6.
レイジェスが出て行ってどのくらい経ったのだろう。
彼が去ってから、私はよろよろと動いてようやく椅子に座ったような気がする。だけれどその後どうしても動く気になれず、ただぼんやりと、そう。何も考えずにいた。
(どうして、なんてもう考えるのも疲れた)
することもなかったし、部屋の中でいつも通りおとなしくしていれば良いだろうと思っていたからどこかに行く予定はそもそもない。
これが当たり前の生活だなんて、私がこの城にいることに一体何の意味があるのかと昔はよく自問自答したものだった。レイジェスを助ける、その目的があったから今まではやってこれたけど……これからはどうするべきなんだろう。
時間を気にするような予定がないとはいえ、考え事が始まってしまうと泥沼にはまりそう。見えないふりをして自分を誤魔化すことには、限界がある。
(そうよ、こうしていてもどうにもならない……レイジェスを助け出したのなら、次はもうこの国の王女として、ファール親衛隊隊長の“婚約者”を演じることが私の役目)
クリスティナという個人としては、もう何も考えずこのまま椅子にもたれて眠ってしまいたいと思ってはいるけれど。
レイジェスのあの様子からすれば、『ゼロの姫君』の様子を周囲は気にしているということなのだろうから、姿は見せておくべきなのかもしれない。
それが好意的かどうかは別としても、私が健在であって、ファール親衛隊隊長との婚約も問題がないというポーズは人々に見せておかねばならない……と思う。
王族としての務め、ってやつなのだから。
レイジェスは助かった、お父様たちも。私が知っていた『物語』とは違う未来。
望んだ通り、物語とは違う方向に、きちんと回避できた。
なら、これからの目的は?
何もなしに私は頑張れやしない。
(そう、ね。それなら私はレイジェスに……幸せになってもらいたいな)
私が知る『物語』の本来の主人公は姉のディアティナで、私やレイジェスは正直に言えばどうでもいい脇役っていうところ。
なにせレイジェスは作中、数行で死んでしまうだけの登場人物であり、私に至っては登場すらしていない、存在の無い主人公の妹。
だからすべてが私が知る小説の通りには進んでいないはずだし、ここから先は逆に言えば未知数なんだよね。
変えてしまった未来。
だけど、そこにまさかレイジェスとの婚約が付随してくると思わなかった。
誰も死者を出さずに反乱を鎮め、レイジェスは英雄となってマルヴィナと結ばれる大義名分を得る。そして私は相変わらず使い処の無い姫だけれど、今回の功績を以てどこか領地を与えられてそこでひっそりと生涯を終える……というのが私的には理想だったんだけど。
ところがどっこい、誰も死なないしレイジェスを英雄にするというところまでは成功したけれど、彼が婚約者にと求めたのはマルヴィナじゃなくて私だったし、使い処の無い姫君のはずが『ゼロの姫君』なんて大層な二つ名を与えられた挙句に知恵者で反乱を鎮めた功績者となってしまったんだから人生わからないものだよね……。
私は知恵者ではないのに……。
レイジェスが死んでしまわないように、あの事件を知っていたから回避する方法をただひたすら書物を漁ることで学んだだけで……知恵者と呼ばれるような、役に立つ知識もなければ軍師になるような頭のキレがあるわけでもない。
魔力は相変わらずないし、運動不足で体力もないし、誰かとおしゃべりしたいとかそういうのは寧ろ怖くてコミュニケーション能力もないなってないない尽くしだなぁ。
まあ、でも実際のところがどうというのは誰も期待なんかしていないと思う。
要するに、反乱は『ゼロの姫君』と軍部が協力した。ただ一部の不満を持った連中がいただけで国家としての屋台骨はなんら揺らぐことはない。その証拠に英雄は姫君を娶りたいと願い出て、より王家に忠誠を誓った……という筋書きまであればそれは誰もが納得してくれるだろうから。
そう、さっきもレイジェスと話していてそれはわかっているのよね。
こうやって改めて考えなくても、私にだってこれがきっと最適で最善だとわかっているの。王族としての務めも果たせるし、好きな人の役にも立てる。
「……でも、本当にこれで、……いいのかなあ」
レイジェスにとっての幸せは?
私は、レイジェスに疎まれたまま妻となって、それがお互いにとって幸せだなんて言えない気がする。いや、幸せになれるはずもない。
もしかすれば疎まれていたものが、少しくらいは歩み寄れるのかもしれないけれど……万が一そのままで子供なんてできようものなら、不仲な両親を見て子供はどう思うだろう?
(何を考えてるんだろう、馬鹿らしい!)
そもそも、この結婚自体長続きするかもわからないのに飛躍しすぎだ。
結婚して、……冷え切った関係というよりも、今のように繋がりもなく、きっと同じ屋敷なのに顔も合わせず生きていく。そういう風になるんだろうに。
また楽観視して、勝手に期待してしまう所だった!
そんな風になってはいけないって自分を何度も戒めていたのに。
(ああ、やめやめ! ここでこうしててもしょうがないって思ったばっかりじゃない!)
諦めて、立ち上がる。
王女として、やらなければならないことがあるならば、それをするべきなんだから。
一人でただぼんやりとしていても、無駄に考えが巡るだけ。それならば、仕事だと割り切って周りの視線に晒される方がまだマシかもしれない。
……どっちも、どっちか。
立ち上がって、体を伸ばす。
鏡を見て、情けない自分の顔に一つ笑って。
(いやだなあ)
何度目かのその考えを振り切るように冷静さを無理矢理取り戻してから呼び鈴を鳴らす。
本当は、王女だけど、王女らしくするなんてこと自体好きじゃない。
だけど、一人でウロウロするのは王女としては本来望ましくなくて、今までそうしていたのは誰も私の随従なんてしたくないからであって、給仕だってなんだって、残念姫君の相手なんてしたくないってみんな態度でわかってたから、ああ違うそうじゃない!
「お呼びでしょうか、姫様」
「……お茶を、持って来て欲しいの。それと軽く食べられるものもお願い」
「かしこまりました」
どこか緊張した面持ちの侍女が、私に向かって深く頭を下げた。
なんとなく、どうしてなのかはわかっている。
今まで馬鹿にしていた“主”が権力を持つかもしれない。
そうしたら罰せられるのではないだろうか、という恐れなんだろうと思う。
実際はそんなことないけど……事実なんて、見えている部分ではわからないものだからしょうがないよね。そもそもがそれを知らせてはならないわけだし。
だからと言って私が彼女、あるいは彼女たちが想像するような暴君になるのかと問われたら答えはノーだ。残念ながら、憤りはもうとっくに通り越して彼女たちに私は期待なんてしていない。
だから、仕返しめいたことをする必要性は何一つとして感じていない。
というか、今更そんなことをしたところで何に満足ができるっていうだろう。余計に空しくなるだけだもの。私が、そんな小さい人間だと思われていたっていう事実にまた打ちひしがれそうだ。
それとも、それだけのことを小娘にしてたっていう自覚があったからなのかな。
まあもうどうでもいいんだけど……とりあえずは、私は気にしていないってことを理解してもらえたらいいなと思う。
急に認められたから暴君になるとか、レイジェスにも迷惑がかかるじゃない?
かと言って、今までのように人を避けて生きていったら『ゼロの姫君』と呼んだ軍部の人たちも困ってしまうだろうし……王族としてきちんと振る舞おうと思うなら、彼らの計画にきちんと乗ってあげるのも大事よね。
したくない、なんてわがままは王女には許されない。
……そうよ、クリスティナ個人なんて今は構っていちゃいけない。
レイジェスを幸せにしたいなら。
彼が、私を嫌う気持ちも忘れて、マルヴィナと結ばれるように。
ああ、それは嫌だけど、ズキズキ胸が痛んだけど。
それでも彼を幸せにしたいなら。
王女として、振る舞おう。
それがきっと、一番なんだ。