閑話 夢は未だに卵の中で
今回はアルガンシアくん視点です°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
それは、自分にとっては、きっと分かれ道だった。
幼い頃に見た、美しい服飾。それを自分の手が生み出せたなら、どれだけ素晴らしいのだろう。そう、夢見た。
子供心に芽生えたその夢は、ひどく遠いものだった。
城下に暮らせているとはいえ小さな商店の、それも下請けの下請けみたいな吹けば消し飛んでしまいそうな小さな店の子供だったから、学ぶよりも店の手伝いに駆り出されるような暮らしだった。
不満があったわけじゃない。
父も母も優しくて、兄は頼りになったし、弟は生意気だけど可愛かった。
家族で支え合って笑い合って、お金はなくても幸せだった。
それでも、一度芽生えた夢は消えない。
家族はそれを後押ししてくれた。友人知人と伝手を使い、とうとう弟子入りを許された先はデスクイダー工房だった。
王侯貴族からも注文が来るという一流のそこに弟子入りできたことに感動したのも束の間、自分に待っていたのはいつまで経っても雑用と掃除の日々。
自分以外にも大勢いる弟子たちは、才能があって学もある連中ばかり。
劣るのだと見せつけられる。商人たちの頼みが断れなかっただけだと嘲笑われる。
取柄など何もない、布を縫う基本すらろくにできない夢見がちなコドモ。
ああ、現実はこんなにも無情なのかと何度ほぞを噛んだだろう。
それでも真面目にやっていれば、ちゃんと評価をしてくれる人はしてくれるはずだ。
先生も、見てくれているはずだ。
荷物持ちや掃除や、雑用ばかりじゃなくて……デスクイダーの一員として技術を学ばせてくれる日が来るはずだと信じていた。
「アルガンシア、よく来たね。まあそこに掛けるといい」
「は、はい。先生がお呼びと聞きましたが」
「ああそうだよ、わたしは君に頼みがあってね」
「た、頼み……ですか?」
弟子入りしたというのに言葉を直に掛けられる事なんてほとんどないこの生活で、それはとてつもない幸運のように感じた。
だって、先生がわざわざ指名して呼びつけて、頼みがあると言ったのだ。
これに期待するなという方が無理だった。
「先程触れがあってね、王女殿下の専属デザイナーを選ぶ話があるのだそうだよ。当然、このデスクイダー工房も人を出さねばなるまいと思うんだ。そうだろう? 服飾で第一人者と呼ばれるわたしの工房から誰も出さないのでは外聞が悪い」
「は、はあ」
「それでだ、わたしは君を推薦しようと思うんだ。受けてくれるね?」
「じ、自分をですか!」
思わず立ち上がってしまった自分に、先生はにっこりと笑った。
ああ、基礎をずっと積み重ねていた自分に先生も期待してくれている。そう思った。
「そうだよ。王女殿下といえば例の『残念姫君』だ。わたしの作る美しい魔力糸を映えさせる事ができない女性に、わざわざ技術者を送り出すつもりはない」
「……え」
「その点君はちょうどいい。ああ、見本品はこちらで用意するから君はそれを持って面接に行けばいいだけだよ。選ばれても良いし、選ばれなくても良い。要はデスクイダー工房から人が参加したという事実が必要だからね」
「せ、んせ、い?」
それは、どういう意味だろう。
王族の、残念姫君の噂は自分も知っている。その姿はちらりとだけ見た事があるけれど、大人しそうな女性だった印象しかない。
魔力がなければ、確かにデスクイダー工房自慢の、魔力によって彩られる服飾は意味を成さないだろう。だけれど、美しく装う、それは魔力がなくても良いのではないのか?
それは、自分の勘違いなのか。
魔力の装い、それはあくまで服に付随したものであってそれがメインではないんじゃないのか。
「君も良い機会だ。もうそろそろ、気づいているんだろう? このわたしの工房に入れて、王女殿下の専属デザイナーになるための面接に行けた。それだけの経歴があれば満足だろう?」
「……」
ああ、この人は、自分に何も教える価値はないと。
そうはっきりと、告げている。
せめてもの餞だとでもいうように、面接の場に自分が作ったものでない作品を持って、王女殿下を悲しませるような作品を持って、そこに行けというのだ。なんて残酷な事だろう。
自分にも、王女殿下にも。
この人は、服を着せるのではなく、自分に陶酔しているのだ。
どうしてこの人を自分は先生と呼んで、憧れてしまったのだろう。
(きっと、王女殿下は自分を許さないだろう)
魔力で彩る白いケープなんて持たされて、それを自分の作品だと見せたなら。なんて嫌味な奴だろうと、激高するかもしれない。追い出されるだけで済めば良いが身内にまで迷惑がかかったらどうしよう。
いっそ逃げられれば良いのに、それはそれでデスクイダー工房の顔に泥を塗ったと紹介してくれた人たちにも家族にも迷惑がかかるんだ。
この業界で見知った人々に向けて、王女が柔らかな声で言う。
去って良いのだと、咎めないのだと。
それに従って去っていく面々を羨ましく思いながら、自分の名を告げて作品を見せる。
王女は、怒る事もなくただ静かに微笑みを浮かべていた。
慈愛に満ちたその笑みに滲む悲しさを垣間見て、良心が咎めた。
ポケットに、自分の唯一の作品である布のコサージュがある。それを出す事が許されたなら、どれだけ幸せだろう。
未熟だ。ここにいる誰よりも未熟だ。
けれど、自分の作品はここにある。それを外に出せない事が、こんなにも悔しい。
「アルガンシア、私はあなたの作品を目にすることができずに、判断を下さねばなりませんか」
王女の言葉に、体が震えた。
ああ、この人は自分のように弱い者をこそ知っている。
見せても、良いのだろうか。許されるだろうか。
答えは、迷いの中で上手く見つけられない。俯いてしまって、顔が上げられない。
(どうせ、戻る場所もない癖に)
家族の元に戻れば、もうこの夢は閉ざされる。
だけれど、もう閉ざされたも同然じゃないのか。
残ったデザイナーは、自分とベテランのヴィンスだけ。
王女が誰を選ぶのか、明白だった。
ぎゅっとポケットの中のコサージュを握る。潰れてしまったかもしれない。それでも、それが掌の中で主張する。
自分の前に座り、優しい笑みを浮かべて待ってくれている人に。
届かなくても良いから、精いっぱいの『デザイナーの卵』からの贈り物として差し出したい。
差し出すのは、拙い作品ではない。育つ事のできなかった、自分の心、自分の夢。
それを、この場で唯一理解してくれそうなこの人ならばと思うと、鼻の奥がつんと痛んでじわりと涙が浮かんでくる。
(服を、作りたかったな)
でも、もうわかってる。
自分が選んだ道が、間違いだったんだ。もうそこで、未来は決まっていた。
これは最後の分かれ道。選ぶ事が許されない、そんな道だったんだ。