閑話 その心は幼いままに
今回は初のレイジェス側です。
(お前は、なにも知らない)
俺が初めて、『欲しい』と思った人間。
俺の目を見て拒絶した父親に、思うところはなかった。そういうものだと幼心に思った。
俺を守って死んだ母に対しても、優しい人だとは思ったが喪って悲しいという思いは、特になかった。
俺の心は、どこかが欠けている。そうマールヴァール将軍にも言われた。
特に支障はなかった。将軍は親切な方であり、恩人であり、よく笑い泣いて俺に様々な事を教え、少なくとも生きていく上で相手の感情を理解し、時に寄り添い、それを利用する事も学んだ。
大望があったわけでもない。
ただ恩人に、恩返しはしたい。常々そう思っていた中でマールヴァール将軍から王子の稽古相手として王城に連れていかれた。殴られてやればいいんだろうと快諾すれば苦笑を返されたが、俺は特に構わなかった。
王城に上がった俺を待っていたのは、王子のシグルドだけではなかった。
そこにはシグルドと双子のディアティナ、彼らの従妹にあたる公爵令嬢のマルヴィナ、そしてディアティナの陰に隠れるようにしてこちらを見る幼いクリスティナの姿があった。
金の髪を持つ子供たちに混じって銀色の髪は目立ったし、自分よりも小さな存在はマールヴァール将軍の家では見ることがなかったので物珍しくてつい、視線を向けていた。
(お前は、俺を見て笑った)
赤い宝石みたいで、綺麗ねえ。
幼児特有のしたったらずな喋り方で俺にそう言って、恥ずかしくなったのかディアティナの影にまた隠れたその小さな存在。
俺の中に、欠けた部分に、暖かさを灯した存在。
それからの俺は、シグルドの相手をしながら彼が勉強中は王女たちの相手も務めるようになった。といっても、お転婆で有名であったディアティナとマルヴィナが無茶をしてけがをしないように見張る事が任務であって彼女たちの遊び相手という意味ではなかったのだが俺は良いように振り回されてばかりだった。
クリスティナは幼いという事もあって彼女たちほど活発ではなかったし、また性格上大人しいこともあって俺の側にいる事も多かった。
時折頭を撫でてやれば嬉しそうに笑う姿が、とても大切だった。
だが、成長すればするほど、身分差というものは俺に伸し掛かる。
いくらマールヴァール将軍が俺の保護者というものになってくれても、俺は平民だ。
対するクリスティナは王女である以上、本来ならば口をきくどころか側による事すら許されない。
「お前はいつもクリスティナを見てるなあ、そんなにうちの妹はカワイイかい? いや可愛いけれど」
「カワイイ……そうだな、愛らしいとは思う」
「レイジェスが貴族だったらね、クリスティナをお嫁にもらってほしいと僕も思うのだけれど……今のままだとあの子にとっては良い環境とは言えないし」
残念姫君。
その嘲笑う声は、俺の耳にまで届くから相当なものだろう。
クリスティナも、それが聞こえるたびに体を震わせているのを知っているから俺も色々なところで行動は起こしているが、一向に減る気配はない。
魔力がないのがなんだというのだろう。
いっそのこと、彼女が王族でなくなってしまえば良いのに。
そう思わなくもないが、それこそ天地がひっくり返っても起こるか話じゃない。
「……そうか、俺が軍部の中で地位を得ればいいだけか」
「レイジェス? 何言ってるかわかってるのかい?」
俺はもう年齢的には軍に所属が許される年齢だ。
じき来る入隊試験に臨めば、簡単に入ることはできるだろう。
後はのし上がるだけ、単純な話だ。
俺がその展望を告げれば、シグルドは呆れた顔をする。だが俺は変な事を言ったつもりはない。
幸い俺には魔力も潤沢と言えるほどにあるし、身体能力もシグルドと共に鍛えてもらったおかげで同年代と比べれば段違いだ。
「貴族まで行かなくても、武功をあげれば良いんだろう。……分は弁えているつもりだ、生涯彼女を守れれば、それでいい」
「ちょっと、僕らの年齢で生涯とか重くない?」
「クリスティナだけだ」
「え?」
「……あいつ以外に、側にいてほしいと思った事はない」
「レイジェスってさぁ、本当に……」
シグルドが呆れる。
本来ならば王子であるシグルドと、気安く会話をする事も俺には許されない。それでも二人の時は友人だと言ってくれるそれには、俺も感謝している。
俺は心が欠けているが、感情がないわけではない。
この欠けている部分が、クリスティナを欲している。だがそれが決して彼女のためにならないような感情であることも、俺はわかっている。
だから、守りたい。
ただ、傍らにいて彼女を守っていく。それで満足するべきだ。
俺たちが成長したように、クリスティナも成長した。
可憐な少女はこれからもっとのびやかに、美しく育っていくのだろう。
あの無垢な少女が成長しきった時にはどれほどの男が彼女に言い寄ってくるのだろう。幸せにする事ができる、そんな相手でなければ近づけないようにしなければ。
クリスティナは甘いから、ろくでもない連中にもあの優しさを平等に与えてしまうだろう。
甘い香りを放つ花に、虫は群がる。
ならば、それを排除する。排除するためには、彼女の近くにいけるだけの距離で守らねばならない。
そのためには、地位がいる。
そのためには、力がいる。
「レイジェス、あの子に他の男が近寄る事は許せるの?」
「許せない」
「早いよ、答えが。……それなのに、守るってだけでいいの?」
「良くはない。だが他に道もない」
「レイジェスって本当、アレだよね」
「うるさい」
「そんなに言うなら、武功を立ててマールヴァールに【アルバ】の一員にしてもらえばいいのに」
「……そんなことはできない」
マールヴァール将軍は、今まで言葉にできないほどの恩恵を、自分に与えてくれた。
シグルドも、俺に対して信頼をくれた。
だからこそ、彼らにこれ以上望むものはない。
クリスティナは、別だ。
傷つけてでも、本当の意味で傷つけたくない。
もっとやりようはあるだろう、そう自分でも思うがそれでも彼女が側にいれば手放せなくなることは自分でもわかっている。
この感情は、生易しいものじゃない。
クリスティナにとって重荷で、彼女の未来を閉ざしてしまうくらいに。
何もかもを奪って、自分だけに依存して、そうなってくれればいいと思ってしまうこの気持ちは、なんと汚いものだろう。
それでも、彼女は許してくれる。そう思えてしまうからこそ、遠ざけなければ。
そう思っていたのに。
そう、わかっていたのに。
「お前が、俺を近づけてしまったんだ」
望みを、口にするきっかけを。
失いたくないと、思ってしまったからこそもう止められない。
口づけも、許されない。
もどかしい『婚約者』の立場に甘んじる。
それでも、もうまともな他の人間を見る事は許さない。俺が、俺だけがクリスティナの『婚約者』。
手を伸ばし、その頬に触れるだけで顔を赤らめる純情さ。
それを早く穢して喰らってしまいたい。その欲は、まだ封じ込める。
物理的に逃がす事ができないならば、彼女が堕ちてくれる事を願うだけだ。
あるいは――彼女が、俺を掬い上げるか、だけれども。




