79.
「婚儀の日取りをそろそろ神殿側が占うそうだ」
「そのようね」
当たり前になった昼食での光景に、レイジェスと私の会話。
でもなんでだろう? 当事者だというのに、少しばかり人ごとのように思ってしまうのは……実感が持てないままだから?
「まあ少なくとも来年か、その次か……王族の降嫁となると大掛かりな行事のようなものらしいからな」
「そうねえ、レイジェスは領地があるわけでもないからお披露目だけでもしないといけない上に、最近慶事がなかったから……」
英雄と王女の結びつきとなれば、吟遊詩人たちがこぞって歌にすることだろう。町も活気で溢れるのだから悪いことではないし、それによる経済効果だって見込めるしなにより結婚式は新しい門出。
人々にとって幸せの象徴として、明るい話題になることは間違いない。
(当事者が自分だっていうのが、……いまひとつ、まだ追い付いていないんだけど)
しかしそうなると王家としてはこの結婚が『幸せに満ちたものである』と示すために大々的に行うに違いない。英雄は王家の姫と真実の愛を以て結ばれたのだ! くらいの宣伝文句までついてきそう、兄様そういうのお好きだもの。
でも、そうなると城下をパレードでもさせられるんだろうか。
それを想像するとため息が出たけれど、レイジェスも似たような表情をしていたから多分同じ想像をしたんじゃないかしら。
「こちらとしては住まいくらい自由にしたいところだが」
レイジェスがあまり面白くなさそうな顔をしているから、きっと望むような物件じゃないものを与えられるんだろう。
……まあ私と彼の立場を考えたら、城から遠いところとはならないとはわかってはいるけれど。
「王族直轄領のうち、大き目の別邸がいくつかあるのは知っているだろう? あれのいずれかになるだろうということだ」
「まあ」
控えめな物言いだけれど、王族が所有している別邸、その規模の中で大きいものとなると下手をしたら高位貴族の本邸とさほど変わりない規模になるでしょうね。
となると、もともといる使用人やその関係はそのまま雇うことになるだろうし、機を見ていずれはレイジェスを領主にでも据える気があるんだろうか?
「住まう家を下賜され、婚儀を済ませれば名実ともにこの国に生きる理由だ」
「……そうね」
「俺の理由は、お前だった。お前がこの国を愛するならば、俺もそれに従うだけだ」
「カイマール殿下はレイジェスと親戚でありたいようだけれど?」
「……やめろ」
うんざりとした表情を浮かべる彼が珍しくて笑えば、レイジェスもふっと笑う。
ああ、こんな穏やかな時間が過ごせるようになるだなんて昔の私からでは想像できなかった。
私は狭い世界に生きてきて、狭い視界で物事を見ていたんだなと多くのことを知っていく。
勿論、私が視界を狭めたのも、俯いてしまったのも、私自身の性格と周囲の環境によるものだと理解している。
(だからこそ、足を引きずってでも前に進まなければ)
もしも、……もしも、私とレイジェスの間に生まれた子供が、私と同じ魔力なしだったら。
家族と同様、私たちは子供に愛情を注ぐのだろう。
だけれど、周囲は? 私たちが職務中、誰が心なく『魔力なし』を傷つけるのかわからない。
私たちは良くも悪くも注目される夫婦となるだろう。
その子供は、私たちがそう望まなくても注目されてしまうのだろう。
(魔力があっても、なくても……愛しいと、ただそれで済むように)
そのためには、まず魔力がないことで価値を低く見られていた自分自身を高みに押し上げれば良いだけの話。
……とまあ言葉にすればたったそれだけなのだけれど、これが困難なんだよなあとため息だって相変わらず増えている。
最近、やっぱり眠りが浅い。
夜になると窓の外を眺めて、月を見上げてしまうのが習慣化してしまった。
きっとこんなことがレイジェスに知られたら、眉を顰めるだけでは済まないのでしょうね……。
「クリスティナ、どうかしたのか」
「いいえ。そういえば最近、少し気になることがあって」
「なんだ?」
レイジェスの言葉に首を振ってから、小耳に挟んだことを思い出して口にする。
もうきっと彼の耳には届いている話題だと思うけれど……。
「マギーア皇国で一部暴動が起きたそうね、それによって継承権争いに動きがあったらしいって」
「ああ、そのことか」
「いえ、それもなのだけれど」
気のせいだろうか?
ディミトリエ皇子は顔を合わせれば相変わらず挨拶と世間話なのだけれど、彼の従者がこちらをやたらと見ている気がするのだ。
ラニーやグロリアにも確認をしたけれど、不躾になるほどではない程度に見ているのは確かで……だけれど、なぜそんな視線を向けられるのかわからない。
しかもそれが、その暴動問題から継承権争いに動きがあった、という報告がお父様に上がってからなのが引っ掛かる。
「……気を付けておこう」
「気のせいなら、良いのだけれど」
「お前が気になるというならば、好意的ではない視線なのだろう」
私はレイジェスの言葉にほっと息を吐き出す。
ラニーとグロリアを信じていないわけじゃないけれど、危険なものを彼女たちは感じていないのに私だけがそう感じていたらそれは自意識過剰なのではないだろうかと少し心配だったから。
レイジェスが信じてくれたことが、とても嬉しい。
「……ディミトリエ皇子は確か多くの家臣を連れてきていたな」
「え? ええ」
「あちらの護衛は基本的にマギーア皇国から連れてきた人間でなければ納得できないと言われて、その隊長格と常に軍部が連絡を取っている形になっている」
「……ええ」
こちらの国を信用していないわけではないがまるっとすべてをお任せします、とは流石に行かないのが実情。
だからこそ最低限警備においてあちらは今日どのような行動をするのかということをこちらに伝え、ターミナルの軍人は“要人が今日はここを通る”といった風に警護をしているのだと思うけれど。
問題は、その護衛官が誰なのか。
親しくない分、いつもディミトリエ皇子の後ろにいる人……くらいの印象しかないし、そういえば紹介されたこともない。まあ普通は臣下を紹介というのもあまりないことだから気にしていなかったけれど。
「特徴はあるか?」
「……髪の色はターバンで隠れて見えないけれど、ひげはないわ。年齢はディミトリエ皇子と同じくらいかしら……武人というには少し線が細いから、護衛官よりも秘書官の役割の方が大きいのかもしれない」
「なるほどな」
私の疑問に対し、恐らく配慮してくれるのだろうと思う。
それがどんな形になるのかまではわからないけれど、少し気が楽になった。
レイジェスは難しい顔をしていたけれど、これがただの気のせいならばそれにこしたことはなくて……けれど何かあってからでは遅い。
ましてや前回の謀反にマギーアが関わっていることは、一部の人間しか知らない。
それでも、知っている人たちからすれば、なにかあればそれはマギーアからの宣戦布告と受け取らざるを得ないことだってあるのだから。
今、マギーアは皇位の継承権争いで揺れている。
どんな手を使ってくるのかわからない。
一番穏便に考えられるのは、ディミトリエ皇子の家臣たちが私を妻に据えて軍事国家ターミナルを後ろ盾に、ディミトリエ皇子を押し上げようとしているから。
そのための案を巡らせるために私を観察していた、というようにも考えらえる。
ただその際に、既成事実を作ってしまおうという強硬策がないとは言い切れないわけで……そうなったらそうなったで争いの火種なのだけれど、結果として責任云々で私がマギーアに嫁ぐことになるだろうし。
考えたくないのはディミトリエ皇子の家臣の中に、獅子身中の虫がいる場合だ。
彼を貶めるために私が使えないか模索されていたなら、それはもう戦争に近づくんじゃないかな。
(ただ見てた。それで終われば良いのだけれどね……)