49.
結局のところ、まずは情報を共有して仮説でよいから今までのデータをまとめた方が良いのでは、という私の意見はヴァッカス殿によって却下された。
彼曰く、何事にもまず目指すべき地点があるのならばそれについて現状を知るのが先で、それに沿った仮説を立ててつぶしていく方が確実だということだったから。
私は研究そのものはしたことがなく、そういったものを報告書や論文として提出されたものに目を通すばかりだったのでなるほどと思ったけれど、学者によってやりようは色々あるからとも言われた。
「ああ、アニーがいましたよ。この時間帯は日向ぼっこをさせてもらってるんです」
「調教師とか、そういった人間の姿が見えませんが」
「あの子は基本的に人間を害する事はありませんけどね、警戒心が強いんですよ」
「なるほど……確かに野生の地竜たちも警戒心が強く、一定の距離以上近づく事はできませんでした」
ヴァッカス殿は納得したように何度も頷いて遠めにアニーの姿を観察しているようだった。
アニーは私たちの事にはまだ気が付いていないのか、普段は馬たちが放牧されている場所でのんびりと日向ぼっこをしていて、とても気持ちが良さそう。
「クリスティナ様が呼んでみますか?」
「え?」
「あの子はわたしたちが来ていることには気づいてますよ。ただ自分に用があるとは思ってないんでしょう。わたしが呼べば勿論来ますがね、クリスティナ様の声にも多分あの子は反応しますよ」
「そ、そうかしら……」
私がアニーに会ったのは一度だけ。
確かにあの時アニーは私に触れてくれたけれど、それは心を許してくれたとかそういう事なのかはよくわからない。
「大丈夫ですよ、さあ」
「こ、声をかけたらいいの?」
「はい、名前を呼んであげれば大丈夫です。ランドドラゴンってのは耳がいいんですよ」
ラニーに促されて、私も一歩踏み出して柵に手をかける。
それから、どのくらいの声で呼ぶべきか悩んで、少しだけ普段よりも大きな声を出すために息を吸った。
「アニー!」
思ったよりは大きな声が出なくて、ああ聞こえなかったかもと思ってもう一度呼ぼうと息を吸い直そうとする私をラニーが止める。
そして彼女は指をすっと向けて「ほら」と笑った。
「アニーったら、嬉しそうじゃないですか? 妬けちゃうくらいですよ、わたし以外にあんなアニーは見たことがない」
「……」
ゆったりとした動きだけれど、アニーは真っすぐに私の方に向かってくる。
時々よろけるのは、きっと怪我をしたという足の所為。
アニーの緑色の目が、嬉しそうに輝いているように見えるのは、私の気のせいだろうか?
「アニー」
私が名前を呼ぶと、伸ばした手に頭を擦り付けてくる。
そしてラニーにも同様に撫でてくれるようねだるような仕草を見せるこの厳つくて愛らしいランドドラゴンという生き物。
本来の逞しさを取り戻したら、どんなにかっこ良いんだろう。
初めて見た時は少し怖いと思ったのに、一度しか会っていない私をこんなにも歓迎してくれる生き物をどうして嫌えるだろうか?
もともと私は動物が好きな方だったし、ラニーの家族だと思えばより愛しいのは当然なのかもしれないけれど。
「アニー、いいかい。こっちの兄さんたちの顔をちゃんと覚えるんだ。こら、そっぽ向かない! ほぅら、いい子だから!」
「おやおや、我々は嫌われているようですね」
「それも仕方ないかもしれません。飛竜に限らず竜種というのはどれも警戒心が強く、同族意識が強い。急に現れた別個体に対して警戒して攻撃をしない分、その子はとても穏やかな性格だということが伺えます」
「攻撃するようなのがいるのかい、カエルムには」
「飛竜は元来気性が荒い生き物で、それ故に卵から孵すという点ではそちらのランドドラゴンと同様ですね。それでも一人前と呼ばれるくらいの年齢に差し掛かると、卵から育てた主人ですら認めず攻撃をするケースも見られます」
「……そういう時にはどうするの?」
私の問いに、ヴァッカス殿は眉間に皺を寄せた。
言いたくない、というように口をへの字に曲げてしまった彼に代わってサッカス殿が答える。
「服従の魔法、というものを使用して調教します。ただ、これはより効くようにと幼竜の頃から微弱な出力で使用し、有事の際に強力なものを使って従わせ大人しくさせるというもので……あの、誤解があるといけませんが基本的には余程、怪我人が出そうな状況でなければ使用は致しません」
「……あの、ディアティナ姉様に贈られたあの飛竜は」
「あれは王太子殿下がいずれ妻となる女性のためにとご自身で育てられた飛竜でして、飛竜の中でも賢い種族のものです。ディアティナ様の事を一目見て飛竜の方が懐いたので、服従の魔法を使う必要もなかったのだと聞いております。……おそらく、今の王女殿下がそのランドドラゴンに好かれているような状況だったのでは?」
「そう……」
それなら、いい。
ディアティナ姉様も、その飛竜も、誰も傷つかなかったのだから。
とはいえ、やはり異種族を従えるというのは一筋縄ではいかないというのはこれでよく分かった。
私たち王族は、或いは軍事用として買った飛竜は、すでに従順になったものであってそれはやはり自然にそうなったわけではなくて、それはつまり色々と捻じ曲げて共存したと言ってもいいんだと思う。
だからこそ、ヴァッカス殿はあんなに渋面なのだろうから。
「ランドドラゴンはそういったことなく共存関係にある事は、とても素晴らしいと思います。ただそれは安定した数を、常に置けるわけではない。……それで済んでいるのは、このターミナルという国が軍事面において優れているからです」
ヴァッカス殿が、渋面のまま私にすり寄って甘えた声を上げ続けるアニーを切なそうに見つめた。
彼は、本当に竜が好きなんだなあと私は思った。
「カエルムは竜の国。それはそれだけの竜を従えることができたから。飛竜が住まう土地は、カエルムだけにしかない……それは国に取っての利であり、そして益です」
「ヴァッカス殿」
「家族のような存在であれ、と国は謳います。ですが実際はそんなものなのです。……わかっています、そんな事を僕らは誰もしたくない。お互いが傷つかないための方法だって事も」
「ヴァッカス、目的を忘れるな」
「わかってるよ」
サッカス殿の苦言に、ヴァッカス殿は吐き捨てるように応じて沈黙した。
ぎゅっと握った手は、とても痛々しくて私はアニーをそっと見つめる。
「……アニー、お願い。この人が、触れても、いいかしら」
心から。
きっとこの人の葛藤を癒せるのも、竜なんだろうなと思ったから、私はアニーにお願いしてみた。
アニーは嫌がっていたけれど、きっとそれはラニーがまた知らない人間と一緒にいた事が気に入らなかっただけだと思う。
私の言葉にやっぱり嫌そうにしつつ、アニーはしょうがないなあというように私の頬を舐めた。
「ヴァッカス殿、アニーが触れても良いって言ってくれているような気がします」
「えっ」
「ねえ、ラニー。そうよね?」
「そうですねえ、多分クリスティナ様が仰る通りだと思いますよ」
笑ったラニーがぐっとヴァッカス殿の背を押した。
ラニーの方が体格が良いくらいだから、彼は思わずよろけてしまったけれど恐る恐る、壊れものに触るみたいにアニーの鱗に触れた。
「ラニーが教えてくれたんですけど、アニーの目は他のランドドラゴンと違って緑色なんです。とても綺麗でしょう?」
「……本当だ」
「まるで、新緑の色」
私がそう言うと、アニーが誇らしげに目を細めて私の頬をまた舐めた。