閑話 空に浮かぶは同じ月、けれど見るは違う月
「なにやら楽しそうですが、まァた変なコト考えてなんかいらっしゃいませんよね、殿下?」
「おい、心外だな。おれはいつだって真面目に生きているっていうのに」
すっかりターミナルという他国の王城内で与えられている客室を己のものとして寛ぐ男に、その従者は大げさなくらいのため息を吐いてみせた。
とはいえ、その程度を気にするような主ではないとわかっているからこその行為であったしカイマールは咎めるどころか面白そうに口の端を吊り上げて、ちらりと視線を寄越しただけだ。
「知っているか、最近マギーアの皇子、その側仕えがおれの女神に熱い視線をくれているらしい」
「貴方の女神ではございませんでしょうに。また睨まれてしまいますよ、あの黒の騎士殿に」
「いやいや、とっつきにくく可愛げの一つもないとばかり思っていたがレイジェスのやつは面白い男だからな。つっつきたくなるのも仕方あるまい?」
「貴方がそんなだからあの方は親戚かもしれないという話を心底嫌がっておいでなのではありませんかね」
「それこそ心外だ。おれはあやつを弟のように可愛がっているつもりなのだがなあ!」
大声で笑ったカイマールに、従者の青年は曖昧に笑う。
きっとこの会話を聞いたらレイジェス・アルバ・ファールは不快感を隠すことなく睨みつけてくるに違いない。
それがこの主であるカイマールにとってみたら、まるで弟ができたかのように嬉しいじゃれ合いと思っているのだからたちが悪い。
その上で、隙あらば女神に近づこうとするのだから従者としても気が気でないのだが、その辺りをぜひ考慮してもらいたいものだと思う。
「しかしあちらの側仕えでしたか、なんのつもりでしょうねえ。私もその現場を見たことがございますが、どうにも王女殿下に対して懸想しているというわけではなさそうですが」
「白の月ではないのか、と言っているのを耳にしたものがいるそうだ」
「……そりゃまた古い言い伝えを持ち出したもんですねえ!」
赤い月、白い月。どちらも月だが魔力云々の言い伝えは各国共通だが、その後がまた異なることが歴史研究者たちの頭を悩ませ続けている。
キャンペスにおいて月はどちらでも構わないが、赤い月より白い月の方が夜の移動が安全なので女神の慈悲と呼ばれる。
カエルムでは赤い月は緩やかな変化であり、白い月は安息の象徴。
ターミナルにおいて赤い月は魔力の象徴、白い月は魔力がなくなる危険な夜。
マギーアにとって赤い月は巡る平和であり、白い月は破壊と創造だという。
なぜ各国でこれほどまでに異なる言い伝えがあるのかは不明だが、キャンペスのように特に思い入れがない国の出身である彼らからしてみたら月明かりは白の方が明るいから好まれる程度のものだ。
だからその白い月の明かりを集めたような銀糸の髪を持つクリスティナという王女に対してカイマールが『月の女神』と呼ぶのは自然の話だったのだ。
勿論、そこに下心があるのだろうと彼と長く共にいる従者としては思うのだけれど。
「でもそれがなんだっていうんです?」
「さてなあ、頭でっかちな連中の考えることなぞ知らん」
「厄介なことを仕出かしてこっちにまで迷惑をかけてこなけりゃいいんですがねえ」
「……マギーアの様子はどうだ」
「芳しくないようですよ。ディミトリエ皇子は才気溢れるお方だと思いますしあの方が玉座につくなら、キャンペスとしても今後が明るいかなあと思っておりましたがねエ」
「そうか」
マギーアの皇位継承争いは段々と泥沼となっているようで、潜ませている間諜たちの話によれば民間人にまで被害が出ているというから厄介だった。
それでもそこで手打ちとすれば良いのに自分の陣営は悪くない、悪いのは出来の悪い皇子のせいだと互いを罵り合いまた争い、時に利権を絡めてと続いているようだった。
そのせいで民心はすっかり皇室から離れてしまっているようだというのだから、本末転倒だ。
ディミトリエは離れている分被害こそ少ないが、もともと後ろ盾もない皇子だ。
才能に溢れその身に宿す魔力も強大とあれば、それだけで神輿に担がれそうなものであるがそれらの甘い口車に乗らない程度には頭も働くからこそ今は静観の構えなのだろう。
だがその状態でそのディミトリエの側仕えがクリスティナ王女に……というのはターミナルの後ろ盾を欲していると大いに勘違いさせる出来事だ。
ディミトリエが望む望まないに関わらず、側仕えの仕出かした失態と呼ぶには少しばかり大袈裟だが……諸外国の情勢に聡い人間ならば懸念事案として捉えるのは至極当然の話であった。
(誰が好き好んで他国の継承権争いなどに巻き込まれたいかという話だな。……だが継承するとわかれば手のひらを返すのも目に見えているから人の欲とはなんとも醜いものだが)
「そういえば、月と言えばですが」
「うん?」
「例の、殿下の伯父上が手を出されたという女性ですが、古い一族の出身だそうですよ」
「ほう、下級部族の娘ではなかったか?」
キャンペスでは古い一族程高位に就いていることもあり、カイマールが首を傾げる。その姿に従者も肩を竦めて、酒を手渡した。
「ターミナル建国の際に、勇者に剣を鍛え捧げた鍛冶一族の末だそうですよ」
「……なんだと?」
それはそれは、古い物語。
強大な帝国の奴隷に過ぎない男であったスライが、生贄として不毛の地に住まう魔物に捧げられることになった末の王女フィライラを助けに行く姿に感動し助力代わりにと彼のために魔剣を打った……とする物語。
真実がどうであったかはわからないが、その鍛冶一族はマギーアに歯向かう人間に武器を提供し、マギーアとキャンペスに小さな争いの火種を生む行為を行ったとしその地位をキャンペスでも下にと定められてしまったのだ。
だがそれを異と唱えることもなく、その一族は山奥で今もひっそりと剣を打ち続けている。比類なき、魔剣を生み出す鍛冶一族。その能力の高さに似合う高潔さを持つともいわれるのに下級の民として軽んじられる人々。
「……あの一族か」
「そうですよ、殿下の剣を一本打つのに一年殿下を観察すると言って打ってくれなかった鍛冶師のいるとこです」
「あれはあれで楽しかったがな。草原暮らしが山暮らしを体験するというのも悪くないものだ。そういえばすっかり顔を出しておらんから、国に戻ったら一度行くとしよう」
「やめてくださいよ、国王陛下からお叱りが飛んでとばっちりをこっちが受けるんですから」
特別な、剣だったという。
奴隷はその剣を以て己の首と手にある枷を切り捨て、魔物を切り伏せ、不毛の大地たらしめていた巨大な岩盤を破壊し、神より祝福として増幅の魔石を与えられたのだという物語。
(……これは、偶然か?)
ふとカイマールは思う。
マギーアが持ってきた不穏な火種。
キャンペスの、それも伝説を持った刀鍛冶の一族を母とするかもしれない英雄。
そして、多くの人々の思惑に捉えられた哀れな姫君。
まるで何かを重ねるように。
そう思ったところでカイマールは馬鹿らしいと酒を飲み、くだらない考えごとそれを飲み干した。
「まあ、いい。その側仕え、もう少し観察しろ」
「はいはい。まあ他国の城内ですからね、できることも限られてますからそこはご了承くださいよ」
「わかっている」
カイマールの言葉に深く礼をとった従者が、部屋を出ていく。
それを気配だけで感じ取りながら、カイマールは手元のグラスを覗き込んで眉を顰めた。
「いかんな、酒の追加を言っておくのを忘れたか」




