62.
案の定、私が戻ってヴァッカスに魔石市場の話をすると彼は飛び上がって喜んで私に抱き着こうとしてサーラに正座させられてしまった。
喜んでもらえるとこちらも嬉しいけれど、これはあれだなあ……お目付け役にサーラに付いて行ってもらうのが一番良いのかもしれない。
人見知りなのに暴走がちなヴァッカスをサーラならきっと注意してくれるだろうから。
「今はまだ手続き申請中だからもう少し待ってね。グロリアが戻ってきたら詳しい事もわかると思うけれど」
「はい! いくらでも待ちます!!」
ヴァッカスの晴れやかな笑顔が今まで見た事がないくらい輝いていたものだから、私が思わず吹き出してしまったのだけれど彼はただ不思議そうにするだけ。
まだ短い付き合いの中で、彼がここまで輝いた表情を見せるのは興味を持つものを前にしたからなのだとよくわかった。
「そ、そういえば、ゆ、夕刻より、国王陛下の元へ行かれるのですよね」
「ええ」
兄様の訪問は急だったからとても驚かされたけれど、この分では父様もなにか『姫』としての私に新たな試練を与えてくるのかもしれない。
いえ、ただ労ってくれたり心配してくれるだけかもしれないけれど……このところ急激に自分の立場が変わって、人の目が変わった事から環境が大きく違ってきた。
それはまあ覚悟の上だったし、だからこそ『立派な王女』にならなければと改めて思ったのだから仕方のない話。
「それで、ヴァッカスは何か進捗があったかしら」
「はい! こちらの資料をご覧いただけますか、古文書の一部を解析してそれを元に書かれた論文の一つなのですが……」
嬉々として持ち出されたものを軽々解説していくヴァッカスに、私はわからないところを聞く。
初めのうちは面倒だと思われないか内心びくびくしたものだけれど、ヴァッカスは決してそんな事はしなかった。
わかるまで根気よく、それどころか解説する事が楽しくてたまらないと言わんばかりに身振り手振りを加えて話してくれた。
おかげで私は得意ではない古文書もなるほどこう読み解くものなのだなとしみじみ納得した。やはり独学では苦手分野は上手くいかないもので、手ほどきがあるだけでこうも違うだなんて!
そして結論から言えば、魔力を媒介に竜は他種族ともコミュニケーションをとっていた事例があり、人間とは魔力の波長が合わないが魔石を通してならば可能性があるのでは、という内容だった。
試してみたけれど親和性は高まった気がするが、それ以上の事はできなかった、という結びになっておりその後その学者の名前がないところからつま弾きにされた可能性も否めない、とヴァッカスは苦い顔をした。
(……この学者はターミナルの人間だわ)
学者年鑑も引っ張り出しての事だから間違いない。
ただ確かにこの論文を提出した後、年鑑から名前は消えている。
流石に活動していた時期と年齢を考えると、現在ではかなりな高齢かあるいは……と言ったところなので直接本人から話を聞くのは難しいかもしれない。
だけれど、縁者か弟子がいてくれたなら話はまた別だ。
その後も研究を続けていたならば、何か残っているかもしれない。それがヴァッカスが見つけた手掛かりだった。
「そうね、私もそう思うわ!」
「でしょう!」
「……キャーラ、ちょっとこの学者についてその後どうしたのか調べてもらえるかしら。この年鑑を発行した学芸院に問い合わせて渋るようであれば、改めて私が行くから」
「か、かか、かしこまりました。お、お手を煩わせるような事は、い、い致しません!!」
「ありがとうキャーラ、頼りにしているわ」
学ぶという事は私にとって今まで、孤独で、だれにも頼れなくて、辛い作業だった。
兄様も姉様も、望めば私がわからない事を懇切丁寧に教えてくれたけれど根本的にとてもデキる人たちにとって、なぜわからないかがわからない……という頭の良い人間とそうでない人間の差がはっきり出てしまいがちだったのよね。
そしてそんな状況にまた私の理解力がないからだと自己嫌悪が起こって、頼みづらくなって……という負のスパイラル。
(誰が悪いわけでもないのだけれど)
今にして思えば、兄様も姉様も教えるのが上手な人の元で学んだから理解できているのであって、ただそれをまた違う人間に教えられるかというとそうではないんだなあというだけの事なのだと思う。
だけど当時はそれに気づけなかった。
(ヴァッカスの、……みんなのおかげね)
やっぱり、私が一人でいようと決めた事がきっと良くなかったんだろう。
あの時は子供の短慮とはいえ、最善の道を選んだつもりだったし後悔そのものはしていないけれど。
「それじゃあ今日はこの辺りで解散しましょう。私も陛下にお会いする前に支度をしたいし……ヴァッカスはまた魔石市場について後日話をします。もし行けるようになれば、その時はサーラ、貴女が彼と同行してちょうだいね」
「かしこまりました」
サーラがぺこり、と頭を下げる。
それにつられるようにヴァッカスも。
「キャーラは先程の件を調べておいてくれる? 時間はかかってもかまわないから」
「は、はは、はい!」
「ラニーは陛下との面会の時について来てほしいの」
「ええ、あたしがですか?」
面食らった顔をするラニーが困ったという表情を見せたけれど、私は「お願い」と重ねて頼む。ただの親子の会話で済むならば良いのだけれど、そうでないのなら心を守るためにも誰かに側にいて欲しい。
これは、私のわがままだから本当に申し訳もうしわけないのだけれど……。
「ああ、もう! クリスティナ様にそんな顔されたら断れないじゃないですか。いや断りませんけどね! あたしは貴女の護衛騎士なんですし……でもあれですよ、黙ってお傍についているくらいしかできやしませんからね」
「ありがとうラニー!!」
書庫を後にして、自室に戻ればグロリアがいた。
「許可証は恙なく発行されました。これよりお支度なさいますか」
「ええ。……お父様の目的は何かしら」
「わたくしにはわかりかねますが、このところの状況から考えるにきちんとした格好が望ましいかと」
「やっぱりそうよね」
グロリアの言葉に、自分の考えが誤りでないと胸を撫で下ろす。
彼女が目配せすると、サーラとキャーラがすっと動いて何着かのドレスを持ってきて私の前で広げた。
「この辺りがよろしいかと」
いつの間に彼女たちはこんなに言葉がなくても連携がとれるようになったのかしら。
それとも軍出身者というのはみんなこういう特技が……って呆気にとられつつふと横を見るとラニーも呆気に取られていたので、グロリアたちが特殊なんだなと納得する。
「そうね、暗い色は避けましょう。夕刻だし、派手なものも避けて……そちらの淡い紫色のものにしましょうか」
「こちらでございますね」
私の瞳の色に似ているからと姉様が贈ってくださったドレス。
姉様のような、太陽をイメージするような色のドレスに憧れてあまり袖を通していないけれど今なら自信をもって着れる気がした。
「それではお召し替えを」
「ええ、おねがい」
お父様は、いったい何を私に求めていらっしゃるのだろう。
兄様は私が立派な王女になれる手助けを、と仰っておられたけれど私が立派な姫となりこの国を富ませる事に繋がれば尚良いと思っている事だろう。
では国王であるお父様もそうなのだろうか?
期待されているかいないかで言えば、今までそういう事から逃げていた分無縁でもあった私に期待は重いものだとお父様はよくご存じだと思う。
……なら、一体なぜ呼ぶのだろう?
会わせたい人がいる、という伝言は、一体何なんだろう。