46.
少しずつ、将来の事を前向きにとらえることができるようになったのは、『物語』の呪縛から私自身が解放されたからなのだろうか。
それとも、レイジェスが私の事を嫌っていたり憎んだりしていない、という言葉に希望を抱いたからなんだろうか。
(わからないけれど、将来の事を考えるなんて)
あの事件の日に、私は死ぬ覚悟だってして臨んでいたから。
勿論、死にたかったわけじゃない。自殺願望なんてないもの。
だけど、どうせなら大切な人のためにこの命を使いたいと思ったのは事実で、私が知ることをフル活用してレイジェスが救えるのならばどんな無茶だって嫌じゃなかった。
「……疲れたのか」
「え?」
「そんな顔をしている」
「そ、そうかしら」
レイジェスの指摘に、私は思わず自分の頬に触れてみた。
見えるわけでもないのだから、触れたところでどうなるものでもないのだけど。
疲れたというよりは、気が抜けたような気がする。
朝から、レイジェスとお昼を一緒にというだけで緊張していたし……まさか、嫌っていないとかそんな事を言われるとか微塵も考えたことがなくて。
ただそれがどんな感情から来るものなのか、私は期待してしまうのが怖くてまだ正直真っ向から彼の気持ちに向き合えているとは言えないのだけど。
でも、どこかでほっとしていたんだと思う。
(マルヴィナと幸せになって欲しいって思ったし、姉様が相手なら彼の心が癒されるまで、と思ったのも事実。……だけど)
だけど、やっぱり私だって一人の女性として、好きになった人に振り向いて欲しいって思っていたのも、事実。
諦めなくてはいけない、そう思っていたのに諦められなかった心の本音。
「……疲れた、というわけじゃないと思うの」
「ならいい」
「ほっとした、っていうか……あぁいえ、叔父様のお話を聞いて、これから色々あるんだなと思ったら気を抜いてはいけないんだとわかってはいるんだけど」
「……」
「ごめんなさい、しっかりしなくてはいけないのに」
「いや……」
それでもほっとして気が抜けている所為か、口を開けばため息にも似た息が漏れるばかり。言われてみれば緊張して体中力を入れていた気がするし、レイジェスと会話する時は失敗してはいけないみたいに考えてばかりだったから余裕なんてなかったに等しい。
これからの事を話してもみたけれど、それだってあくまで私の意見を一方的に述べただけというか。
「ただいま戻りましてございます、遅くなって申し訳ございません」
「ごくろうさま、グロリア。戻ったばかりで申し訳ないけれど、お茶をお願いしても良いかしら」
「勿論でございます、少々お待ちくださいませ」
綺麗なお辞儀をするグロリアに、私は椅子の背もたれに身体を預けるようにして考える。
これから、どうするのが良いのだろう。
私は魔力がないのだから、そこはもうどうする事もできない。
魔道機器を利用して国民の生活に潤いを持たせるというのが王家としての役目なのだから、それを担えない私は確かにお荷物だと言われても仕方ないけれど、だからといって言われるがままに他所に嫁がされるのも受け入れられるはずがない。
(だって、レイジェスは他の誰でもない私を望んでくれたのだから)
なら、私は私としてちゃんとしなければ。
レイジェスは望めばきっと守ってくれるんだろう、だけどそれでいいのかと問われるとそれもどうかなって思う。
彼の『守る』は結婚して家に閉じこもっていれば外からの圧力とかそういったものをレイジェスが引き受けて私に届かないようにするって事だと思うから、それじゃあレイジェスがなんの得もないっていうか、辛いだけだと思うし。
「……また妙な事を考えていないだろうな?」
「妙なこと?」
「俺はお前を妻にすると宣言しているが、お前のなにかを犠牲にしたいわけじゃない」
「……ありがとう」
幸いにも私は『ゼロの姫君』という利用価値で軍部からの支持は一定量あるらしいことをラニーから聞いている。
そこから、何か閃くことができたらもう少し何かができそうなんだけれど。
そうだ、こんなところで腑抜けている時間が惜しい。
今日はこの後ヴァッカス殿が来てくれるのだから。
アニーの治療に関して何かわかれば良いなと思うけど、わからなくても何か掴めるかもしれないし。
(……もしラニーが望んでくれたら、このまま残ってもらいたいな……って思うのは、やっぱりただのわがままかしら)
私が望めば、それは王女としての命令に繋がってしまう。
例えそれが建国以来大して役に立たない王女のものだとしても、王女の命令は王女の命令だ。
(使いどころを間違ってはいけない。私は、『立派な』王女になるのだと決めたのだから)
そのためには自分の心を犠牲にする?
いいえ、今までならそれで良いと思ったけれどそれもなにか違う気がする。
何がという部分がまだわからない私は、きっとまだまだ心が幼い。
「お待たせいたしました」
「ありがとう、グロリア」
出てきたお茶を一口飲んで、ほっと息を吐き出す。
考え事ばかりで何も決まらないのだから無駄なことかもしれないけれど、こうして温かいお茶を飲んで心を落ち着けるのは、なんとも気持ちが良い。
「レイジェス、ごめんなさい」
「何を謝る」
「あの、私こういう場で気の利いた会話とか、思いつかなくて」
「……いい。お前は煩くないのが、良い所だろう」
「そ、そう?」
それは褒めている……のかしら。
相変わらずレイジェスの言葉は、私にとってちくっと刺さる棘のようなものなのだけれど。
だけど、この沈黙は、怖くない。
前はあれほどまでに怖かったのに。
よく見れば、レイジェスは別に怒ってなんかいない。
私がきっとおどおどして怯えるものだから苛立っただけなのかもしれない。
それとも、彼自身も今回の私たち二人に起こった関係の変化から、色々考えたのだろうか?
婚約するにあたって、彼なりに今まで私と距離を置こうと思っていた事に対してどう区切りをつけたのか聞いてみたい気もする。
だけど、聞いてしまうのが怖い気もする。
「クリスティナ様」
「どうしたの?」
「ファール親衛隊隊長に、お呼び出しが」
「え?」
「カイマール殿下がお探しとの事です」
「……レイジェス」
「知らん。だが無視はできない」
むっとした表情のレイジェスが、立ち上がる。
私が慌てて見送りに立ち上がれば、レイジェスはそれを手で制した。
「見送りはいらない」
「……」
「疲れた顔をしている。元々体力もないひ弱なお前の事だ、学者が来る前に少し休め」
「え……? えぇと、もしかして、あの……心配してくれているの?」
「そう言っている」
いや、それはわかりづらいんじゃないのかな。
ひ弱だとかそういうのってあんまり良い意味で使われないような……。
首を傾げた私を気にする事もなく、レイジェスが出て行く姿が見えた。
私がやっぱり見送るべきだと一歩前に出たところで、彼が顔だけをこちらに向ける。
「……また来る」
その言葉が、存外柔らかくて。
私は思わずびっくりしてしまって、でも彼が立ち去る前に何とか「待っています」とだけ答えることに成功したのだった。