76.
ぐるんと腕を回したラニーは、随分と楽しそうだった。
そういえば私の護衛になってから、あまり出歩いていないから退屈させていたのかもしれないと思い当たって彼女を見れば、首を傾げられた。
「もう少し、ラニーのことを考えてあげるべきだったわね」
「え? なにがです?」
「ほら、私ったらあまり出歩かないものだから退屈していたんじゃない?」
「いやまあちょーっと運動不足かなぁとは思ってますけどね、ほら二の腕とかプニっとしてきちゃった気がして。特にクリスティナ様が細いですからねえ! わたしの太さがバレちまうじゃないですか」
「まあ!」
騎士たちの視線も、今は気にならない。
ラニーと並んで壇上に戻る私たちは、きっとおかしな風に見えるんだろうけれど私はもう気にしない。
「カディナ」
「おかえりなさいませ」
壇上に戻ったカディナは、穏やかな顔で笑っていた。
まるで全部お見通し! と言わんばかりのその笑顔はちょっと悔しいけれど、私は私でなんともないように澄ました顔で椅子に座りなおした。
「イーノの治療を最優先に。視察が終わるまでに目が覚めるようであれば、南方部隊の責任者と共に私の元へ連れてくるようにして」
「かしこまりました」
「ラニー」
「はい?」
「褒美は何が良いかしら?」
私の言葉を、騎士たちが聞いている。
だからこそ、私は言葉一つとて震えさせてはならない。
私は私の騎士を大切にしている。それを見せるのは、大切なこと。
「そうですねえ、でしたら今度アニーに乗って散歩に行きたいですねえ、クリスティナ様も一緒に!」
私の意図を理解しているのかいないのか、ラニーがまた快活に笑う。
王女を散歩に誘うなんてと動揺が騎士たちの中に走ってどよめきが起こったけれど、私はラニーがあまりにもラニーらしくて笑ってしまいそうだった。
「ええ、いいわ」
遠目に、イーノが担架で運ばれていく姿が見える。
少しだけ気の毒で心配だったけれど、その私の視線に気が付いたのかグロリアがそっと「あの程度でしたら城内にいる見習い治療師の魔法でも十分と思います」と教えてくれたから大丈夫なんだと信じたい。
……若干棘を感じたのは、気のせいだろう。
「他の騎士たちも含め、日々の鍛錬、確かにこの目で確認させてもらいました。今回の腕試しで南方部隊の独特の動きは、城詰めの騎士たちにとってもきっと良い刺激になったことでしょう」
カディナに言うようで、周りの騎士たちに向けた言葉。
ああ、なんてわかりやすいほどのパフォーマンスだろうと自分でも思うけれど、そのために整えられた舞台なのだからそれを利用しない方がだめなんだろう。
綺麗ごとだけで世界は成り立たない、少なくとも『王女』という肩書で、誰かのために何かを成しえる立派な王女になろうと思うならば。
「王女殿下、そろそろ建物の中へ視察に移動いたしますか?」
「……そうね。みな、楽にしてください。これからも国防のために尽くしてくれることを願います」
カディナから向けられた誘いに応じるようにして騎士たちへ声をかける。深窓のご令嬢や姫君ならば、直接騎士たちに声をかけるなんていけないことだろうけれど私は『ゼロ姫』だからいいんだろうと思う。
だって、ゼロ姫は……彼らと共に歩む者だと私は解釈しているから。
魔力がなく、王族としての役目を果たせない分王族としての権を以て国のために尽くし、貴賤卑賎関係なく国民に尽くす存在。
そんなご立派なのは、聖女や勇者じゃないのかなと思うけれど英雄と呼ばれる人間と並ばせることでそれは象徴になりえるのだということくらい、理性では理解できている。ただ、それに私がなれるのかという不安がないわけじゃない。
(というかむしろ不安しかないけれど)
噂の一人歩きというか、評判だけが駆け上っていく状態は私にとってつらいもの。
だけれどそれを利用して、環境を利用してそれを上手く使いこなせるようにと周囲が手助けしてくれている中で不安だからと立ち竦むことは、きっと許されないと思う。
だって、それはものすごく、恵まれた環境なのだから。
「疲れたか」
「……いいえ、大丈夫よレイジェス」
腰をかがめて私の様子を伺うレイジェスに、はっとしてなんとか笑みを浮かべて見せる。正直、疲れたかどうかで聞かれれば気持ち的に疲れたというのが正直なところ。
だけれどそんな弱音ばかり、言っていられないでしょう?
私がそうだと言えばレイジェスはもう視察を切り上げて自室に連れ帰ってくれるに違いないけれど、私と彼が仲睦まじく軍部棟を視察する、それがどんな意味を持つのかくらい私だって察している。
叔父様が仰っておられたように、私の婚約者を挿げ替えようとする勢力に対しての牽制と、そしてこれはそこまで期待されていないけれど軍部が私の味方をしてくれること。
ゼロ姫という存在が軍部にとって、民衆へのイメージとして反乱の汚点をカバーする良い材料なのはわかっているけれどそういう意味だけじゃなく、私の後ろ盾になってくれるのが望ましい。
(これはきっとレイジェスが考えたことじゃない。……レイジェスは、もっと、こう)
私がすべてに絶望して、彼だけを望む。
そんな廃退的なほどに盲目な、依存的な愛なんだろうなって思う。でもそれだと彼が望んだ私ではないからそれは諦める、といったところ?
ああ、本当に私が望んだとおりになかなか物事は進まない。
前世の記憶とやらで散らばった知識をもとにあれこれと考えて行動はしているけれど、結局のところは自分自身でどう動くかが問題であって……。
(今更ここで悩んでいてもしょうがなかったわ)
今しなければならないのは視察。
グロリアの言っていたことを考えれば、そう遅くならないうちにイーノと南方部隊の隊長が私の元にやってくるはずだから彼らとも話すことをかんがえておかなければ。
あちらが喧嘩を吹っかけてきたにしろ、ラニーが勝ってそれでよしとしては蟠りが残ってしまいそうだもの。きっと私が何もしなくてもフォローは入るのだろうけれど、……ラニーの主は私なのだから。
ゆっくりと、レイジェスの手に支えられるようにして立ち上がる。
私はきっと、なにもかもが規格外の王女に違いない。
ディアティナ姉様のように快活でもなければ、マルヴィナのように武勇に才があるわけでもない。お父様に似ていると言われてもそんな立派な人間ではないし、兄様のように上に立つ人間としての覚悟があるわけでもない。
魔力がないというだけで、軽んじられていた、王女という立場に生まれるべきではなかった女。
でもそれを覆していこうとしているし、覆せると信じている。
(だから、笑え)
笑って、幸せだと示せ。
笑って、騎士たちに寄り添って見せろ。
私は敵でもなければ、軽んじて良い存在ではない。
この国の王女なのだから。
ふと私を見上げる騎士の一人と目が合った。まだ年若く、騎士になりたてなんだろうか? レイジェスと並ぶ私を見ているのか、視線が合ったと気が付いてびっくりした顔がまだあどけなくて可愛らしい。
思わず意識していた笑みではなく、気持ちが和んで表情が緩んだのだろう。
さらにびっくりした顔をする彼に何か声をかけるべきかと悩んだところでレイジェスに手を引かれる。
「レイジェス?」
「……人たらしもいい加減にしておけ」
「人たらしって!」
小声だったから、騎士たちには聞こえないだろうけれど。
それを貴方が言うのと思ったけれど、口にしなかった私を誰か褒めてほしい。
だって絶対にそれを口にしたら、視察の後で延々と話し合いになることが目に見えているもの!
けれど不満だったから援護してもらおうとグロリアとラニーに視線を向けたけれど、彼女たちまで納得と言わんばかりにうんうん頷くものだから、それについては味方がいないんだと知った。
……人たらしってなによ。