69.
「……という風にまとまったのよ」
「そうか」
レイジェスが、薄く笑う。
そうしてお茶を飲む姿は、私よりもずっと様になっていて少しだけ悔しく思った。
レイジェスと私の時間は、大体昼餉を共にするこの時間だけになりつつある。
まあ、私は私で学ぶ事や他にも色々出てきたし、レイジェスは当然親衛隊の仕事があるのだからむしろ共にいる時間を彼が捻出してくれているのだという事実が、そのまま愛されているのだなあと実感するのだけれど。
(まあそれもようやく、なんとなくわかったっていうか……)
私の不安を受け止めて、抱きしめてくれたあの手がなかったらまだ信じられなかったかもしれない。
片思いが実は両想いだったなんて、それも熱烈に愛されているだなんて。
嫌われてはいないけれどそこまで? というのが今もあるのだけれど、それを口にしたらグロリアにはとても大きなため息を返されたのはつい最近だ。
「では、今度軍部棟への視察には新しいドレスで来れそうか」
「え? ……それはヴィンス次第かしら……あの、新しいドレスの方が良いの?」
「そういうわけじゃない。ただ新しいドレスとやらがお前をどう引き立てるのか、楽しみだと思っただけだ」
「……それは、姉様みたいに綺麗にはならないかもしれないけれど」
「そうじゃない」
新しいドレスは、貴婦人にとっての戦闘服のようなもの。
だから自身を飾り立て、美しさを最大限に引き出すドレスは誰もがお金を惜しまない……と前に言われた事がある。
だけど、私にとってドレスはきらきらしすぎていて眩しくて、地味で目立たない王女がいくら着飾っても無駄だろうにと笑われた記憶がどうしても拭えない。
(……でも)
いつまでもそうしていてはいけないし、専属デザイナーとなってくれたヴィンスの腕を疑うわけでもない。むしろ信じているなら堂々とそれを身に纏った私は、王女として遜色ない存在だと胸を張れるはずなんだけれど。
「もし、……もし新しいドレスが似合っていたら、レイジェスも、あの、褒めてくれるのかしら……?」
「何を言っているんだ」
私の僅かな期待が思わず言葉になって飛び出てしまったら、彼の眉間に皺が寄る。
ああ、失敗したと思って慌てて否定しようと口を開こうとして、それは失敗に終わった。
「いつだって褒めているだろう」
「え、ええ!?」
いつ?
どこで。
記憶にない。
そんな私の考えは表情に出ていたのだろう、レイジェスがさらに眉間の皺を深めた。
「そんなに俺の言葉が信じられないのか」
「い、いえ違うわ! そうじゃなくて……」
俺、と自分の事を呼ぶレイジェスの苛立ったその声に、本気で彼が言っているのだとしって困惑が隠せない。
褒められた事……婚約発表の場で確かにドレスが似合っていると言われた気はするけれど。
それ以外にあっただろうかと記憶を辿っても、レイジェスの言葉でそんなものは出てこない。
思い出せたのは『そんな服を着てトロいお前がどこかで転ぶのが目に見えるようだ』とか『露出の高い服で、日焼け後の妙な模様を作りたいのか』とか……そういえば色で目が痛いとかもっと選びようがないのかとか言われたような気もする。
ディアティナ姉様とお揃いのドレスがいいと言った私に、お前には似合わないのに何を言っているんだという辛辣な言葉もあったっけ。
(……うん? いつ褒められたんだろう……?)
いえ、今ならあの言葉は私を罵倒するものではなく、意味があっての事なんだろうとわかってはいるんだけども。
多分だけれどどこかで転ぶのが心配だから裾の長いドレスは止めておけって事だったんだろうし、露出の高い服は単純に気に入らなかったのだろうし、色で文句をつけたのはただ単にレイジェス好みじゃなかったんだろう。
姉様とお揃いが似合わないのは今ならよくわかる。私たちはあまりにも対照的だから、太陽のような姉様に似合う明るいドレスは私にはちょっと無理だ。子供だったからわからなかっただけで……。
「……軍部棟に行く時には、レイジェスが迎えに来てくれるの?」
「そのつもりだが、どうしてだ」
「できたら、一番に見てもらいたいと、……思って」
こんな風に、まるで恋人の……いいえ、恋人なんだけれど。
そんなやり取りをする日が来るなんて今でもまだ信じられなくてドキドキする。
「顔が赤い」
「だ、だって!」
「そうだな。……だが我慢を強いられるのは好きじゃない」
「がまん?」
一体何をと問おうとしたところで、レイジェスが革手袋を外した指先で私の唇をなぞる。
それがぞっとするほど色っぽくて、私は息を止めた。
「早く婚礼まで持ち込みたいところだが」
「……」
「なかなかそう、上手くは進まない。例の他国の王族どももそうだが、シグルドがお前を嫁にやる事を渋って時期を定めないように画策しているからな」
「にい、さま?」
「お前を『立派な王女』とやらにして国民の前にお披露目したいんだそうだ。それで俺の元への輿入れが遅れれば万々歳だと直に言われた」
「まあ!」
「いつまでも未練がましい男だ」
フンと鼻で笑うレイジェスのその顔は優越感に満ちていて、私としては答えづらい。
相変わらず私に対しては一定の距離を保ちつつ、だけれど以前よりは格段に感情を伝えてくれて、愛情を隠さないレイジェスにむしろ私の方が困惑するばかり。
だけれど、それもこれも彼が自分を偽らなくて良いようになったからなのだと思えば、まあ……彼を幸せにするという私の目標そのものは達成できているのでこれを維持したい。
だから第二の目標である『立派な王女』として彼の横に立つ女性になるべく私は努力をしているのだけれど、恋愛に関してはまだまだ子供だなあと自分でも思うわけで……。
「に、兄様も私を案じてくださっているのよ」
「それは理解している。だが俺が諦めずにお前の側にいたことも、機会があったからこそ手を伸ばした以上もう手放せない事も理解している男がいつまでも妹可愛さで手元に置きたがる事が未練がましいと言うんだ」
「そ、それは……でも家族なのだから、離れるのを案じるのは当然ではないかしら。私が貴方に嫁いだら、王族ではなくなる以上そう簡単に会えなくなってしまうし」
「むしろ誰にも会わなくていい」
「それはちょっと」
軟禁宣言は止めてもらたいなあと思う。
私の否定の言葉があるから良いものの、サーラとキャーラがレイジェスに対して威嚇するそぶりを見せるしラニーは苦笑するだけで止めようとしないし。
グロリアは私たちを見て微笑ましそうにしているだけだし……。
(うん、でもまあ……だいぶ前とは、違う私になっているんだと思える)
レイジェスの幸せを願って、退場する未来ばかりを見ていた私だけれど。
そればかりが、掴み取れる未来じゃないとわかっていても……絶対に手に入らない未来だと、思っていたそれが今手の内にあるのはなんて暖かくって幸せな事だろう。
ちょっとばかり、レイジェスの愛情が重たいのかもしれないなんて思い始めてもいるけれどそれを嫌だと思えないのだからやっぱり私は彼に甘いのだと思う。彼が甘いからそうなるのか、どっちなのかまではわからないけれど。
「ねえレイジェス。前にも聞いたかもしれないけれど」
「なんだ」
「……私は立派な王女になれているのかしら」
「十分すぎる程に、人が思い描く『王女』の道をお前は歩んでいる」
きっぱりと。
そう、レイジェスが肯定してくれたことに私の心が満たされていく。
「だからこそ何かあった時は、言え。必ずだ」
だけれど、レイジェスは違うらしい。
私を見る目は、静かでだけれどどこか昏い。赤い瞳に映るのは、懸念だった。
喜びに満ちていた私の心に、不安が揺れた。