82.
「そういえば、私はラニーに相談事があったのよ」
「え? なんです?」
「国王の戦車を地竜が引くのは知っているわよね」
見た目と実用性を兼ねたその戦車が使われたことそのものはここ百年単位でないのだけれど。
それでも万が一に備え、それは常に出撃できるよう準備がされている。
当然軍人たちの間では知られている話だから、ラニーも突然私がそのことについて触れて何を言い出すのかと不思議そうな顔をしている。
「それで、この間新しい地竜の雄が交代で入ったのだけれど、アニーに求愛の鳴き声を出しているんですって」
「ええ!?」
「入ったばかりの時は良く鳴く竜だなって思われていたらしいのだけれど、ベテランが気づいて今日報せがやってきたのよ」
当然その報せは『番わせるかどうか』なのだけれど。
王城でも時折こういった事例は見受けられて、土地が違うからなのか卵を産むに至るまでになるのは少ない。それでも番を得た竜種は長生きし、よく働くとも言われているから利点は多い。
それに、私たちが研究している地竜の話の中に、弱った番を救った、というあの話を思い出せば……アニーにとっては、悪くないんじゃないかなって。
ただ、当然だけれどこの話を私の独断で決定するつもりは、ない。
「……クリスティナ様がお決めになられれば、わたしは従いますよ?」
「だめよ、ラニー。私は確かに貴女の主だけれど、アニーは貴女の大切な家族だもの! いくら国王陛下の地竜だからってラニーとアニーが認めない雄と番わせようだなんて思っていないんだから」
「……相変わらず優しいなあ。アニーのためを思えば受けるべきだって考えいらっしゃるんでしょう?」
「まあ、それはあるわ。……限りなく低い確率でも、それに縋ってでもアニーが元気になってくれたらと思わなくはないもの」
私の考えは当然側にいて見続けていたラニーだってわかっている。
でも、家族だもの。
大事にしてあげたい。
それを素直に告げれば、ラニーは少し考えてから私の方を見た。
「アニーの様子は何か言ってましたかね?」
「……満更でもなさそうだって。気に入らない雄からの求愛だと、雌は攻撃的になるのだと聞いたけれど……そうなの?」
「ああ、じゃあ体当たりするとかそういうのはないんですね?」
「え? ええ、そういう報告は来ていないけれど」
「じゃあ、お受けしますよ」
けろっと言い放つラニーに、私の後ろで会話を聞いていたサーラとキャーラが首を傾げる。
そんな二人の様子に、彼女は笑って教えてくれた。
「確かに、求愛が気に入らない場合は雌が攻撃的になるんですよ。物理的に黙らせるっていうか」
「物理的に黙らせる」
「でもそうなると急がないといけませんかねえ。少しだけ、護衛の任を離れてもよろしいですか?」
ラニーによれば、赤の大満月の時が交尾だけれど、それがまた苛烈な……一見すると戦っているかのように見えるようなぶつかり合いだから、竜舎の中でというのは不可能なのだという。
万が一に備えてを考えるならば、当然地竜の扱いに長けた人物がそれを見守るべきであろうし、竜舎の人間に任せるよりは自分がことに当たりたい。
そのラニーの考えを聞いて私も大いに賛成だった。
アニーのことだもの、やっぱり彼女に任せたい。
「大丈夫よ、次の大満月が過ぎるまで視察などは入れないようにすれば良いだけだもの。グロリア、問題ないでしょう?」
「はい、まったく。むしろクリスティナ様はここ最近働きづめのように思いますので、休養日をとって体を休ませてはいかがでしょう」
「まあ、そんなに忙しくしているつもりはないのだけれど……」
「朝議に参加なさり、その後はダンスレッスン、ファール隊長と昼食を召し上がられたのちはヴァッカス殿と討論または視察、その後に資料をまとめられ上がってくる書類を片付けられる……という生活は大変充実していると思いますが」
言われてみるとまあそれなりにスケジュールとしては詰まっているように思う。
だけれど、私だけではなく仕事をしている人はそうなんじゃないかなと首を傾げる私にグロリアは小さなため息を吐いてから薄く笑みを浮かべた。
「確かに、多くの、特別働く人間にとっては珍しくもない程度にスケジュールが詰まっております。ですがそれでも一週間のうち一日か二日は休みを取って体を労わりながらでございます」
「え、ええ」
「クリスティナ様のこちらのご予定は休みを一切取らずに毎日おやりになられた上、他に空いた時間もアニーとの散歩でしたり資料探しで図書室に足を運ばれたり……」
どうやら心配をかけていることが多かったようだと私が縮こまれば、グロリアは新しいお茶を私の前に置いて、はっきりと言った。
「頑張られるお姿は大変ようございますが、お身体を大切になさってくださいませ」
「……ごめんなさい、もう少し気を付けるわ」
「視察が減るだけで十分時間は取りやすくなります。今度はクリスティナ様専属の、秘書官を陛下にお願いしてはいかがでしょうか」
「秘書官……」
専属侍女に、護衛騎士に、お抱えのデザイナーに学者。
ここ最近急激に人を付けてもらうようになったけれど、私は大丈夫だろうか。
頑張りたいという私のために、多くの便宜をはかってくれていると家族の負担になっていないだろうか。
そこまで業績を上げているわけでもないのにと思ってしまう自分が情けない。
一国の王女として考えるならば当然だという風に振舞えないものだろうか。ううん、あんまり居丈高になっても困るからそれはそれで良いのかもしれないけれど。
「まあ秘書官のことは考えておくわ。そうよね、グロリアも本来は侍女なのに、私の秘書官のようなことまでさせてしまっているし」
「わたくしは楽しくありますが、専門職の方がクリスティナ様のお力になれるかとも愚考いたします」
「ありがとう、グロリア」
とにかく、大満月の日には番う予定の二頭を広い場所に連れていくこと、対応できる人間をラニー以外に複数人準備すること。
無事番ったならば、今後竜舎はもう少し広い部屋にして番を一緒にしてあげること。
それらの指示書を書いて、ラニーに持たせる。
「それじゃあ、大満月のあと……と言っても白の満月では忙しいわよね。その後、赤の月になってから戻るのかしら」
「そうなりますかね、他にも竜だけじゃなく騎乗用の動物たちも大満月の日と白の満月は大騒ぎでしょうから人手が足りないようならそちらも手伝って戻ります」
「ええ、お願いね」
「……城内の警護を、特にこちらを増やしていただけるようファール隊長にお願いしてくださいね。あの方が寝泊まりしてくれれば一番かもしれませんが」
「もう、ラニーったら!」
心配性だなあ。
まあレイジェスには勿論護衛騎士が離れることは伝えておくつもり。
どこかに出る必要がなければ、城内の警護だけで十分だとは思うけれど……言わないでいたらまた何か叱られてしまいそうだもの。
寝泊まり、の部分はあえて聞かなかったことにした。
(こ、婚約者とはいえそんなの、お願いできるわけがないもの!)
はしたないって思われてしまうでしょうし、実際に了承されても困ってしまうし、そんなことになったら絶対兄様がレイジェスに何か文句を言ってしまうだろうし。
「クリスティナ様、あたしたちもおります」
「アタシたちが、守る」
「ありがとう、サーラ、キャーラ」
双子がぐっと握り拳を作って訴えてくる姿に、嬉しくなる。
彼女たちも軍出身。この上なく頼りになる存在なのだから、お願いしようかしら。
(……レイジェスが、でも、寝泊まりしてくれたら)
思わずいつも『もう少しだけ一緒にいたい』と思う自分の欲が出てきてしまって、顔が赤くなる。
その顔を誤魔化すように、私はグロリアが淹れてくれたお茶を飲んだのだった。