67.
「ヴィンス、貴方にもしも私の専属デザイナーになってほしいと願い出たら、貴方は頷いてくれますか?」
気難しい顔をした男が、私をじっと見る。
それこそじっとだ。ただただ無言でじっと見つめてくるものだから、なんだかどうして良いのかわからなかったけれどとりあえず私も目をそらさず彼をじっと見る。
するとしばらくして、ヴィンスが口を開いた。
「わしは、貴女様がどのような王女か観察するような無礼者でしたぞ」
「それはおかしい事かしら?」
「そこな若者と同じくして、魔力無き王女がどのような対応を我々に見せるのか、見物のつもりでおりましたぞ?」
「けれど貴方は、私に仕えても良いかという問いに対し今もそこにいる」
「……そうですな」
痩せこけた頬に、ぎょろりとした目が私を見る。ちょっとだけ、鳥みたいだなあなんて思ったけれど私はすまし顔で彼をただ見た。
「アルマトーレ・ヴィンス。クリスティナ王女殿下にお仕えしたく存じます」
「そう、ありがとうヴィンス」
「つきましては専属となるにあたり、わしの希望を聞いてはくださいませんか」
「私に用意できるものならば、用意しましょう。貴方のためのアトリエとしての部屋ですか?」
「勿論それも欲しくありますが」
ヴィンスは顎髭を引っ張るようにして撫でる。
ぎょろぎょろと動く目玉がまだ俯いたままのアルガンシアを捉えた。
「アルガンシア殿をわしの弟子にほしいですな」
「まあ」
「えっ!?」
急に名前が挙がった事に驚いたアルガンシアが、顔を上げた。
私だって勿論驚いたしヴィンスの言葉に上手い返しは思いつかなかった。
そもそもアルガンシアはデスクイダー工房の弟子なのだから、よそに移るとなると色々トラブルがあるんじゃないのかしら。本人が望むなら、色々と手を尽くしてはみたいと思うけれど……。
「アルガンシア、ヴィンスはこう言っていますけれど貴方がどうしたいのかを聞いても良いかしら」
「じ、自分は……」
驚いた顔のまま、ヴィンスを見て私を見て、彼はどうして良いのかわからないらしく忙しなく視線を彷徨わせてから、彼はまた俯いてしまった。
「……無理、です。自分は、デスクイダー工房の、人間で……破門になるとわかっていますが、でも……無理なんです、お判りでしょう。ヴィンスさんが素晴らしい才をお持ちの方で、そこで学びたいと自分が思ったとしてもそれを世間が許すわけじゃ……」
「世間がどう思うかではなく、私は貴方がどうしたいかを聞いています。貴方がいやだと思うなら、私は貴方の尊厳を優先します。ヴィンスが私の専属デザイナーになるからと言って無理強いをしたいわけではありません」
「……」
「重ねて問います。貴方はどうしたいですか、アルガンシア」
私は彼が怯えているようにも見えたので、できる限り穏やかな声で尋ねる。何ができるのかは難しいけれど、それでもまずはきちんとその声を聴きたい。彼が何を思い、望むのか。
しばらくの沈黙、彼はポケットに手を突っ込んだかと思うとためらいがちにそれを私たちに見せた。
「……布のコサージュ……?」
「これが、自分の、実力です」
自嘲するように見せられたそれは、確かに小さくて拙いものだと思う。
だけれど、私は先程の見事なケープコートよりも興味が沸いた。
立ち上がり、近寄ればアルガンシアが驚いたように一歩下がった。でも私が歩み寄るのを、止める声もなかった。
「可愛いわ」
小さな、赤いバラの花を模したそれは小さな花束のようだった。
帽子に着けたら素敵だろうなあ、それともスカーフ留めになるだろうか?
アルガンシアの手のひらにあったそれをつまみ上げて眺めて、私は思わず笑みを浮かべた。
「……自分は、教えを受けていないです。けれど、ヴィンスさんのところに移りたいなんて声に出せば、デスクイダーを裏切るのか……技術を盗みに入ったのかと、迷惑が」
躊躇いがちに、アルガンシアが言う。
恐る恐る顔を上げて。私を見て、ヴィンスを見て。
彼の言いたい事は私もわかるし当然ヴィンスも気づいている。それでもヴィンスがリスクを冒してまで弟子にしたいといった理由はまだわからないけれど、アルガンシアは私と同じように不器用な人間なのだろうなと思って、勝手に親近感がわいた。
「……そうね、デスクイダー工房の技術を貴方が学んでいないという証明は私にはできないし、ヴィンスも同様よね」
「さようですな」
「それでも、なんとかできたらアルガンシアは、どうしたいの?」
「……」
くっと唇を噛んだアルガンシアはまた俯いてしまった。それでも小さく、学びたい、と声にしてくれた。
私には、それで十分だった。
「お父様」
「なんだ?」
「こういう場合はどうしたら良いのかご教授願えませんか」
そうだ、躊躇うな。私も学べ。人を使うのは、ただ真っ向からじゃない。
それを知る人に、教えを乞うことは恥ずべき事ではない。知っていて使わないのならば、私が出し惜しみしたといえるけれど私には術がない。
でも、お父様は違う。術を持ち、私に学ぶ機会を与えている。
躊躇ってはいけない。
お父様は、私が欲しいものを掴み取るかどうかを見ている。私が弱虫のままならば、そのまま守ってくれるだろうけれど……私が歩み始めたのなら、それを支えてくださるに違いない。
「そうだな」
私の視線を受けて、お父様が笑った。
(……どうやら正解だったようね)
試されたのは、私の覚悟。
そして同様に試されたのは、デスクイダーだったに違いない。
少しばかり傲慢だというかの工房の話題は、ちらりとだけ耳にした事がある。そういった話題に興味を持っていない私の耳にまで届くのだもの、相当だったんだろう。どんな被害が出ているのかまでは知らないけれど……王族である私を前に、魔力がないと知られている姫にあのケープコートを出してデスクイダーは不釣り合いであると嗤った事も。
すべての責任を、雑用に押し付けるところも。
(この後、お父様が教えてくれる事をどう使うかでまた私は試されていくんだろうなあ)
終わりがないんだろうと思う。
王女としての振る舞いも、強くなるっていう事も随分と大変だと挫けそうだ。
「デスクイダーには書状を出しておこう」
「……え?」
「なに、やり方は教える。お前の名前を使うが、今回はすべてこちらでやってやろう。次からの参考にすれば良い」
覚悟を決めてお父様を頼ったというのにあっさりとそう答えられて、拍子抜けだ。
けれどお父様はそんな私に歩み寄ると、頭を撫でた。まるで小さな子ども扱いだと不満を覚えたけれど、文句は口から出なかった。
「お前は着実に前を歩んでいるな。慌てる事はない、焦りは最も忌避すべきものだ。お前の中に王族の誇りはある。忘れるな」
「……はい、お父様」
「ヴィンス、アルガンシアを連れてお前の工房へと行け。彼の身柄に関してはこちらで手を回しておく。居は移すか?」
「はあ、その方がよろしいでしょうな。アルガンシア殿も住み込みでよろしいか」
「えっ」
私とアルガンシアの声が見事にはもったけれどそれで笑う人間はここには誰一人としていなかった。
どうやらもう彼込みで私に仕える事は決定事項らしい。彼の意思を尊重する、と王女が宣言したものの国王の一声があればそれは上回る指示なのだから、断る事はできないわけで……私は少しだけ心配になって、ちらりとアルガンシアを見た。
彼は茫然とお父様の方に視線を向けて何回か瞬きをした。そして、視線がヴィンスに向けられたかと思うとアルガンシアは勢い良く頭を下げた。
「今日からよろしくお願いします、先生!」
「うん。気負いすぎないようにとりあえず行こうか。お前さんのご家族にも挨拶しとかんとなあ。それじゃあ国王陛下、これで失礼いたします。王女殿下、また後日お会いできる日を楽しみにしております」
「え、ええ」
ヴィンスという人物は、よくわからないけれど……きょとんとしている間に出て行った二人と、しまった扉に私はただ立ち尽くした。
お父様は、そんな私を見て笑ったのだった。




