72.
「……ということがあったの」
レイジェスと恒例になった昼食会。
そこで“嫉妬魔人”とラニーが評してグロリアが同意した部分は言わずにレイジェスに朝議に参加したこと、あまり歓迎されていないこと、終えた後少しだけ将軍と話をしたことを話題として口にした。
レイジェスは時々相槌を打ってくれて、遮ることもなくただ私の言葉に耳を傾けてくれているようで、それが少し嬉しい。
「……親衛隊と他の部隊がぶつかることもあるの?」
「そこは人間だからな。ターミナルを守る剣であり盾であるという自負はどの隊にもあるかと思うが、その分自分たちが一番だと思う部分や負けられないと思う矜持もある。一枚岩とは言い切れない」
「そうなのね……」
言われればまあ当然だとわかるのだけれど、私は今までそんなことは考えていなかった。というよりも、あまり軍部と関わりもなかったから知ろうともしていなかったというのが正しいのかもしれないんだけど……。
「将軍とレイジェスは、マールヴァールがいた頃一緒に訓練をしていたの?」
「ああ。……なんだかんだとあいつと俺は付き合いが長い。少しばかり馬鹿正直が過ぎて案じられる部分も多いが、あの男は悪いやつではない」
「え?」
「なんだ。……アルスと俺が不仲だと思ったか?」
「ち、違うの? あの、私たちの婚約パーティの時に声をかけてきた彼を見た貴方の表情とか、将軍が貴方について話す時の表情はあまり好意的には見えなくて……」
「まあ仲良しだ、などとは言えないな。お世辞にも」
クッと喉で笑ったレイジェスが言うには、良い喧嘩友達のようなものでそれはお互いに思っていることだし別に隠していることもないらしい。
ただ周囲が不仲だと思うのは彼らが互いに限定して口が悪すぎるというのが問題らしく、公式の場ではそれなりにお互い繕うようにはしているんだとか。
(意外だった……)
レイジェスがシグルド兄様と仲が良いのは知っていたけれど。将軍とも普通に友人関係だっただなんて。
「アルスは裏も表もない性格だ。その分わかりやすいから部下にも慕われる良い男だが、高位貴族であり現役の将軍職ともなれば良くない人間も近寄りやすい。それを目にしてフォローする身にもなれと言うんだ」
「れ、レイジェス?」
「気をつけろと何度注意したかわからん。そのたびに『助けてくれて感謝する! またよろしくな!』と言われれば多少言葉もきつくなるというものだ。……俺だっていつも手助けできるわけではない」
レイジェスの言葉に、思った以上に仲が良いんじゃないのかソレはと思うけれどそんな私には気づかないらしいレイジェスが言葉を続ける。
「大体今回あいつが不機嫌なのは、そもそもその婚約パーティに俺を呼び出した件が尾を引いているだけだ。クリスティナが気にするようなことは何もない」
「え?」
「……あの男の領地でちょうど今、大輪のピオニーが咲いているんだそうだ」
「まあ、それは綺麗、ね……?」
話が見えなくて小首を傾げる。
レイジェスはそんな私を見てそっと目を細めて、笑った。
「あの男、俺の婚約祝いにそれを目いっぱい送るつもりだったらしい。わかるか? 俺の、今いる独身寮の、宿舎に、部屋が埋まるほどの花を贈ろうと言ったんだ」
「え」
「好意であり善意だ。あの男に嫌がらせの意図はない。……馬鹿だが人を思いやる気持ちも真っ向勝負の男だからな。だが花束一つならともかく、そんな量を贈られて誰が喜ぶかという話だ」
「そ、そうね……?」
レイジェスみたいに地位ある人物だとそれに見合った部屋になるだろうから、個室でそれなりの広さに確か個人用の浴室と洗面所もついていたはず……そこが埋まるほどの大輪の生花となると、ああうん、ちょっと遠慮したいかもしれない。
特にレイジェスは嫌いではないけれど特別花を好んでいるわけでもないのだし、持て余す未来しか見えない。
「きちんと理由も添えて断ったが、それが不満だったようだ。高価な金品を贈られても困るし言葉だけで良いし、なんなら新しい文房具セットでも寄越せと言ったら怒り出してな、以来あのままだ」
「え。ええっと……?」
「まあ贈り物に困ったんだろう。受け取るのも大事だとはわかってはいるが、部屋いっぱいの花は無理だ」
きっぱりと繰り返したレイジェスが、私を見ておかしそうに笑った。
「思いのほか馬鹿らしい理由だっただろう」
「そ、そう、ね……と同意して良いのかしら。婚約を祝ってくれているのでしょう?」
「ああ、アイツ個人となると動かせるものも少ないからな。家の名を出して祝うとあれこれついて回ってしまうだろう? その結果が大量の花という結論なのもどうかと思うが」
「……そうね」
物事には限度ってものがあるのだけれど。
そんな無茶な人には見えなかっただけに、意外だった。
「あら? でもレイジェスと仲が良いのなら、将軍は兄様とも仲が良いのかしら……今までそんな風には見えなかったけれど」
どこかの家と懇意にすると厄介だからとか、そんな理由は特になさそうだけれど。
シグルド兄様が王太子として盤石な地位であるのは間違いないし、今貴族間で水面下の小さなトラブルはともかく大きな動きはないはず……先日大ごとがあったから余計に大人しくしているくらいだと思うし。
私の素朴な疑問に、レイジェスが首を小さく横に振った。
「アルスは、悪い男じゃない。だがあれは根っからの“ターミナル王家の臣下”なんだ」
「……?」
「俺はシグルド個人を友と思うし、王太子殿下として敬愛もする。だがそれはアルスにはできない」
「それは……どういうこと?」
「アルスは、ターミナル王家を神聖化してみるタイプの貴族ということだ。シグルドは王家の一員であり、王太子という地位にある尊い人間でありそれ以上でもそれ以下でもない」
友となど望まれても呼べるはずがない、と幼い頃……兄様を前に将軍は晴れやかに笑ったのだとレイジェスは言う。
それはきっと、兄様からすれば少なからず悲しかったのではないかなと……思ってしまった。マールヴァールがその場を宥めてくれた、と小さく付け加えられたその言葉に、私は胸がぎゅっと痛む。
(……王族だから)
王族だから。
その言葉で私たちは諦めることがたくさんある。
逆に普通の人々が望んでも手に入らないようなものが手に入る。
ただ、私たちには普通に望めるものが望めない。それだけの話だけれど。
分かち合う人がいてくれる、それがどれだけ大きな違いなのか理解してくれる人は少ないのかもしれない。
「すまない、その話はするべきじゃなかった」
「い、いいえ! いいの!!」
レイジェスの声に、はっとして顔を上げれば赤い目が私をまっすぐに見ている。
私のことを知っていてくれるのは、家族とマールヴァールだと思っていた。
でも、兄様にとっても、私にとってもレイジェスは……家族ではない、特別な人。
「……今日は、手袋をしていないのね」
「ああ。お前が、触れる時に手袋を残念そうにしていたからな」
「えっ」
「そうだろう?」
笑ったレイジェスが、手の甲で私の頬を撫でる。
手袋越しの温もりはどこか寂しいと思っていたことが筒抜けであったと知らされて、私の顔が熱くなっていく。
そんな私の顔を見て、レイジェスが満足そうに笑った。
「そうだ、お前は俺だけを見ていればいい。他のことで心を煩わせるな」
「……どく、せんよく?」
「悪いか?」
からかうように言ってもそれがどうしたといわんばかりの顔で返されれば、黙るしかできない自分が悔しい。
だけれど、そんな彼を見てラニーが言う“嫉妬魔人”というのもまあ理解できない話じゃないなと心の中で思うのだった。