて少し肌寒い、そして空気が乾燥していてもうすぐ冬の訪れを実感出来る。
「少し薄着過ぎた」
昼間は暖かく何も羽織ったりしていなくて、疲れてそのままの格好で眠っていて同様に着替えることなく外に出てしまったせいで何も羽織るものがない。
(1度部屋に戻る方がいいかも)
と、部屋に引き返そうと思った所で優しく背中からなにかに包み込まれた。
「風邪ひくぞ」
「それは余計なお世話」
背中から膝丈くらいまでを覆うくらいの大きさのふわふわな毛布をザインが持ってきていた。
「これ、どこから持ってきた?」
「え?魔法で作っただけだよ」
「...そう、凄く技術の無駄遣い」
「いやひでえな」
いつもながらの受け答えを見てザインは一応安心する。
「かなり深刻な顔してたぞ。なんか嫌なことでもあったか?」
「...ザインには関係ない」
「まあそうだな。ナーマの辛さを分かってやれるほど自惚れてはいないよ。ま、本気で辛いなら相談くらいは乗るからな。みんなも多分それくらいはしてくれるだろ」
「ザインのくせに生意気」
「いでででで」
ナーマは得意げに語るザインの頬をつねった。
「いやいきなり何すんだよ!」
「私の心配なんて100年早い。私が子供に教えることなんてない」
「おいこら誰が子供だ」
いつの間にかナーマの中にあったくらい感情はいくらか薄くなり、少しずつ気分も良くなっていることに気づいた。
「今日はもう休む。明日も恐らく大きく動くことになる」
「だろうな。かなり状況がまずいことになってるからな。とりあえず俺はあんまり詳しい状況は分からないがとにかく嫌な予感もするし今のうちに休むか」
「それがいい」
2人とも外での気分転換を切り上げて早々に休むことにした。




