75.
ラニーとイーノの対決と言っていいのかしら、それには周囲の騎士たちが一斉に沸いた。まるで小さなお祭りだと思った私が目を丸くすれば、お茶を用意しながらグロリアが「まったく子供だらけですこと」なんて呆れた様子だった。
「カディナ」
「なんでございましょう」
「……イーノを利用したわね」
「さて」
「確かに私の存在と立ち位置をはっきりさせる必要はあったでしょう。でもあのやり方は、私の望みではありません」
「承知いたしました」
私の言葉に笑うカディナは、満足そうだ。
そう、それも手のひらの上ってことなのかしら。お父様か、或いは兄様か……指示があったんだろうなって思う。
ゼロ姫として前を向いて立派な王女となろう、と決めたけれど……それを応援されているのか、それともレールに乗せられているのか。それによってだいぶ違ってくるんじゃないのかな。
(……それすら利用できる人間になれれば、一番いいのだろうけれど)
残念ながら、まだ私はそう割り切れそうになかった。
だからといってそれを問い詰めたり文句を言う気もないけれど。ただもやもやっとしたものが、私の胸の内に広がっただけだから。
視線を戻せば、イーノとラニーの剣がぶつかり合っていた。
私は剣術に詳しくないけれど、イーノはまるで跳ねまわるように力強く動き回るしラニーは鋭く最小限の動きで切り付けているように見える。
わかるのは、二人とも強いんだろう、というくらいだろうか?
「レイジェス」
「どうした」
「あの、よくわからなくて」
「……?」
私がなんと質問して良いものかもわからなくて、そんな曖昧な質問をしたものだから彼も少しだけ眉を顰めて、でもすぐにわかったらしい。
「イーノの方が優勢だな。やはり力業で押されれば、ラニーの方が弱い」
「えっ」
「だがラニーの奴は相手をぶちのめしたいらしい」
「えっ」
まったくもって話が見えない。
ラニーが劣勢だと聞いて心配になった私に、真逆のことを言うレイジェス。しかもその顔は呆れながらも楽しそうだ。
「なんなら俺が相手をしても良かったのだがな」
「……あなたが相手をしたらどこまで叩きのめすものかわかったものじゃないでしょう。平民出身の軍人たちから支持の多いあなたに喧嘩を売るやつもそういないでしょう?」
「クリスティナを雑に扱うならいくらでも相手をする」
「そんなセリフが言えるならなんでもう少し早く素直にならなかったのかしらねえ、このお馬鹿さんは……」
カディナがわざとらしいため息をつくけれど、私は顔が赤くなるばかりだ。
だってそれって、カディナがいた頃からレイジェスが私のことを大切に想っていたと知られていたということだもの。
私が気が付かなかっただけなのか、レイジェスが不器用だっただけなのか、お互い隠しごとが上手かっただけなのか……。
いいえ、多分カディナみたいにオトナから見たら当時子供だった私たちの拙さなんてきっと可愛らしいものだったんだわ。
「……流石に、今は反省している」
「してもらわねば困るわ」
カディナとレイジェスがぽんぽんとそう言い合う声が頭上を飛び交っていて、私はどんな顔をしていいのかわからない。
それほど大きな声ではないし、私たちは壇上にいるから観戦に夢中な騎士たちにはこの会話が聞こえていないとわかってはいるけれど、いたたまれないっていうか……。
わあっと歓声があがる。
ラニーが力で押されている様子で思わず私も立ち上がりそうになるのを、レイジェスが軽く肩を押さえてくれたから堪えることができた。
誰に見られているかわからないのに、冷静さを失った姿を見せてはさっきまでの余裕な表情が張りぼてだとバレてしまうところだった……!
(ラニーは大丈夫、大丈夫……!!)
私の騎士は強い。
その言葉は、本心。
だけど、競わせたかったわけじゃない。
ラニーは私の飾りじゃないの、私を守ってくれる大切な私の騎士なの。
そう叫びたいけれど、それを許されないのが私の身分で、その現実と私の中にある理想とがせめぎ合う。
ぎゅっと椅子のひじ掛け部分を握り締める。
私はただ、表面上涼やかな顔をしてラニーの勝利を信じているとでも言わんばかりの態度でいるべきなのだ。
(ゼロ姫として――ゼロ姫ってなんだろう)
私の、その見栄っ張りみたいな虚像のためにラニーは傷つくのだろうか。
今回だけでなく、これからもこんなことがあるんだろうか?
そんな風に考えてしまうと、決意が急激にぐらついた。
「クリスティナ」
はっとする。
レイジェスの声に、そちらを見上げればレイジェスは視線をラニーの方に向けていた。
「見ろ」
「……レイジェス」
「お前の騎士は、強い」
私が思う気持ちを、レイジェスが口にする。
その言葉に勇気づけられるように、私もラニーを見た。
「笑ってる」
「ああ」
「ラニーったら、笑っているわ」
それは先程も見た、私の知らないラニーの笑顔だった。
ぞっとするほど、きれいな笑顔。
そして次の瞬間、ラニーは剣を収めたかと思うとイーノを蹴り上げた。
そう、蹴り上げた。それはもう、人間って垂直に飛ぶのね、と思わず私も呟いてしまうほどに。
「……最低だなアイツ」
「そんな彼女をクリスティナ様の護衛に選んだのは貴方ですよ、ファール親衛隊長」
騎士としての誇りとかそういうものをすべて粉砕するラニーの蹴り技が炸裂した中で、レイジェスとグロリアがそんな会話をしたのを聞いて吹き出したのはカディナだけだったのが幸いじゃなかろうか。
「クリスティナ様ーぁ!」
そんな中、ラニーがいつもの笑顔で私に向かって大きな声を上げて、手をぶんぶんと振っている。
私は、それを見て思わず立ち上がった。今度は、レイジェスも止めなかった。
「クリスティナ様ぁー! 勝ちましたよー!!」
見てましたかと言わんばかりの笑顔に、私も安心から笑顔が出た。
良かった、と思うのと。
ラニーったら、と思うのが交じり合って。
「ええ、見ていたわラニー」
私の声は、距離があるから通らないだろう。
王女だもの、大声を張り上げるなんてできないものね。
騎士たちの大勢が、ラニーの声で私を見ていた。
私はそれでも、他の人なんて目に入らない。
壇上から、下へと降りる。
カディナが驚いたようだったけれど、私は歩みを止めなかった。
騎士たちが、驚いた顔で私を見ている。
でも私が歩みを止めなければ、彼らは左右に分かれて道を作るだけだ。誰も私を止めない。
「ラニー」
その割れた人垣の先から、同じように私の方へと歩んでくるラニーは私の前に来て膝をつき、そして笑った。
「勝ちましたよ、クリスティナ様」
「ええ、見ていたわ」
いつもの笑顔で笑うラニーに立つように手で促せば、彼女はゆっくりと立ち上がる。
私もしっかりとラニーを見て、笑った。
「流石は私の騎士です。お疲れ様でした、ラニー」
「ありがたきしあわせです、わたしの姫君」
「でもどうして剣をしまってしまったの?」
「だって、蹴り飛ばしでもしなきゃあ気が済まなかったもので」
「え?」
「クリスティナ様を軽んじたんですからね、クリスティナ様が許してもわたしは許しませんし――わたしがやらなかったら、最終的にグロリアさんとかファール親衛隊長とかが出てきちまうでしょ?」
声を潜めてラニーがおかしそうに言う。
その言葉に目を瞬かせた私に、彼女は続けた。
「流石に再起不能は可哀そうなんで、顎をかち割るだけにしときましたよ。あんちくしょう、クリスティナ様だけじゃなくてわたしにも馬鹿な口を叩いたんですから同情しなくていいですよ」
軍なら良い治療師もいますからご安心を!
そう快活に笑ったラニーに私はただ、呆れるしかなかったのだった。