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閑話 見込まれた者

「アルガンシア、ほれ、そこの布をとっとくれ」


「は、はい!」


 自分はもう、憧れた職人にはなれない。

 そう思って悩んだ日々は一体何だったんだ? そう思うくらいに『日常』が大きく変化した。


 あの時、切り捨てられたと思った王女殿下の専属デザイナーへの話。

 その後の道は閉ざされて、自分と家族を守るためには己の命を絶って謝罪とするべきかもしれないとまで思い詰めていた。


 銀の髪に、柔らかな淡紫色の目をした王女殿下は自分を見て、優しく笑ってくれた。

 デスクイダー工房にいた時には、“出来損ないの王族”だなんて笑う声も少なくなかったからそうなのかと思ったが、実際に会ってみればただ穏やかで、物静かな女性だった。


(違う、あの人は)


 静かだった。

 まるで、風のない夜のようなそんな空気を持つ人だった。静かで、穏やかで一見埋もれてしまいそうなのに目の前にするとその存在感たるや圧倒的で、ああ、これが王族なのかと思ったものだ。


 奥に控える国王陛下の眼力は恐ろしかったが、王女殿下の眼差しは逸らせない力があった。


「アルガンシア、そっち持っててくれ」


「はい」


 デスクイダー工房から実家に届いた解雇通告。

 僅かな退職金と共に届けられたそれを、信じられない気持ちで見た。


 あの工房の作品であるケープコートを持っていき、王女殿下には扱えない……そう言外に告げてすべての罪が自分に押し付けられる。そうだと思っていたのに、何も言われなかったことに驚かされた。


 家族にはそれとなく解雇されたことは告げておいたが、最悪の事態を想定してもいたから詳しくは語れず。

 王女殿下の、なんとかできたらという言葉に期待を持ったのも事実だ。

 国王陛下がお言葉を添えてくれたのだから大丈夫だという安心感もあった。


(それでも不安だった)


 ヴィンス先生が、自分を弟子にしたいと言ってくれなければどうなっていたんだろうか。

 すべてはこの手からすり抜けて、抜け殻だけが残ったのかもしれない。


「……先生、出すぎたことを言うようですが」


「うん?」


 殿づけだった先生も、正式に弟子となった自分に遠慮なくあれこれ言うようになった。

 それが、すごく嬉しかった。


 あれやこれやと忙しくはあるが、先生は惜しまず技術を近くで見せ、手伝わせ、時には直接やらせてくれる。こんな充実した日々は、かつての工房では感じたことがない。


「……年若い女性用のデザインとしては些か布が多いのでは?」


「ああ、そりゃもう親衛隊長殿がわざわざ言いに来たからだ」


「……?」


「クリスティナ様のご婚約者さ。覚えておくといい」


「そうなんですか……世情に、疎くて」


 疎いというか、自分のことで手一杯だっただけだけれども。

 王城に与えられた部屋に住まうのだから、これからはそういうことも知っていく必要があるんだろうなと思ったところで先生が、こちらを見て笑った。


「お前さんは、ちと生真面目すぎるなあ。そこが良いところであるんだし、クリスティナ様もそこを見抜かれてお前さんがわしの弟子になることをお許しくださったのだろう」


 ドレスの布地を美しいドレープの形にしながら、先生が言葉を続ける。

 その手は動き続けていて、あっという間に優美に仕上がっていくことについため息が零れた。


「アルガンシア。お前さんは、見込まれたんだ」


「……見込まれた?」


「そうさ、わしは勿論、クリスティナ様にな」


「……」


 息を呑む。

 まだ針を持って、布に触れて、ようやく本当の意味で師を得たばかりの自分が良いのだろうか。こんなに厚遇を受けて、良いのだろうか。

 その価値があると見込まれて、それを達成できなかったらと思うと体が勝手に震えた。


 王女殿下は自分のことを名前で呼んでいいと許してくださった。

 だけれど、自分はまだそれに叶うほど何かができる人間ではないと口にできずにいる。


 先生は、気さくな王女様だと笑っただけだったけれど。


「ここで何を学んで、お前さんがどんなドレスを生み出していくのか楽しみだなあ」


 ヴィンス先生の工房には、当然だけれど幾人かの兄弟子たちがいた。

 彼らは突然連れてこられた自分をすぐに受け入れてくれて、先生に連れられて王城で住み込みで学ぶのだと耳にしてもなにも言わなかった。

 デスクイダー工房にいた頃には考えられないほど、彼らはただただ己の技術を研鑽し合っていた。


 時々、町の工房から布地や糸を届けに来て、先生の手伝いをして去っていく兄弟子たちの足元にも及ばない自分は、本当にここにいていいんだろうか?


(いや、いなくてはならない)


 王女殿下が、自分に期待をしてくれたというならば。

 それこそが、兄弟子ではなく自分がここにいる理由なのだ。


(……理由がないと、怖いだなんて子供みたいだ)


 憧れが、目の前に今あるのに。

 それがいざ自分のものにできる機会があるとなれば急に震えが起きるのは自分がどこまでも未熟だからなのだろうか。


 そんな風に思うことが生真面目だと先生が笑う理由なんだろうなと思った。


「クリスティナ様のご希望は、近日中に軍部棟への視察に行くドレス、それから今後議会に顔を出すようになったからそれ向けと街を視察するためのドレス。これらをなるたけ急ぎでという話だから、ちっとばかり忙しいぞ」


「はい」


「メシはちゃんと食うんだよ?」


「はい」


「キツい時もちゃんと言っていい。お前さんは、これから学んでいくんだ」


「……はい」


 目を細めて笑う先生のそのまなざしが、とても優しくて鼻の奥がツンとする。

 ああ、自分は学ぶことの意味を今まできちんと知ることができなくて迷子だったに違いない。


 あの人の前に出るまでは、自分の不遇を嘆くばかりだった。それが今になって愚かしいと知った。


 月のように静かに、闇夜を照らして自分に道を示してくれたあの人に、いつか最高のドレスを贈りたい。


(婚約者がいらっしゃるならば、いずれ婚儀を挙げられる)


 それまでに、どのくらいの時間が許されるのだろうか?

 きっと猶予はそれほどないだろう。


 ウェディングドレスを作る栄誉なんて流石に高望みはしない。

 だけれど、許されるなら。

 そう、許されるなら……幸せを願って、ベールだけでも手掛けさせてはもらえないだろうか。


(まだ、自分のことを許せない未熟者が大それた願いを持つなんて、分不相応だけれど)


 それでも、御名を呼ぶことを許してくれた、寛大なる王女に。

 誓える忠誠を、形にできるような大層な人間じゃない自分ができることは、少ないから。


「先生、精いっぱいやりたいんです。ちゃんと休むべき時や、それ以外で無茶をしている時は叱責してください。自分は、学び取っていつか」


「……うん」


「いつか……」


 その先の声は、言葉にならなかった。

 それでも、先生は笑って頷いて、まるで幼子を相手取るかのように自分の頭を撫でてくれたのだった。

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