54.
レイジェスと会話をして少ししてから、私たちはヴァッカスが待っているであろう私の書斎へと足を向けた。
そこではサーラがうんざりした顔をして立っていて、ラニーがおかしそうに中を見ているから私は首を傾げる。
同じように私の前を歩いていたキャーラも首を傾げているので、危険な事は何一つないのだろうけれど……私は視線をレイジェスにも向けたけれど、彼は無表情のままだった。
それでも立ち止まっていてもしょうがないから私たちが歩を進めればサーラとラニーが気づいて頭を下げる。
「クリスティナ様、……今、中が、ちょっとすごい」
「いやあ、あのお人は本当に変わり者ですねえ!」
からからと笑うラニーがまた顔を書斎の中に向けたので私も覗いてみる。
するとそこにはもじゃもじゃ頭が忙しなく動いているのが見えた。
「……あれはヴァッカス、よね。どうしたの? 何をしているの?」
「書斎に案内したら、蔵書を見て、興奮し始めた……です」
「そうそう。で、クリスティナ様が書いていた論文ですかね? あれとかも見て資料を見て、あっちもこっちもひっくり返してあの状態ですよ。本人はそれをもとに何か書いているみたいですけどねえ」
「そ、そう……」
どうやら、気に入ったらしい……と受け取って良いのだと思うけれど、そんなに蔵書が充実しているっていうわけでもないのになんでそんなに喜んでいるんだろう?
確かにアニーのために最近は竜に関する書籍をいくつか集めていたのは認めるけれど。
「ヴァッカス」
「あっ、これは王女殿下!」
「……役に立ちそうな蔵書はあった?」
「役に立ちそうなですって?」
ヴァッカスは眼鏡をくいっと押し上げて、がばっと立ち上がって私の前に立った。
そして再度「役に立ちそうなですって?」と先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「とんでもない! 役に立つどころか手に入れるのが難しい古書まであるじゃありませんか! 頭の固い年寄りどもはただの古い本と決めつけたけれどこれがどれだけ有用性のある本か、僕がどれほど探していた事か!!」
「え、えっと、そう……よかったわね……?」
「ええ、ええ、本当に! こちらの書庫で僕は寝泊まりさせていただきたいくらいですよ、そうそう王女殿下の論文も拝見させていただきましたがこちらもまた新しい切り口で、なるほどと思う部分が多く、足りない実地的なものに関しましてはこれからご一緒させていただけたらと……」
矢継ぎ早に話すヴァッカスは代わる代わる本を手に取っては目をキラキラさせて私に詰め寄るものだから、私の方が目を白黒させてしまう。
そんな私を庇うようにサーラが間に入ってくれた。
「ヴァッカス、いい加減にする。クリスティナ様を困らせるのは、許さない」
「そ、そうです! う、撃ちますよ!?」
「キャーラ、撃つのはダメ。迷惑」
「ご、ごめんなさい」
(それも違う気がするけど)
私が呆れて何も言えないのをいい事に、双子とヴァッカスが今度は何か言い合いをしていて、どうしたものかと思う。
そんな私の肩に手を置いた人がいて、見上げればそれはレイジェスだった。
「……本当に大丈夫なのか?」
「た、多分。私が希望したとはいえ、頼りにならない相手をディアティナ姉様が直接寄越すとは思えないもの」
「……ならいいが。あまり距離感のない男のようだ、気をつけろ。どこで誰が見ているかわからん」
「ええ、それは気を付けるけど……」
「お前は迂闊だからな」
「……」
レイジェスの言葉に、思わず俯いた。
もうこれはきっと、癖だ。悪い癖になっている。
彼の心の内を少しだけ聞いて、知って、私を咎める言葉はそのままの意味ではないと理解したけれどそれでも簡単に傷ついてしまうのは、きっと私が弱いからなんだろうと思う。
頭では、わかってる。
レイジェスの言葉は、私が安心しきってさっきみたいにヴァッカスとの距離が近いと、また私を貶したい人たちにとっては都合の良い材料を与える事になるんだって。だから気をつけろっていう意味なんだと思う。多分……合ってるよね?
(どうやったら、私は前向きに受け取れるのかしら)
レイジェスも、私の様子に少し困ったようだった。
彼は彼でその口の悪さを直してくれたらありがたいんだけどなあ、と思うけど……それを口にしても良いのかしら。それすら私にはわからない。
だって言葉にして嫌われたら、なんて思ってしまうんだもの!
嫌われなくてもめんどくさい、とか……ありそう。
(だめだめ! 前向きになるんだってば!!)
すぐに悪い方向へと考えが向いてしまうところを直さなくっちゃって何度も思っているのにやっぱりすぐに直すなんて難しくて。
だからって気が付いた時には前を向かないと!
「あの、レイジェス」
「なんだ」
「……気をつけろって、事、よね……?」
「……。……ああ」
間が! 間が長い!!
どうしよう、言わせたみたいになったのかしら?
心配になってレイジェスを見上げると、彼は気まずそうに視線を揺らしてから私を見下ろした。
「言い方が悪かった……気を付けよう」
「……! ありがとう、レイジェス……!!」
察してくれた!
そう思って思わず笑顔になった私に、レイジェスが困ったようにまた目を細める。
彼の後ろでサーラがナイフを構えるような仕草を見せてラニーに羽交い絞めにされている件は触れた方がいいのかどうしたらいいのか!
ヴァッカスはヴァッカスでもう書類に取り掛かっているし、なんだろう。
私も含め、グロリアがいないとマイペースな人たちがそれぞれに行動してしまうのかしら……。
いえ、ここは主たる私がしっかりしないといけない場面よね。
「ヴァッカス、それで書斎が気に入ってくれたのは良いけれど、必要なものは思いついたかしら?」
「ああ、はい……とはいえ、当面はランドドラゴンの、アニーでしたね。アニーに協力してもらって生態を知る事、それからいくつかの種類の魔石を用いること、適した魔法の属性、それらと並行して他のランドドラゴンの生態を何かしら記したものを手に入れる必要があるかなと思います!」
問うたのは私だけれど、こんなにすらすらヴァッカスが答えると思わなくて瞬きする。
ぱっとキャーラがメモを取ってくれたけれど。
「適した魔法の属性……」
アニーの協力は大丈夫。ラニーも手伝ってくれるだろう。
魔石の入手だってこの国ならばなんだって揃うと思う。
ほかのランドドラゴンの生態を記した書かなにかがあるかはちょっとわからないけれど、北部に問い合わせてみればそれは何とかなるだろう。
だけれど。
だけれど、適した魔法。そればかりは私に何も協力できることはない。
この場にいる人間全員が手伝ってくれる事を前提にすれば、容易な事だと思うのにそれを口にした私の声は、自分が思っている以上に沈んでいた。
その事に自分でとても驚いたけれど、努めて明るく振舞う。だって私は王女なのだから、みんなに心配をかけるべきではないもの。
劣等感を今更感じたところで変わるはずもない、魔力ゼロという事実。
「属性についてはみんなに協力してもらいましょう。ね、レイジェスも手伝ってくれるでしょう?」
「……ああ」
レイジェスが、目を細めて私を見る。
心の中を、見透かすように。
だけれど私はそれに気が付かないふりをして、さっと視線を逸らすのだ。
知っているの、私がこの事ではなんの役にも立たない残念姫君。
だけれど、それを受け入れて私は立っていくの。ゼロ姫として。
そうしなければ、いけないのだから。
そうしなければ、貴方の隣に立てないのだから。
必要ない、なんて言わないで。
どうか、私が一人で立てる足を、奪わないで。
わかっているの、レイジェスはそれでもいいって言うって。もうわかってる。
だけれど、これは、私の意地だから。
「ありがとう、レイジェス」
精いっぱいの、笑顔を、せめて。