7.
まず、侍女に対して特に変わった振る舞いはしない。
侍女だけじゃない。
ありとあらゆる、城内の人間に対してそうするのが一番なんだと思う。
そう、今までと変わらずに振る舞う。そしてその中で、自分の立ち位置を決めて少しずつ変化をさせて行こう。
変わったのは周囲。
変わったのは環境。
変わったのは、関係性。
それらを頭に入れて、私は私としての振る舞いを変える必要はない。というか、急に変わってはいけない。それでは不審がられるだけ。
侍女たちを遠ざけ……というか、今までは彼女たちの方が私からできるだけ遠ざかりたいって雰囲気を出していたからそうしていただけなんだけど、今まで通り自分のことはある程度自分でする。
食事も部屋でとるし、書庫への移動は……まぁ、そこは誰かについてきてもらわないといけないでしょうね、これからは。
今までは変わり者のただ飯ぐらいが勝手に行動しているくらいに見られていたんだろうけど、これからは『ゼロの姫君』という付加価値と、潜む謀反者……内通者とみるべきかしら? それの影に怯えなくちゃいけないんだから。
万が一内通者がまだ城内にいて、ほいほい一人で出歩いていた『ゼロの姫君』が誘拐もしくは暗殺なんてされちゃったりされかかったりなんかしたら今度こそ軍部のメンツは丸潰れになってしまう。
レイジェスは、ファール親衛隊隊長は何をしていたんだって彼が責任を問われちゃうしお父様たちだって心配しているだろうし……。
「失礼いたします、お茶をお持ちいたしました」
「ありがとう、そこに置いてくれる?」
「かしこまりました」
かちゃん、と置かれた白磁の茶器と、スコーン。
湯気を立てているその紅茶の良い香りが、私の鼻腔をくすぐった。
毒味は、ない。
普通の王族なら多分あるだろうし、信頼関係の強い主従ならばなくても良いのかもしれないけれど少なくとも私の下につけられた侍女たちとはそういう関係は一切ない。
私の毒味役は、机の上で飼われている金魚。
どれだけ扱いが軽いのか、お父様が知ったらきっと怒るのでしょうね。
それとも知っていて、報告をせずに自分で片付けている私に失望しているのかしら。
(……もう、どうでもいい、か)
皿の上のスコーンは二つ。
それぞれから欠片程度にフォークで削り、水槽の中へ。
ぽちゃん、なんて音ひとつせず、それはすぐに沈んで赤い金魚がぱくついた。
金魚がスコーンを食べ終えても普通に泳いでいるのを確認してから、今度はティーポットの中にあるお茶を少しだけ取って冷ましてから、水槽の中へ入れた。
勿論、後で水は換えてあげるけれど……金魚も慣れたものなのか、なんともない様子でひらりひらりと泳いでいる。
(……。……?)
その様子を可愛いとも何とも思えないくらいには感覚がマヒしているな、とぼんやり思っていたら違和感に気が付いた。
いつもなら置くだけ置いてさっさと退散している侍女が、まだそこに立っているからだ。
思わず「えっ」と声が漏れたのは、私がまだ未熟だからなのか。
「……どうか、したの……?」
「いえ。御用が、まだ、あるかと思いまして」
私よりかは幾分か年上のこの侍女は、確か数年前に配属になったその最初の日から私のことを笑っていた人の一人だ。隠すこともなく堂々とだったから随分と呆れたものだったけれど、逆にそこまではっきりされると清々しさすら覚えていた。
だから彼女に限らずだけど、特に彼女には用を申し付けた後は勝手に退出しようが何だろうが気にしたことはなかったし、今だって勝手に出て行ってくれていいのに。
なんで急にそんな態度を……って、あぁ。私が『ゼロの姫君』って呼ばれて周囲からの視線が一転したからか。
普通の王女に対する態度っていうのがこういうものなんだなぁなんてぼんやり思い出してから、私は瞬きを何度かして、言葉を選んだ。
「そうね、……今は思い当たらないから……。その時はまた呼ぶから、お願い」
「……かしこまりました」
なるべく、優しく。特に含みなんてない、そう感じてもらえるように。
実際何もないしね、用事。
侍女を呼んでお茶と食べ物を要求したっていう、『ゼロの姫君』はちゃんと生きているぞ、部屋にいたぞっていうのを示すためだけに頼んだだけだし……。
侍女が何か言いたげだったけれど、結局何も言わずにお辞儀して出て行った。
それを見送って、思わずため息が漏れる。
嗚呼どうしよう。
これからは、ああいう態度をとられるのか。そうか、頭ではわかってるつもりだったけど実際に目の当たりにするとちょっとパニックになる。
だとすると“王女らしく”……?
次はあれかな、外に出て散歩がしたい? ……そんなのしたことないから不自然よね。それも私自身がインドア派なんだからそこまでしたくないし。
本を取って来て欲しい? 今まで自分で取りに行ってたじゃない。これも変だ。図書館で背表紙をあれじゃないこれじゃないって見てから決めるから取って来てもらって違ったら困っちゃうし。
ああ、そうだ。
(お父様に面会を申し込んで、その先触れと案内をしてもらえばいいんだ)
今まではお父様や兄様の方から私に用事がある時は人を寄越してくれていたから。
引きこもりの娘に対する思いやりだったんだろうし、周囲の評判は誰もが知るところだったから私を蔑ろにしていないと大っぴらに人を使って呼んでいたっていうのもあるんだと思うけど……。
(でも、お父様や兄様に何しに会いに行けばいいのかな)
同じ城内にいるからって、家族仲が悪くないからって、ほいほい会いに行ったり遊んだりしているわけじゃない。お父様も兄様も、立派にお役目を果たすために日々忙しくしておられるのだし邪魔をしてしまうことになってしまうんじゃ。
だとしたらやっぱり、何か理由があって……よね。
うぅん、良い案だと思ったんだけど。
じゃあレイジェスに会いに?
……でもそれは正直私の方が嫌だな。会いたい、けど会いたくない。
あの眼差しで「なにをしに来たんだ」って冷たく見られるのはキツすぎる。
だけど会わないのも不自然か! 婚約者なんだし!!
あれこれ詰んでないかな……レイジェスと顔を合わさずに過ごすっていうのはかなり状況的には難易度が高い!
幸せにはなって欲しいけど、私は決して自ら傷つきに行きたいわけじゃないんだよ……。
「ねえ、どうしたらいいのかしら」
つんつん、と金魚鉢をつついてみる。
当然、金魚が返事をしてくれるわけもなく。ああ、なにしてるんだろう私……相談相手が誰もいないボッチっていうのはこういう時辛すぎる!
こういう時、ディアティナ姉様がいてくれたら……いや、こんなメンタル状態だって知られたらまた「レイジェスと婚約なんてするから! 私と一緒にカエルムに行こう!!」って話に戻っちゃうな。ダメだ。
そんなことになったらまた大問題になる……私のことを案じてくれてるからなんだけどさ……。
あああ、どうしたらいいのかな!
本当の知恵者だったらこんなこと悩まないだろうに……。
あんまりにも悩みすぎて、放置されていたお茶とスコーンはすっかり冷めてしまっていた。がっかり。
「……はぁ、本当に、ダメね私」
ぽつんと呟いた声は、思いのほか大きくて私はまたそれにがっくりと肩を落とした。
なんだかもう、なにをしてもダメな気がする!
元々ダメなんだけど。あ、またダメって言っちゃった……。
(お姫さまらしい、かぁ……。姉様はなにしてたっけ)
姉様は基本的に何でもこなす人だったからなあ。実践はともかくとして形だけなら騎士たちと肩を並べられるくらいレイピアの名手とも言われていたし、あまり参考にはならないか。姉妹なのにどうしてこうも差があるのかしら。
勉強、ダンス、社交?
まぁそれは基本的に家庭教師が来てたから同じ条件よね。
社交はちょっと……いや、うん、ボッチだからって思うとかなり虚しくなったけど、これからは挨拶程度はできるようにならないといけないのかな? 将来的にだけど。
ダンスは一応踊れる。とはいえ、踊るとしたら婚約者であるレイジェスと? あっ、無理! 無理無理!! でもこれは絶対今後の課題だわ……婚約者となってしまった以上、私たちが社交パーティに呼ばれることは立場から考えて当然だと思うし。
勉強は……うん、少なくとも知恵者と言われるなら、学び続けないと、だめよね……。
(はぁ……憂鬱……)