53.
「何を勘違いしたのか、知らないが」
私の頬を撫でて、レイジェスが手を離す。
触れられたところに残る感触に、私は目を何度も瞬かせるしかできない。
こんな風に、触れられたことなんてなかった。
家族が触れてくるのとは違う、壊れ物に触れるような、そんな。
レイジェスの手に嵌められた手袋が、なかったら、なんて思うほどに。
彼の素手で触れられたなら。大切なものに、触れるかのようなそんな手の優しさをもう一度。
(……何を考えているの)
私は一体どれだけ彼に焦がれているのか。
今まで何度となく呆れてきた己の感情に、また呆れる。
そんな自分が恥ずかしくて俯けば、レイジェスが笑ったのが雰囲気で分かった。
まるで子供がむずがる様子を微笑ましく見られたようできゅっと唇をかみしめる。
ああ、もうまったく、私は……どうしてこう、上手く大人の女性になれないんだろう。
たとえ恥ずかしくたって、きっと前を向いていればまだマシだったろうに!
「以前俺は、お前を妻に迎えた後に館にいれば良いといいと言った」
「……」
「お前が、他の誰の目にも触れずにいてくれれば俺はそれで構わない」
「えっ?」
「その方が良い」
「れ、レイジェス……?」
「言っただろう、俺のこの感情は」
黒い手袋が、私の視界に入ってやや乱暴に顎がとられ顔を上げさせられる。
それでもそれは、決して痛みなんかなくて。
私も、抵抗なんてする気はないから、だろうけど。
「お前が思うような、綺麗なものじゃない」
「……」
「誰に文句を言われようが、お前が貶されようが、そんな事は関係ない」
「……」
知らず知らずのうちに、息をのむ。
レイジェスが、冗談を言っているようには見えない。
でもそれは、まるで私を閉じ込めて、かごの鳥にしたいと言っているようだ。
「当然それが現実的でない事は百も承知だ」
「そ、そう、よね」
ほっとする。
それを実行するつもりだと言われればレイジェスを慕っているとはいえ、私だってどうしていいかわからない。
それほどまでに欲されていると喜ぶべきなのか、不安に思うべきなのか。普通に考えたら後者だと思う。……わずかに前者の気持ちが私の中にある事が、自身への不安でもあるのだけれど。
「そうできるならば、している」
「えっ」
「だからこそ、文句を言ってきそうな連中が増えるのは、面倒だと言っている」
「……」
それは、どう受け止めれば良いのだろう。
レイジェスの幸せのために動こう、そう決めているけれど……。
(私を閉じ込めるのが、レイジェスの幸せ……というのは、なんだか変だわ)
人にはそれぞれ違った幸せというものがある事くらいは理解しているけれど、どう想像してみてもしっくりこない。
私が言葉を探していると、彼は笑った。
「お前は相変わらず考えている事が顔に出る。……言っただろう、現実的でないと知っていると」
「……」
「そうしたいのは山々だが、そんな事を実行すればお前を奪還しようとする人間が現れかねない」
「……そんな人、いるのかしら」
思わずそう零せば、レイジェスはまた笑みを深めた。
面白そうになのに仄暗いその笑みは、私の背筋をぞくりとさせる。
怖い、と思う。
だけれど、やっぱり好きだと思う。
(……私、本当にどうして)
彼の幸せだけを願っている、それだって自分でもオカシイと思った。
レイジェスが言うように、彼の感情は普通ではないのだと思う。
それでも、それを嬉しいと思ってしまう私もやはり普通ではないのかもしれない。
(初恋を、お互いに、拗らせすぎた? だとしたら、私たちは『普通の』幸せを得ることはできない?)
そもそも王族である私は普通とは言えないのだけれど。
レイジェスだって国を救った英雄だし……。
(でもお互い好きな相手と結ばれる予定で、身分差も乗り越えて……一般的にはとても喜ばしい事だと思うのだけれど)
やっぱり何か、違う気がする。
「そ、の、レイジェス。変な事を、聞いても良いかしら」
「なんだ」
「あの、私たちは、……婚約しているでしょう?」
「そうだな」
頷いたレイジェスは私を馬鹿にした様子はなくて、真面目な顔で私の方を見ている。
私は少しだけ躊躇いながら、言葉を続けた。
「……あの、……レイジェスは、私との間に、子供がほしいと、思う……?」
馬鹿げた質問だと思われるかもしれない。
想いが実ったのかも実感がない上に、お互い何か間違っているような気がする状態でこの質問をする意味を、私自身よく理解できていない。
将来のビジョンがまるで見えないからだったのだけれど、質問してから後悔した。
(ほかに聞きようがあったんじゃないの!? 私ったら……!)
レイジェスの気持ちが私にあるかどうかわからないうちに、彼の幸せを探す中で婚姻する以上そういう事もありうるのだろうか、などと夢想したことはあった。
だけれどその時も想像できなくて、そんな私が『将来のビジョンが見えないから』で子供の事を考えてどうするんだろう。
私たちの立場で考えれば、『ほしいかどうか』ではなくて跡取りは必要不可欠くらいに考えるべきなのだからそれは未来のカタチとは到底言えないじゃないか。
そこに至る前に質問が飛び出てしまった事で、私はまた自分が情けなくて俯くしかできなかった。
ああ、恥ずかしい。
レイジェスも何も答えないし。
「……ほしいかほしくないかで問われれば、難しく、思う」
「えっ」
だけれどレイジェスの声は、静かでまじめなものだった。
思わず弾かれるように顔を上げると、眉間に皺を寄せて考え込むレイジェスの姿があって、私は驚いた。
「お前は、俺の出自をどう聞いている?」
「えっ……?」
レイジェスの質問に、私は戸惑った。
彼は平民出身で、マールヴァールが連れてきた子供だった。……口さがない人が『野良犬』と揶揄することも知っているけれど、そういえば詳しくは知らないかもしれない。
彼を野良犬と呼ぶのは国家の狗と、平民からの成り上がりものっていう二つの意味を持っているのだと思っていたのだけれど違うのだろうか?
レイジェスに出会ったのは私が子供の頃で、当然その時のレイジェスも子供で。
そういえばなぜ彼はそんな幼くしてマールヴァールの側にいたのだろう?
「……その様子では、知らないようだな」
「マールヴァールが連れてきた、その程度しか」
「そうか。別に隠しているわけじゃない」
レイジェスは何でもないことのように、自分の目を指さした。
真っ直ぐなその視線に、負の感情は見て取れない。
ああ、相変わらず綺麗な色だなあと的外れな感想を抱く私をよそに、彼は言葉を発した。
「俺は、キャンペスで生まれ、この目の色が、不吉だと放逐された忌み子だ」
「……」
私は、知らなかった。
ターミナルでも珍しい赤だとしか、思っていなかった。
ただ綺麗な色だと思った。
真っ直ぐで、まるで本当の紅玉のようで、彼の感情で煌めくさまが好きだとしか思ったことがなかった。
「まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする」
くつりと喉で笑ったレイジェスに、はっとする。
本当になんでもない、まるで天気の事を話題にするようにあっさりと言ってのけたレイジェスが私には信じられない。
「幼い俺は、母に連れられキャンペスを出た。ターミナルは誰もを受け入れる、その話を耳にした母が幼い俺と共に山を越えようとし、魔狼に襲われ息絶え……そして、その時マールヴァール将軍が偶然演習に来ているところで救われたんだ」
「そんな……そんな事があったの……」
「だから俺は、家族というものがよくわからない。母は俺を愛し守ってくれたという記憶は朧気にあるが、……俺が良い父親というものになれるのか。俺がいたから母は去らねばならなかったという部分も、付きまとう」
ふっと自分の掌に視線を落としたレイジェスの表情は、静かなものだった。
私は、何も知らない。何も知らなかった。それがこんなにも、悔しい。
「親には、きっと……きっと、なろうと思ってなれるものではないわ」
「クリスティナ?」
「私も正直、レイジェスとの子供というのを想像してみたけれど親になった自分なんて想像できない。私たちはきっと、どこかおかしいの。おかしい者同士で、幸せになる方法ってとても難しい気がする」
「……」
「一緒に、手探りで、考えていけたらいいなって。そう思うの」
私の言葉に、レイジェスが目を瞬かせてから笑った。
それは呆れたように力の抜けた、笑い方で。
どきっと、胸が跳ねたのは、内緒。




