8.
冷え切ったお茶でスコーンを胃に流し込む。
ひらひら泳ぐ金魚を眺めて、水を換えてあげなくちゃなぁ、と思うんだけど……さっきの今で私が一人で水を換えに行くのは、ちょっと……あれよね。
(だからって、さっき用はないですよって言っておきながら呼ぶには間隔が短かいよね……ああー、さっき頼んでおけばよかった!!)
はぁー。
大きなため息をひとつ。今更なんだけどね……こういうのってどうして後になってから気付くのかしら。全然、知恵者なんかじゃない。なんて間抜けなんだろう。
まあ、これが現実なんだけど。わかってるんだけど。
(でも)
お飾りの姫君、それでいいと思われている。
それがちょっと悔しいと思っている。
だから、本当に切れ者になる必要はないしなれないけど、周囲が思っているよりは賢くありたい。
(じゃあ、どうすればいい?)
今更だけど、誰かに師事してみる?
それはそれで不自然よね。それに、誰を頼っていいのかわからない。
こういう時、お父様に聞けばいいのかしら。それとも兄様?
姉様がいてくれたら……ああだめだ、また考えがループしちゃう。
残った紅茶はなんとなく美味しくなくて、またため息が零れた。
いつもはこのままテーブルに空になったティーポットとティーカップを置いたまま本を返しに行ったりしているといつの間にか片付けられてたんだけど、これからはどうしたらいいんだろう。人を呼ぶべきなの?
あちらも今までは私が部屋から出たのを見計らって片付けとか掃除に来てたんだと思うけど、呼ばれるのかどうかってハラハラしてるんだろうなあ。なんだかそう考えると滑稽だわ。
(こうしてみると、私も諦めずに彼女たちとの距離感を見極めておけば今こんな苦労しなくて済んだのよね……)
といっても、嫌われていると知っていて、嘲笑われていて冷静に対処するなんて私には到底無理な話だった。
できないからこのお互いを無視する、みたいな関係になっちゃったんだしさぁ……!!
でもあれもできない、これもできないじゃ話がまるで進まないのよね。
私が対外的には“変わらない”スタンスで、内面を少しずつ変えて自然に周囲に合わせていこうって決めているんだから急でないにしろどうにかしなくちゃ。
あれ?
じゃあ急に侍女呼んだりとかは私らしくないか……とはいえ、うーん。
「そうだ……そうだよ、この手があった!」
いいことを思いついた!
……そのためには、最終的にレイジェスに会いに行かなくちゃいけないけど……。
いや、その前にまずお父様に会いに行く。これで侍女に問い合わせに行ってもらうとかそういうのも頼めるし、あ、これは本当にいい手かもしれない。
私、思ったよりも頭悪くないのかも!?
なんて自画自賛している場合じゃなかった。思いついた計画を、思いついたまま行動しては失敗する。しっかり考えておかなくちゃ……お父様やレイジェスが変に思ったら、余計なことになりそうな気がするし……。
目的は、私専属の護衛武官。それも女性! あと、専属の侍女。
今までは引きこもりだったから、特定の誰かっていうのではない侍女と、出かける時に派遣してもらう武官だったけど……。
これからは『ゼロの姫君』として外に出なきゃいけないことも増えるだろうって事件直後お父様が仰ってたのだしそういう意味で信頼できる人を傍に置きたいって言えばきっと納得してくれるはず。
それも女性であれば、婚約者のいる身としても貞操を示せるし。
急にどうしたって言われることもないと思うのよね……この理由なら。
これからはレイジェスの婚約者として、社交界にも顔を出そうと思います……って言えばお父様は納得してくれる気がする!
だけど、……うん、これが難関かなあ。お父様はオッケー出してくれそうだけど、レイジェスは渋りそうだ。社交界に顔を出すっていうことはイコールで彼と一緒にってことになるんだし。
でも王族の婚約者を持った身なら出ないわけにはいかないって彼もわかっているはずだし、それなら彼にとっても信頼できる人間が私を見張ってくれたらいくらか安心するんじゃないかな?
……見張られる、だなんて言い方は乱暴だけど。
(でも、私が妙な動きをしたりすると婚約者として困るとか、また叛徒とかが現れて面倒になったら困るってレイジェスは思っているだろうから……守るって言ってくれたけど、それってそういう意味だと思うし……)
それなら彼の手を煩わせないようにするのがせめてもの、私ができることだと思うんだよね。違うかな、違ってもこの際いいかな。
現状、変えられないのは王女クリスティナはレイジェスの婚約者になってしまったのだから。
嫌われていようと。
それが、軍部のためであろうと。
忠誠のためであろうと。
本当に好きな人を選ぶよりも、自分の幸せよりも、国の幸せを願ってくれているのだとしても。
(だから)
私ができるのは、私の大好きな人が願うような未来を作り出すこと。
私が望むのは、私の大好きな人が、ちゃんと好きな人と幸せになれるようになること。
それが、私でないとわかっていて胸が苦しくても。
それが、当たり前だと知っているし、覆せないんだって……知っているから、今更だもの。
「よし!」
だとすると、条件はいくつか整えておいた方が良いだろうね。
お父様やレイジェスに人選を任せてもいいのだけれど……きっと良い人を選んでくれると信じているから。
でも、ある程度は私からも提示しないとそれはそれで失礼だと思うし。
何より、信頼関係を築き上げるんだと考えているなら、どういう相手がいいのか自分でもきちんと考えなくちゃ。
まず性別が女性、そこは譲らないし譲れない。
年齢は……あんまり若いと経験的な問題が出てくるのかしら。
武官も侍女も、二人ずついてくれたら交代で休んでもらえる? いや、武官は一人でいいかな、出歩くのは基本城内でそれも毎日じゃない。私が出歩かない時は下がっていてもらえばいいのだし。
じゃあ武官は一人、これはレイジェスに選別してもらうにしても、できたら年齢が近くて社交性がある人がいいな。外に出た時に誰かとトラブルになったのを上手くとりなしてくれるような相手がいい。私に無礼を働いたから斬る、みたいな極端な人はいないと思うけど。
あと、私のことを『ゼロの姫君』として強く見過ぎてなくて、逆に『残念姫君』として嘲笑してなかった人……って条件多くなっていっちゃう! 困ったな。
多分私が護衛武官を必要としていると聞けば、レイジェスがその辺りはきっと汲んでくれる……と思う。
次に侍女二人。
ベテランと新人とをつけてもらおうかな。
お父様が信頼しているベテランさんならきっと私のことを軽んじることもないでしょうし、その人に習いながら私と信頼関係を新人さんなら築いてくれるかもしれない。
うん、その方向でいけたらいいかな。
こうやって目的が定まると、安心する。
さっきまでぐるぐる頭の中が混乱していたのが、少しだけ落ち着いた気がする……少しだけだけど。
手を伸ばして、呼び鈴を鳴らした。
ちりりん、と軽やかな音が響く。やっぱり、慣れない。王女として過ごしているはずなのに、人を使うのがいつまでも慣れないだなんて王族失格なんだろうか?
(そうだ、そういうのを兄様に相談してみようかな)
最近は……というか、部屋に閉じこもるばかりだったからってのもあるけど、兄様とゆっくり話したことは数える程度になってしまっていたから。
今回の事件で、兄様はものすごく私を心配してくれていた。姉様と同じ。私は本当に、家族に恵まれている。
ノックの音が聞こえた。
きっとさっきの侍女が来たんだろう。まずは、お父様に会いたいから許可をもらってきて、とお願いしよう。
……あと、金魚の水を換えてもらおう。