84.
「……そうか、大満月の日にはラニーもあの双子も席を外すのか」
「といってもラニーがいないのは夜だから、問題ないけれどね。日中も城内での仕事にしたから、グロリアがいてくれるのだし問題はないわ」
「そうだな」
いつものように共に昼食をとって、時々こうして予定を話し合って。
ああ、本当にまるで普通の婚約者のようだなんて今でも思ってしまうのは、私がまだ浮足立っているせいなのだろうか。
レイジェスの方はいつだって落ち着いていて、私からすると私だけが一喜一憂しているような気がしてならないのだけれど。
「大満月の日は、……あの、少しだけ一緒に月を眺めたりはできないかしら」
こうして、彼にお誘いをするなんて、以前の私ならば絶対に考えられなかった。
今こうして躊躇いながらでもはっきりと言葉に出せるのは、レイジェスが常に私の言葉を待ってくれるようになったから。
婚約者という立場を得てから、レイジェスが一番変わった気がする。
(レイジェスに言わせれば、我慢しなくていいようになったから……らしいけれど)
まあ時々悩んでいると『妙な顔をするな』とか『お前の頭がそこまで賢いとは思っていない、考えすぎるよりも周りに聞け』とか……心配しているのかちょっと違うのか迷う発言の時はあるけれど。
それでも、時々……本当に時々、私の頬を撫でてくれたり手を繋いでくれることも増えて、ああ、私たちは婚約してるんだなあ……ってすごく安心する。
「すまない、その日は王太子殿下の視察警護となっている」
「えっ、お父さまの側を離れるの?」
「……今回の外交は、特に大きな意味を持っているのだそうだ。マギーアの特使が国境沿いで会いたいと言ってきた」
「!」
「マギーアは今、お前が知っての通り混沌としている。多くの国の支援をそれぞれの皇子が求めているのだろうさ」
「……わが国には、ディミトリエ皇子もいらっしゃるのに……」
「さあな。あの皇子が何を考えているかはわからない。……気をつけろ」
「え、ええ……」
「こんな時に護衛が減るというのも重なりすぎる。城内警護の手配は強めるつもりではあるが」
眉間に皺を寄せるレイジェスが色々と考えているのは私にもわかる。
ラニーと、双子と、いないのは珍しいな程度に考えていた私だけれどよく考えたらそれはちょっと偶然が重なりすぎな気がしないでもない。
勿論、アニーが番を見つけたのは本能的な一致なのだから第三者がそうなることを見越して……なんてできるわけじゃない。
それに双子の兄が朝議の場付近を歩いていてたまたま妹を見掛けるのだって、妙な話ではない。
それらをもし仕組んだ人物がいるのならば、かなり綿密に計画が立てられていたのだと言わざるを得ない。
(だけど)
マギーアの皇位継承権争い。
世界中で注目されるそれと、その火種が各地で燻っている以上警戒してもしたりない。
私という未婚の王女が、軍事国家ターミナルという支援を結ぶ鍵となることはどこだってわかっている。婚約者がいた所で、それはあくまで婚約者。
王族として選ぶべき場面になれば……そんなことがないのが一番だけれど。
ぎゅっと膝の上で手を握る。
自分の体一つ、自由にすることが許されないのが王族。
私は今まで、自由にさせてもらっていた分それを窮屈だと思う。
(だけど、私は立派な王女になると決めた)
そんなことにどうかなりませんように。
ずっとレイジェス以外の人に恋することができなかった私が、今ようやく掴んだ幸せを、このまま守り通したい。
「……心配するな。こちらの考えすぎということもあり得る」
「え、ええ……」
この国に、ディミトリエ皇子がいなければ。
内包している不安は、貴族たちの思惑や外交への期待にも繋がっている。
王女として、他国との絆を繋ぐ役割を期待する人々に対して私は功績をもって堂々とレイジェスに嫁ぎたい。
「でもレイジェスと一緒にお月見もしたかったわ。……そのうち、機会があったらしてくれる?」
「ああ」
私がなんとか浮かべた笑顔でもう一度“お願い”をすれば、彼は迷いもなく頷いてくれる。もし今回警護の関係がなければ、きっと大満月を一緒に眺めたのだと思えば不安な気持ちも少し、薄れた気がした。
「お前はそんなに月が好きだったか? 昔は怖い怖いと泣いていた気がするが」
「そ、それは……月が怖かったわけじゃないの」
そういえばそんな風に泣いてレイジェスを困らせたことがあった気もする。
かなり小さな頃だったと思うのだけれど……覚えていたのだと思うと嬉しいような、恥ずかしいから忘れてほしいような、複雑だわ。
あれは、私にとって『赤い月』が来るたびに自分の魔力がない現実を受け止められないから怖かっただけの話。
そうして魔力がない私に、みんなががっかりする姿を見ては自分の価値がないのだと思って沈んでいく自分がいやで、……思えばただの子供の癇癪なのだけれど。
(レイジェスにそれを説明したら、叱られてしまうかしら?)
それとも心配されるだろうか。
どちらにせよ、あまりにも子供の頃の話だから。
「結婚したら、バルコニーで過ごせるようにしよう」
「え?」
「お前が座って寛ぐ環境を整えて、月を眺めることができるように」
「……その時は」
「うん?」
「隣に、いて、くれるのよね」
仕事がある以上、常になんて我儘は言わない。
昔のように顔色を窺ってしまうのは、まだ私がレイジェスの気持ちを信じ切れていないのだろうか? ううん、そうじゃない。
(私は、……この幸せが、まだ夢じゃないかって)
何度も何度もこれが現実だと確かめているし、日々の変化もめまぐるしくて、これが夢なわけがないとわかっているのに思わずにいられないのだ。
(やだなあ、私ったら)
相も変わらず心が弱すぎる。
そう思うと恥ずかしくもあるのだけれど、レイジェスはそんな内心までわかっているだろうに目を細めてまるで愛しい者を見るかのような目を向ける。
それがまた恥ずかしくて俯く私に、彼は手を伸ばしてくる。
掬うように私の髪をひと房手に取って、それに口づける姿は本当に、本当に、かっこ良い。
「お前の隣にいるのは、俺だけだ」
きざったらしいセリフも、レイジェスがいうと様になるのだから神様は卑怯だと思う。
顔を赤らめる私を見て、おかしそうに喉で笑う意地悪なその表情すら、……今では、とても愛しいのだから恋というのは本当に、度し難い。
「……赤の大満月は間に合わないかもしれないが、白の月には間に合うかもしれない。その時に時間がとれるようであれば、庭園の散歩にでも行こう」
「いいの?」
「婚約者の願いを叶えるくらいさせてくれ」
「……ありがとう、レイジェス」
「できれば任務がないのが良かったんだがな。……決してその日、ラニーが離れてからは部屋を出るなよ」
「ええ、約束するわ」
当日、専属の侍女もグロリアだけとなれば彼女が離席する際なども気を付けるべきだとレイジェスは念を押してくる。
それはわかる話であったし、グロリアからも言われていたから私も素直に受け止める。
……ああ、早くマギーアの次期皇帝が定まれば良いのに。
私とレイジェスの結婚時期を早めるというわけにはいかない以上、それを願わずにはいられない。
(神経質になりすぎても、いけないのでしょうけれど)
この王城内で、なにかが起こるとは思いたくない。
けれど、あの謀反の始まりもマギーアであり、今も動いているのはマギーアだ。
カエルムには姉様がいらっしゃるし、キャンペスは……カイマール殿下は、レイジェスを気に入っているようだし。
親戚云々はちょっとわからないけれど。
そうなれば、やはり一番気がかりなのはマギーアでしかない。
その火種は、確実にどこかで育って、世界を巻き込んでいるのだから。